子守歌


◆2日目 8:00



 暮田くれたはいつものようにエントランスでピアノを弾いている。洗面所から出てきた巌内いわないは眠たげな眼をこすりながら暮田くれたに後ろからそっと声をかける。

巌内いわない「旦那様、おはようございます…。」

暮田くれた「おはよう、サティ。今日はお寝坊さんだね。僕がブラームスの子守歌なんて弾いていたからかい?」

巌内いわない「えぇ、私の部屋まで聞こえていました。なんだか心が温かくなって、そのままずっと布団に入っていたくなってしまって…申し訳ございません。」

暮田くれた「いや、それでいいのだよ。なんだか屋敷の中がギスギスしているからね。BGMだけでも安らぎをと思って。ところで、昨日はよく眠れたかい?」

 暮田くれたは左後ろに立っていた巌内いわないの方を振り返り、目をしっかりと合わせると口元だけで微笑ほほえんだ。巌内いわないは慌てて視線しせんらし、手をもじもじさせながら、うつむいて恥ずかしそうに答えた。

巌内いわない「え…えぇ。昨日は少し飲みすぎてしまったかもしれません…。まだ少し眠たくて…」

暮田くれた「ふふ…君は本当にわかりやすくて面白いね。さぁ、今日も1日よろしく頼むよ。」

巌内いわない「あ…はい、そ…そうだ、私、外の様子を見てきます!!」

 巌内いわないは慌てて外出の準備を始めた。

暮田くれた比嘉井ひがい先生の件だね。実は僕も今朝、何度か外を見てきたのだよ。吹雪は止んだのだが、昨晩だけであまりにも雪が積もりすぎていて…。仮に昨日もし何か手がかりになるようなものがあったとしても、残念ながらもう埋まってしまっているだろうね。」

巌内いわない「そうでしたか…念のため私ももう1度見に行ってまいります。」

暮田くれた「君一人では危ない。僕もいくよ。少し待っていておくれ。」

暮田くれたは楽譜を片付けるとすぐに身支度を整えた。



◆2日目 9:00



 外から戻ってきた暮田くれた巌内いわないがコート掛けに脱いだ衣類を掛ける。宇曽うそはキッチンで大人しく朝食の準備をし、仏郷ふつごう暮田くれたのコートについた雪を丁寧にほろっている。

仏郷ふつごう「やはりお変わりありませんでしたか。」

暮田くれた「そうだね。さすがにもうこの近くで過ごしていると考えるのは厳しいだろう。もしかしたら、あの大雪の中、町まで戻って行ってしまったのかもしれない。」

宇曽うそ「こんな猛吹雪でか!?それはないだろ。やっぱり誰かが殺したんじゃねぇのか??」

暮田くれた「はぁ…せっかく穏便おんびんに事を済ませようとしているのに、君という人はどうして…」

仏郷ふつごう「わざわざ殺しの線をぶり返すのであれば、また宇曽うそくんが第一容疑者になるのでございますよ。わかっておられますか?」

宇曽うそ「あぁ、悪かった。誰も何もしてねぇ。これでいいだろ。」

巌内いわない「それにしても、先生は一体どこへ…」

仏郷ふつごう「もうその話はやめにしましょう。捜索そうさくに全力を注げるだけの時間と力はもはやわたくしたちには残されておりません。食料しょくりょうも、持ってあと3日。暖炉だんろまきももうじき在庫がなくなるでしょう。万が一の可能性にけて、生きながらえる体力を温存しておくことが、わたくしたちに今できることの中で一番賢明けんめいさくでございます。」

宇曽うそ「そうなると、皮肉にも比嘉井ひがい先生がいなくなったことで俺たちは生き延びる時間稼ぎができたってわけか。けっ。」

巌内いわない「ふざけるのもいい加減にしてください!!!」

宇曽うそ「わ…わかったよ…悪かった…。」



◆2日目 11:30



 暮田くれたは物置にあるまきの在庫を確認していた。今朝、仏郷ふつごうが話していた通り、もう何日も持たないだろう。この寒い冬の山奥でまきの在庫が切れることは、死活しかつ問題だ。暮田くれたはため息をついて残りのまきの数を数えた。

 「…僕にもっと体力があれば、あの雪のはるか向こうの木でも切りに行けたのだろうか…」

 なげいても仕方のない事はわかりつつも、現実とは程遠い理想がとめどもなく頭の中をめぐる。普段立ち入ることのあまりない物置のほこりを吸い込んだせいか、咳が止まらない。暮田くれたは顔を両手でおさえて深くため息をついた後、気持ちを切り替えてリビングへと向かった。

 暖炉だんろの前の椅子に座り、気持ちを落ち着かせようと推理小説を読みふけっているとキッチンで昼食の準備をしていた宇曽うそが突然大声で叫んだ。


宇曽うそ「ほ…包丁が!!!!俺の包丁がない!!!!!」


 リビングに緊迫感きんぱくかんが走った。暮田くれたは慌てて立ち上がりキッチンへけ寄る。

暮田くれた「…なんだって!?いつからだ!?」

宇曽うそ「…わからねぇ!朝は絶対にあった。俺が使った。洗って包丁立てに入れた。絶対に入れた!」

暮田くれた「落ち着きましょう。誰かが果物くだものを切るのに部屋に持っていった…などという可能性もあります。ひとまずみなを集めてきます。宇曽うそくんはここにいて下さい。」

宇曽うそ「ま…待ってくれ!!なんでだよ!俺も連れてってくれ!!誰かが包丁を持ち出したかもしれないんだろ!?真っ先に殺されそうなのはどう考えても俺だ…。」

暮田くれた「………」

 暮田くれたは呆れて顔をしかめた。

暮田くれた「…ご自分でそう思われていたのですか。それであれば、屋敷のみなさんともっと良い関わり方ができましたよね…。」

宇曽うそ「俺はそんな器用な生き方はできねぇんだよ…。暮田くれたさんみたいに感情を押し殺して生きることも、本音もとねみたいに人にしたがくして生きることも、仏郷さんみたいに人を力で制圧せいあつすることも。何もできねぇ弱い男なんだ。」

暮田くれた本音もとね?…あぁ、巌内いわないさんのことですね。名前呼びとは珍しい。どうしたんです、急に弱気になって。」

宇曽うそ「俺は今までいろいろ間違ってきたのかもしれねぇ。死ぬかもって思うと、全てが恐ろしくて仕方ねぇんだ。とにかく、俺も連れて行ってくれ。」

暮田くれた「そうですか…。いくら足掻あがいたところで、人間には必ず死は訪れます。それが早いか、遅いか、それだけの違いですよ。いいですよ、一緒に行きましょう。」

宇曽うそ「…なんでだよ…なんで…そんなに達観たっかんできる??死ぬのが怖くねぇのか?俺は死にたくない。殺されたくもない。」

暮田くれた「…死にたくない、殺されたくない…ですか。…では、死なせるのはどうです?殺すのはどうですか?自分が死ぬのと、人を殺すのでは、どちらが君にとって恐ろしい事ですか?」

宇曽うそ「…自分が死ぬのに決まってるだろ!!!」

 宇曽のセリフを聞いた暮田くれたはこっそりとテーブルの下の引き出しを開け、サバイバルナイフをポケットに忍ばせた。

暮田くれた「…そうですか…。わかりました。とにかく一旦いったん皆さんを呼んできましょう。」






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