中1 9月④
館長室に急な静寂が訪れます。私が隣を見ると、新入りサポーターさん?も私を見ます。その顔はやっぱり無表情で怖くて、何を言われるのかと身構えてしまいます。新入りサポーターさんが唇を舐めながら、目を泳がせます。その様子をじっと見ていたら、気付いたら止まっていた涙の最後の一滴が頬を流れて、ポタッと垂れた音が聞こえました。
「困っちゃったな、ここからどうしろって言うんだろう。あと何を話せば良いのかな。あ~ごめんね、緊張したり不安だと喋っちゃうんだ。」
しばらく変な沈黙があった後、新入りサポーターさんが早口で喋り始めました。話し方を聞くと、案外温かい人なのかもしれないなと思いました。
「まさかな……夢じゃないよね?」
それから、新入りサポーターさんは確認を求めるように謎の言葉を言った後、私のことをゆっくり見ました。今さっきのお母さんとの戦闘が夢だったと思っているのでしょうか。そんなことより、さっきも思ったけど、本当に若い女の人です。女の人にしては背が高くて、足はがっしりしているけど上半身は細めです。そのためか、履いているスカートが少し不格好に見えます。よく見ると髪の毛は短めで天然パーマのようにくるくるしがちな反面、前髪は整えたのか、ヘアピンみたいにまっすぐです。私は、怖いなというぞわぞわした気持ちが心の洞窟の中に少しずつ消えていくように感じました。このサポーターさんを見ていて、なんだか、とても不思議だな、おもしろいなと思ったのです。私がじろじろ見るだけで何も言わないでいると、新入りサポーターさんは何を言おうか迷っているようで、口をもごもごさせていました。私は、見た目も中身もなんだか不思議そうなこのサポーターさんに、とても興味を持っていることに気付きました。
「お母さん、とても怖いねえ。」
次にこのサポーターさんが言ったこの言葉が、私の心のドアを開いたんだと思います。
「本当にそう思う!私、今日学校が終わって家に帰ってから、ずっと怒られて、それでここに連れて来られたんだ。」
喋ってやるもんかと思っていたことなんか、もう私の心は覚えていません。今言われて一番嬉しい言葉を言ってくれたことに、ただただ心が弾んだのです。
「えへへ、やっと喋ってくれた。なかなかポンポン会話ができなくてごめんね。……私はみんなからソラさんって呼ばれてるよ。最近木漏れ日のサポーターになった新入りなんだ。えーっと、あなたの名前なんだっけ?」
ソラさん……どんな字を書くんでしょう。青空と同じソラでしょうか。私は、とても美しい、素敵な響きの名前だなと思いました。
「穂乃花です。中1。ねえソラさん……だっけ。あのね、さっきすごく怖い顔をしてるように見えたよ。あと、髪の毛もなんか変だよ。あとね、ズボンの方が似合うと思う!」
私が思ったことを伝えてあげると、ソラさんは大きな声で笑いました。
「あはは、あ~はっは!穂乃花ちゃん、結構ズバッと言っちゃうね。でもその通りなんだよね。」
その声を聞いて、私もつられてあっはっはと笑います。ソラさんは、「不思議だなあ、本当に」と明後日の方向を向いてまたしても謎な言葉をぼやいた後、ハッとした様子で私の方に向き直って、続けて言いました。
「何言おうかな、どうしようかなって考えてると、顔まで意識がいかないみたいなんだ。怖がらせちゃった?服は変だって知ってる。髪型も。でも髪型は穂乃花ちゃんも変だよ、だってポニーテールの先が爆発してるみたいだもん!」
がーんと心の中で鐘が鳴る音が聞こえました。何てこと言うんだ、と思いました。ソラさんは私にズバッと言うって言ったけど、ソラさんも相当ズバッと言う人です。
「ひどい!ソラさん良い人かなって思ったけど今のでちょっと嫌いになった!これどう直したら良いか分からなくて悩んでるの!」
私はふくれっ面をしてソラさんを見上げます。それを見たソラさんは、はっとして、
「ごめんなさい、言葉が過ぎた、嫌いにならないで?」
と涙目になりながら頭を下げます。その本気さに驚いて、ちょっとムカッとしていた私の心の風船は小さくなりました。
「そんなに謝られたら申し訳なくなっちゃう。良いよ、私もズバッと言っちゃったみたいだし、自覚ないけど。」
そう言うと、ソラさんはほっとした様子を見せて、
「私も良くないこと言った自覚なかったんだよね、ごめん」
と舌を出しました。私は、なるほど、ソラさんはこーゆう人か、と思います。私はよく周りからズバッと言うねって言われたり、言い方ってものがあるでしょって怒られらたりするけれど、ソラさんの前ではそれを気にしなくても大丈夫かもしれないと思いました。だって、ソラさんも私と同じだから。
「周りのみんなに髪の毛が変って言われたことはなかったんです。だけどソラさんのおかげで、やっぱり変なんだって気付けた。ありがとう。」
私がこう言うと、ソラさんはまた大きな声で笑いました。
「あっはっは。正直すぎるのも悪くないかもな。」
夕日が窓から差し込んできます。私たち2人を優しく、ちょっぴり鋭く、照らしているみたいです。木漏れ日みたいです。
私たちが立ちっぱなしなことにソラさんが気付くと、「大事な新入生を立たせちゃった!」と大きな声を出し、私を館長室の中央にある、大きなソファーに座らせてくれました。ソラさんも、机を挟んで向かいに座ります。
「穂乃花ちゃん、さっきお母さんと言い合いしてて、すごく悲しそうな顔してたじゃん。穂乃花ちゃんがここに来るまでにあったこと、思ってること、聞かせてほしいんだ。」
ソラさんは真剣な顔で言います。
「私のこと、責めたりしない?ここで話したこと、お母さんに言わない?」
「大丈夫、そんなことはしないよ。あのね、私は嘘がつけないんだよ。」
私が不安に思ったことを口に出すと、ソラさんは大きく首を縦に振りながら、約束してくれました。私は、この人なら大丈夫かもしれないなと思いました。私が思ったことを言っても良いって、告げ口したり説教したりしないって、約束してくれたから。私を宿題をやらない悪い子って見るのではなく、たくさん怒られて困ってる子として見ようとしてくれてるって気付いたから。だから、私は言葉に形をつけることに決めました。
「宿題ね、やりたくなくてやらないんじゃないんだ。やらなきゃいけないって分かってるの。新しくもらうたびに、今回は絶対に提出してやろうって思うの。でもね、なぜか気付くと提出する日になってて、ぐちゃぐちゃのファイルからは、何も書けていない真っ白な宿題が出てくるんだ。学校ってすごく疲れるじゃん。だから、息抜きにゲームをしたり、ぼんやりしたり、そんなことをしていると夜になっちゃって。お手伝いしたりお風呂入るともう寝る時間で。明日の朝やろうって思っても、案外時間がなくて。その頃には、宿題があったことを忘れてしまったりするんだ。……今日も提出する作文がやれてなくて、それで菊地先生……担任の先生に冷たく『やる気ないんでしょ』って言われちゃって。それだけじゃなくて、菊地先生は私に黙ってお母さんに電話したんだ。それで、家に帰ったら雷が落ちて、お母さんに『一人じゃできないんだね』って言われて。それでここに連れて来られたんだ。」
私は自分の本音を話しました。今まで誰にも聞いてもらえなかった、言えなかったその気持ちを言葉にしたのです。ソラさんは、止めることなく、頷きながら、うんうんと聞いてくれました。
「穂乃果ちゃんなりに気にしていて、どうにかしたいって思っていたんだよね。それなのに周りの大人は困ってるその気持ちに気付かず、やる気がないとか、分かっててやらないとか、勝手なことばかり言うから悲しいよね。」
ソラさんの言葉が私の心の氷を溶かします。私が悪いって責められなかっただけでなく、私の気持ちに寄り添おうとしてくれたことが嬉しくて。そんなことをしてくれた大人に出会ったことは、今までそう多くはありません。私は今度は嬉しい気持ちが大きな波になって、涙が出てきそうでした。
「それに、どうにかしたいって思いがあったから、文句を言いつつも、モヤモヤを抱えて拗ねつつも、反抗せず木漏れ日に来てくれた。」
ソラさんはにっこり笑います。そして、一瞬だけだけど、泳いだ目が私の目を捉えてくれたのです。私の心を知ろうとしてくれている。私はそう感じたのです。
「そうなの、ほんとにその通り……。」
私もソラさんの目を見つめ返して、大きく頷きました。
「このまま帰ったら、何もしてないって怒られちゃうよ。」
ソラさんとしばらくお話しをした後に、私はふとこう呟きます。すると、
「今日出せなかって宿題、一緒に考えてみる?嫌だったらこうしてお話ししてても良いよ。ここはそーゆう場所だから。」
と、ソラさんは立ち上がり、伸びをしながら言いました。
「作文だからちょっと時間かかりそうだけど……」
私が顔を曇らせると、
「大丈夫!ここは20時までやっているから。あと2時間もあればきっと終わるよ。」
そう言って、ソラさんは下手くそなガッツポーズをします。そして、ソラさんは、「そうだ!」と言うとどこかへ行って、クッキーを持って帰ってきました。
「これ食べながらやろう!……このお菓子、館長さんのお気に入りだから勝手に食べたら2人で怒られそうだけど、まだストックがありそうだし大丈夫だよね。」
「私は怒られないんだよ、ソラさんが怒られるんだよ。」
「そうだった……そしたら穂乃果ちゃんが宿題をやりづらそうだったからって言っちゃう!」
「えーひどい!本当のことだけど!」
私たちはまた謎の言い合いをします。だけど、お母さんとの戦闘とは違って、ふんわり温かい、そんな言葉を交わすのです。ソラさんの優しさと不思議さに触れて、美味しいクッキーを食べているうちに、お腹も心もピンク色に染まったようで、作文がやれそうな気持ちになってきました。
「よし、やるぞ!」
「偉い!テーマは何?」
「過去に行くか未来に行くか、どっちが良いか、だって。」
「私は過去が良いかな……過去に比べたら未来なんか別にって感じ。」
「私も!私も過去が良い!理由はね、今の記憶を持った状態で戻れたら最強だから!」
「よーしじゃあそれを全部原稿用紙に埋めちゃおう!でも過去に戻った時に記憶があるかは分からないと思う!」
「ソラさんユーモアがないなあ!」
ツッコミを入れながら、ツッコまれながら、私は原稿用紙に文字を埋めていきます。まるで対話をそのまま文字にしているみたいで、スラスラと言葉が浮かびます。
時間がかかりそうだと思った作文もそんな風にやっていたらあっという間に終わりました。時計を見ると、まだ30分しか経っていません。
「できた!やる気になったら案外宿題って早く終わるんだなあ。」
私は満足気な気持ちで言いました。満足の空気で心が膨らんで、風船になって、空まで飛んでいけそうです。
「すごいじゃん!でも私だったらもっと早く終わったけどね。」
「えーなんでいちいちそんなこと言うの?」
「あ、ごめん嫌な気持ちにさせるつもりなかった……。」
「怒ってるけど怒ってないし!」
「本当にごめんなさい、ごめんって〜!」
私たちがズバッとした温かな言い合いをしていると、ガラッと館長室のドアが開く音がしました。
「穂乃果、さっきは言いすぎた。頭がカーッとなってた。ごめんね。」
お母さんでした。さっきの鬼のように真っ赤にヒートアップした表情とは打って変わって、眉毛が下がった、しゅん……とした顔をしています。
「穂乃果ちゃん、ソラさん、いきなり2人きりにしてごめんね。どんな様子かな?」
その後ろから、館長さんもやってきて、部屋に入ってきます。
「あ、館長さん。穂乃果ちゃんですが、色々話をした後、えっと、ちょっとムッとさせちゃったけど。そっ、そこにあるクッキーの袋は私の私物で、えっと……。」
「お母さん、館長さん、見て!」
しどろもどろに報告しようとしていたソラさんを遮って、私は2人に駆け寄ります。
「明日出しますって言った作文、終わったよ!」
私は誇らしげだったのに、お母さんはそうじゃないのでしょうか。また顔をこわばらせます。
「え、それしか終わってないの?昨日出せなかったやつは?今日出された宿題は?」
「えっと……。」
また怒られそうだ。褒められると思ったのに。今度は私がしゅんとします。心からズーンって音が聞こえかけたとき、
「うおっほん!!お母さん!」
館長さんが大きく咳払いをして、お母さんに意味ありげに目配せをします。それを見てお母さんはハッとした様子で、いえ、しぶしぶといった様子で、「よく頑張ったね」と言ってくれました。
「良かったですね。」
それを聞いて、館長さんが言いました。
「頑張ったもんね!」
と、ソラさんも微笑みます。
お母さんの反応は曖昧だったけど、そんな2人の様子を見て、やれたぞ!という自信は消えずに心に残ります。私は、とても嬉しくなりました。
「また明日も来て良い?」
帰り際、私はお母さんに聞かれないようにこっそり聞きます。
「いつでも来てください。あなたは今日から木漏れ日の仲間です。ここは月曜日から金曜日、15時から開いているから。」
「やったあ!」
私は両手で小さなガッツポーズを作ります。
「ほら、ソラさんも何か言いなさい。」
館長さんはソラさんに促しました。
「えっと……紹介したい子がいるんだ。私の受け持ちの子で、穂乃果ちゃんと同じ中1の女の子がいて。ちょっと無口で真面目気質だけど……。」
「ソラさん?そんな言い方は良くありませんよ。」
「あ、ごめんなさい。……とても良い子だから、きっと友達になれると思う。」
ソラさんの相変わらずズバッとした話を聞いて、私の心は水色になります。
「同い年の子がいるんだ!会ってみたい!……でも、友達になれるかな?」
期待と不安の混ざった水色。そんな私にソラさんと館長さんは優しく言います。
「大丈夫だよ、きっと大丈夫だから。」
「その時はソラさんと一緒に教室に行きましょう。きっと大丈夫ですよ。」
根拠のない言葉だけど重みがあって、私は少し、勇気が芽生えました。
「さようなら!」
大きな声で挨拶をして、手を振って、お母さんを追いかけながら、私はその日、木漏れ日を後にしました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます