第5話 忘れられない人

 弟のレスリーが帰宅する時間になり、私は使用人専用の食堂に向かった。彼は帰って来ると必ず食堂で勉強をする。人の声があったほうが集中できるらしい。

 レスリーは今中学生で、公爵夫妻が後見人となり公立の学校に通っている。

 食堂では、早めの夕食をとる使用人と、勉強をするレスリーの姿があった。

 弟だけど、レスリーは男性の使用人がつかう宿舎に住んでいるため、共に過ごす時間は少ない。

 

「お帰り、レスリー」


 そう声をかけて私はレスリーの向かい側に座る。


「うん」


 とだけ返事をし、レスリーは教材から目を離さなかった。

 宿題をやっていると反応が薄いのはいつものことだ。その間に私は新聞や雑誌に目を通す。宿題が終われば私とレスリーは夕食を一緒に食べて今日一日の話をする。

 軽く一時間くらい経っただろうか。

 本に集中していた私の意識を、レスリーの声が遮る。


「終わったよ」


「……あ、うん、じゃあ夕飯食べようか」


「うん」


 レスリーは教材を片付け、バッグの中にしまった。

 夕食はパスタのマリナーラだった。ツナにトマトソースのパスタだ。

 使用人の食事は簡単に済ませられるものが多い。パスタだったりピザだったり。

 誰かの誕生日にはちょっと凝った料理にケーキがでる。

 それが使用人たちの楽しみでもあった。

 食事をしながら私たちは色んな話をする。学校のこと、新聞などで見た話、屋敷の中の噂話……


「ねえ、姉さん」


「何?」


 レスリーはきょろきょろとあたりを見回して、声を潜めて言った。


「シリル様、縁談があるって話きいた?」


「何人かから聞いてるわよ。そりゃあるでしょうね。シリル様、二十歳なんだし」


 貴族なら二十歳前に婚約することが多いし、下手したら学生のうちに結婚する場合もある。

 二十五を過ぎたら男も女もいき遅れ扱いだ。

 ……それを考えると心がぎゅっとなるけど、私は結婚なんて無理に決まってる。

 せめてレスリーはいい人と結婚してほしいなあ……

 公爵夫妻が後見人でレスリーが公務員にでもなれたら、結婚相手くらい見つけられると思うけど。


「まあそうなんだけど……シリル様付きの侍従に聞いたんだけどさ、本人は乗り気じゃないんだって」


「それも聞いたわよ……婚約者に死なれてるからでしょ」


「いや……まあ、そうなんだけど……」


 レスリーがとたんに言いにくそうな顔になる。まあ、私がシリル様の元婚約者だってことはレスリーも知ってるしねぇ。


「そ、それがさ、なんか忘れられない人がいるらしいよ」


「あらそうなの」


 さらりと言い、私はパスタを食べきる。

 その反応に驚いたのか、レスリーは目を瞬かせた。


「気にならないの?」


「何で私が……あ、でもお嬢様が知りたがってたわね、なんでシリル様が縁談に乗り気じゃないのか」


「なんか、子供の頃に会った人なんだって。今まで忘れてたけどその後のことがちょっと気になる、みたいなことをちらっと言っていたらしいよ」

 

 なぜかはずんだ声でレスリーが言った。

 なんでこの子はこんなに楽しそうなんだ……?

 お嬢様が知りたがっている、って話が嬉しかったのかな。

 うーん……子供の頃に会った人ねぇ……

 じゃあ学校が一緒とかじゃないのかな。でも今はいないって事なのだろうか。引っ越しちゃったとか……? 引越しなんて珍しいな。

 この話、明日お嬢様に伝えるか……

 

「で、その人って誰だかわからないの?」


「うーん、なんか一回しか会ってなくて名前は聞かなかったらしいよ」


「そんな相手のことが気になるって、シリル様意外と純情なのかな」


「なんで気になるのかまでは聞いてないなぁ。僕はシリル様と直接話すことってほぼないしね……あ、でも」


 何かを思い出したのか、レスリーは身を乗り出して声を潜めた。


「けっこう前だけど、一回だけ声をかけられたんだ。『昔、国境にある別荘地にいたことないか』って」


 ……なんですって?

 私はドキドキしながら、レスリーの言葉を待つ。


「それで、小さい頃に行ったことあるかも、って答えたんだけど……まずかったかな」


 話しを聞きながら私の表情が変わっていったのがわかったのだろう、レスリーが気まずそうな顔になる。

 国境沿いの別荘地には貴族や王族商人だけじゃなくって、普通の一般市民も住んでいるから……まあいいけど……

 でもなんでそんなことをレスリーに聞いたんだろう。

 もしかして私のことばれてるのかな……でも、あの時の女の子です、なんて名乗り出るつもりはひとかけらもないのよ。

 それを言ってしまったらそのまま私は自分の正体を明かすことになってしまうもの。

 あー、でも狩りに出ていたって言えばいいのか……いや、でもなんで公爵夫妻が私たちの後見人になっているのか説明ができないよね……

 シリル様たちは私の両親が死んだから公爵夫妻が面倒を見ることにした事は知っているけど、私たちの正体は知らないはずだ。

 ミティ公国の出身ってことは伝えているはずだけど……だめだ、嘘が思いつかない。


「あの……姉さん……?」


 おそるおそる、という声でレスリーが私を呼ぶ。何よ、今、私は気が気じゃないのよ。

 どうか私の事、ばれてませんように。 

 

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なんで元婚約者が私に執着してくるの? 麻路なぎ@コミカライズ配信中 @nagiasaji

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