被害者

◆◆◆



4日目 5:32



 カーテンの隙間すきまの白い雪の向こうに朝陽あさひが射してきた。昨夜、暮田くれた宇曽うそ亡骸なきがらめるため、ランタンを片手に、寒い雪の中、必死に土が出るところまで地面を掘り起こした。死を待つだけの中、わざわざ憎き宇曽うそめに行ったのは、長年屋敷に仕えてきた宇曽うそへの、暮田くれたなりの供養くようでもあった。戻ってきた暮田くれたは寒さに耐え切れず、リビングでだんをとっているうちに寝てしまい、目を覚ました時、暖炉だんろの火は消えていた。最後のまきは、巌内いわないの部屋の暖炉だんろに入れてある。夜の情事じょうじの後、意識を失うように深い眠りに落ちてしまった巌内いわないを早朝から起こさぬよう、暮田くれたは寒い自室の布団でこごえる体を暖めていた。全身の疲労と渦巻いた様々な感情が、暮田くれたを簡単には眠らせてはくれない。


「旦那様…」

 暮田くれたが部屋に戻ったのに気が付いたのだろうか。ドアの外から声がした。暮田くれたがそっとドアを開けると、泣き顔で微笑む巌内いわないの姿があった。

暮田くれた「どうしたんだい。お入り。」

巌内いわない「部屋がとても寒くて…」

暮田くれた「朝晩は冷えるからね。けれど、この部屋の暖炉はついていない。君の部屋のほうが暖かいと思うのだけれど。」

巌内いわない「いやだわ、旦那様。私の部屋も、昨日からまきは切れていたというのに。」

暮田くれた「ふふっ、すまない。君の温もりが心地よくて、寒さに気が付かなかったよ。」

巌内いわない「…私をまた、温めて下さる?」

暮田くれた「もちろんだよ、おいで、サティ。」

 2人はベットに寝転がって抱きしめ合う。

暮田くれた「サティ。震えているよ。可哀想かわいそうに。」

 暮田くれた巌内いわないに生ぬるい吐息をかけ、音を立てながら口づけをわす。巌内いわないは目を閉じ、その温もりに震えた。

暮田くれた「サティ。僕だけのサティ。やっと心からそう呼べる日が来た。サティ、愛しているよ。」

巌内いわない「旦那様…嬉しい。私…幸せ……です……」

暮田くれた「邪魔者はいなくなった。やっと、2人きりになれたね。」

巌内いわない「旦那様は、それを望んでいたのでしょう?」

暮田くれた「あぁ。君もそうだろう?」

巌内いわない「えぇ。この日をどれだけ夢見たことでしょう。」





 ―宇曽うその部屋には荒らされた形跡けいせきはなかった。



 ―テーブルにはワイングラスが置かれており、その椅子から転げ落ちるように宇曽うそが倒れ、刺されていた…



 ―貴方あなたは、昨日の朝、宇曽うその部屋に行っている。何食わぬ顔をして宇曽うそに飲み物を運び、、そして、頃合ころあいを見て、した…。


 



 2人は互いに見つめ合い、身体を寄せ合いながら、その瞳の奥に映る真実を探り合っていた。




◆◆◆



4日目 9:30



 窓の外がまた吹雪におおわれた。暮田くれた巌内いわないに大きめのセーターを手渡すと、凛々りりしい背広せびろの上にコートを着て、その上にブランケットを羽織はおる。

暮田くれた「サティ、また天気が荒れてきた。この寒さでは、僕たちはもう、夜を越えられないかもしれない。」

巌内いわない「それでもいいわ。旦那様と一緒に死ねるのなら。」

暮田くれた「変な事を言うんじゃない。君はまだ若い。貯蔵庫の奥の引き出しの下に、非常食が入っている。君は生き延びて、助けを待つんだ。」

巌内いわない「旦那様は、私を1人、絶望の底に突き落とすおつもりですか?私はここで、旦那様と共にきます。」

暮田くれた「ふふっ。そんなに想ってくれているなんて、冗談でも嬉しいよ。とにかく、少しでも長く君と共にいたい。地下倉庫に何かないか、探してくる。待っているのだよ。」

 わらにもすがる思いで、暮田は冷え切った地下倉庫へ向かった。



◆◆◆



4日目 11:00



 時計の針の音だけが無駄に大きく暮田くれたの部屋に響いている。次第にその音は得体のしれない恐怖心をあおりはじめた。巌内いわない暮田くれたが愛用していた大きめのセーターを引き伸ばし、膝からつま先をすっぽりと包み込むと、暮田くれたのバスローブを手に取り、震える身体でぎゅっと抱きしめた。暮田くれたはかれこれ1時間は戻っていない。この寒い中、地下倉庫で長時間探し物をし続けていると考えるのは不自然だ。巌内いわないはこの1時間時計の秒針だけを見ていた。いてもたってもいられなくなり、巌内いわないは廊下へ飛び出した。昼前だというのにまるで夜のように薄暗い廊下の、アンティーク調の壁面へきめん巌内いわないは手探りで伝いながら、一歩ずつゆっくりと地下へと降りていく。地下倉庫の重い扉を開け、出入り口に設置された懐中電灯かいちゅうでんとうで中を照らすと、倉庫の中がぼんやりと照らされた。しばらくの間閉ざされていた室内には、かびのようなにおいが充満じゅうまんしている。



―…ふと、暗闇の奥の床に、誰かの靴の裏のようなものが見えた。


 巌内いわないは思わず声を上げそうになった。息をみ、慌てて口をふさごうと手を動かすと、後ろにうず高く積まれていた箱にぶつかり、その小さな箱はガタガタと音を立てて崩れ落ちた。巌内いわない脳裏のうりに人生が走馬灯そうまとうのように映し出され、その最後に暮田くれたの切なげに微笑む顔が映った。巌内いわないが見開いた眼のままゆっくりと顔を横に動かすと、そこには、横たわった1人の男と、突っ立って床に倒れた人物を見ている1人の男がいた。







「……旦那様…!!!!!!!!!!!!!」







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