中1 9月⑥

 1年5組の教室で、今日も帰りの会はいつものように進みました。だけど私の中ではいつもと違うことがありました。菊地先生のお話があった後、係が宿題を集めます。一番後ろの子が順番に回収していきます。私の席の隣まで来て、いつもなら「穂乃果ちゃんは……今日も忘れたんだね」と気まずい空気が流れます。だけど今日は声をかけられるより先に、私は元気よく、昨日木漏れ日でやっておいた完璧な宿題を手渡します。

「…………はい、確かに預かったよ。」

 一番後ろの席の子は今日も相変わらず事務的でしたが、一瞬驚きと戸惑いの表情を浮かべました。私は誇らしくなって、オレンジ色に染まった心が軽快に弾みます。きちんと宿題ができた日は、胸を張って学校に行けるのです。

 木漏れ日に通うようになってから、少しずつ宿題が出せる日が増えてきました。行くことで、双葉ちゃんや他の子たちが頑張っている姿に刺激を受けて、私も頑張ろうと思えるのです。それに、疲れたら休んだり、お喋りしたり、遊んだりして気分転換をすることもできます。その時間が好きだから、お母さんに嫌々連れてこられた場所だったのに、自分から進んで行くようになったのだと思います。

 

「さようなら」

「さようなら〜」

 学級委員に続いて帰りの挨拶をすると、クラスメイトたちは掃除場所や部活へ、ぞろぞろと向かって行きます。私も木漏れ日に行こうと机の上に置いたリュックを背負おうとしていると、夏希ちゃんが話しかけてきました。

「穂乃果、今日も家帰るかんじ?」

「うっ、うん!今日……も、お母さんに帰ってくるように言われてるんだ。」

「ふーん……。あのさ、ちょっと時間ある?なんか愛菜が話したいことがあるみたいでさ。ほら、あそこ。」

 夏希ちゃんは後ろのロッカーを指差しながら言います。そして、私が逃げ出したい気持ちでいることを見抜いたのか見抜いていないのか、無情にも、「行くよ」と言って背中を押してきます。

 愛菜は同じバレー部の仲間です。その愛菜から話があるということは、もう分かっています、「最近の気まずいこと」を言われるに決まっています。嫌すぎる。しかし夏希ちゃんに急かされて、私は言われるがままに連れて行かれてしまいます。ロッカーの前について、愛菜が「穂乃果、あのさ……」と言いにくそうな表情を浮かべ始めると、夏希ちゃんは「それじゃあうちはこれで」と去ってしまいました。

「あっ、夏希ちゃん……。」

 私が心細さで心が紫色になって、思わず引き止めようとしますが、夏希ちゃんは廊下で待っていた真優ちゃんたちと、サッカー部の練習に行ってしまいました。さすが強豪のサッカー部、練習が始まるのも早いのでしょうか。仕方なく、私は恐る恐るといった感じで愛菜と向かい合います。

「良いかな……?あのさ、最近ずっと部活来てないじゃん。どうして?なんか来づらい理由とかあるの?」

 ぎくり、という音が心の中で鳴り響くのが聞こえた気がします。血の気が引いた、とはこのことなんでしょうか。全身から冷や汗が吹き出す感覚を覚えて、私は思わずブルっと身震いします。そうです、私は夏休みの途中から今日まで、一切部活に行っていないのです。どうしてか、何か来づらい理由があるのか、そんなことを言われても……。

「…………あのっ、あのね、なっ、夏休みの宿題がまだ終わってなくて、終わるまでお母さんが部活行っちゃダメって!」

 ぐるぐる回る頭の片隅から、咄嗟にでたらめが飛び出しました。嘘ってバレていないだろうか、挙動は空回っていないだろうか。ぎゅっと握った両手も冷や汗でベトベトな気がしてきました。しかしそんな私の心配は杞憂だったようです。

「ぷっ……ははっ、あははははは!穂乃果らしくてウケる、心配して損したわ〜。宿題終わらないとか小学生かよ、あはは!」

 愛菜は大きな声で笑って、笑いすぎでふらついています。

「なんかさ〜、顧問の由紀先生が、『心配だから声かけてあげて』って言うんだよね。だからうちも間に受けちゃって。全然心配いらなかったわ。まじウケる。あとさ、先生から伝言ね。明日の放課後、職員室に来なさいだって。……ほら、明日部活オフじゃん?」

 良かった、案外筋の通った嘘をつけたと安心したのも束の間、愛菜はとんでもないお土産を由紀先生から預かってきたようです。先生からの呼び出し……?確かにずっと休んでいたのは良くないことです。だけど、今こうして表面上はどうってことない、私のいつものポンコツっていう風で片付いたのに。愛菜が今日先生にそれを伝えてくれれば済む話なのに。これ以上何を言うことがあるのでしょうか。私が困惑して固まっていると、愛菜は「じゃあうち部活行くわ!宿題頑張ってね!」と言って走って行ってしまいました。

 

 ……私が部活に行かなくなった理由。本当の理由なんて、とてもじゃないけど言えない。部活のメンバーに言うには気まずすぎるって私でも分かります。確かに夏休みの宿題はまだ終わっていません。それは本当だから、あながち嘘ではないのかもしれません。だけど、部活に行かなく、いや、行けなくなった理由は、そうじゃない。それでも、由紀先生に目をつけられてる以上、そろそろ行かなきゃいけないことも分かります。分かっているのです。

 誇らしげで自信に溢れたオレンジ色の心から一気に反転して、私は魂が抜けたようなぼーっとした気持ちで教室を後にします。まだ残暑が厳しいはずなのに、冷や汗が乾ききっていないのか、外は少し、肌寒く感じました。

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