中1 9月②
家のマンションに着いて、ドアを開けると、玄関にお母さんの靴があるのが見えました。私の心の中で、がーんと鐘が鳴るのが聞こえました。この時間はお母さん、仕事から帰っていないはずなのに。今日は休みだったのかな。私もこの時間は部活に行っているはずなのです。どうやって言い訳をしようか、そんなことを考える間もなく、奥からタタタっと足音がします。
「あれ、あんた部活は?」
お母さんが玄関までやってきて、怪訝そうな顔で私に尋ねます。
「今日は急に休みになっt」
「せっかく仕事休みでゆっくり一人の時間を楽しんでたのに!時間ができたって思うときにあんたは家にいて、あんたが家にいないってときに私は仕事で、ほんっと、空気読みなさいよ!」
お母さんは、私の言い訳なんか聞いていません。こういうときは終わるまで待ってるしかないのです。ぞわぞわ、心が泣いています。先生もお母さんも、もっと優しくしてくれれば良いのにと思います。
「あ、そうだ!あんたに言わなきゃいけないことがあるんだった!ちょっとリビングに来なさい!」
1時間は続くと思った説教は案外あっけなく終わりました。お母さんは開けっぱなしだったドアを閉めて、家の中に入っていきます。話ってなんでしょうか。良い話だと良いな、楽しい話だと良いな。私は靴を脱いで、重いリュックを背負ったままリビングへ向かいます。
「ここに座りなさい。」
だけどリビングで腕を組みながら座っていたお母さんの姿を見て、声の色を聞いて、心が跳ねるような話題ではないとすぐに分かりました。
「今さっき担任の菊地先生から電話があって、あんた2学期になっても宿題出せてないんだって?」
え……嘘、電話された?私の頭はコマのようにぐるぐるぐわんぐわん回ります。
「宿題やれてるって言ってたよね、なんで嘘つくの?お母さんはちゃんと声かけてるしやる時間だってちゃんとあるのにどうして普通にできないの?隣の部屋の真優ちゃんはちゃんとやれてるって真優ちゃんママが言ってたよ?どうしてあんたはできないの?真優ちゃんは忙しいサッカー部でレギュラーなんでしょ?遅くまで練習があるし、塾にだって行ってるみたいだよ?その真優ちゃんができてるのに、あんたはどうして!!」
お母さんは鼓膜が割れそうなほど大きな声で私を怒鳴りつけます。耳がキーンとして、くらくらします。地震がきたかと間違えたくらいです。もう何の話なのか分からなくなりそうです。でも、これだけは分かります。私の心は、ぞわざわを通り越してぐわんぐわん、バキンボキンと音がしています。そして。
「……っ、真優ちゃんがレギュラーなことなんか知らないよ……うぅ。」
抑えようとしているのに悲しい気持ちが溢れてきて、私の頬に涙が垂れてきてしまいました。それでも私は必死の抵抗をします。だけど。
「そんな話はしていないでしょう!」
お母さんの怒鳴り声で、その勇気もかき消されてしまうのでした。
どのくらい時間が経ったでしょうか。お母さんの怒りが収まる頃、私の心はもうぐったりでした。帰ってきてゆっくりできると思ったのにお母さんが家にいたこと、お母さんに急に怒られたことにはもちろん、心ががーんとします。でも、私が一番悲しかったことはそこじゃないのです。どうして菊地先生は、私に黙ってお母さんに電話なんかしたのでしょうか。あんまりにも酷いと思います。
「やっぱり誰かに見ててもらわないと自分ではできないんだね。」
お母さんの話はまとめに入ったようです。私は机のシミを見ながら話を聞き流します。
「あんたここ行きなさい!」
次の瞬間、お母さんは突拍子もないことを言いました。お母さんは、机の脇に置いてあったファイルに手を伸ばし、そこに挟まっていたチラシを見せながらまくし立てます。チラシには、「木漏れ日」と書いてありました。「中高生の学習支援」とも書かれています。塾みたいなものでしょうか。
「ここ、家から徒歩10分。同じ市内の中学生が集まってくるんだって。月1000円払えば宿題見てくれる。小学生の学童みたいなものだよね、それよりもずっと安い。あんた、これからはここに行って宿題見てもらいなさい!」
塾なんか嫌だ、誰かに縛られるのなんか嫌だ、学校疲れるから暇なときは家でゆっくりしたいのに。収まってきた悲しい感情の波が、また湧き上がってきそうです。
「嫌だよ、行かないよ!これからはちゃんとやるから!先生にだって、明日出すってちゃんと言ったんだ!」
「良いから行きなさい!そんな約束、守れたことないでしょ!今から申し込みの連絡するからね!」
私の涙声の抵抗も虚しく、お母さんは電話の受話器を上げてダイヤルを回し、「もしもし~」とよそ行きの声で電話を始めてしまいました。
「ねえ、今からおいでっておっしゃってるから、そのひどい顔を洗ってきなさい!」
と、小声で言いながら。ここで食い下がらないと、お母さんはもっと鬼のようになってしまいます。私は重いリュックをその場に置いて、ぞわぞわする心を引きずりながら、トボトボと洗面所へ向かうのでした。
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