第4話 シリル様
お昼過ぎになり、シリル様が帰宅される時間になる。
公爵家の方がご帰宅されるときは、ご家族付の侍従たち、執事はお出迎えをすることになっている。
だから私は他の侍女と共に玄関前へと向かった。
私たちが玄関に着いてしばらくすると黒塗りの車が門から玄関前へと向かって来て、ゆっくりと止まる。
執事のベルトラン=ルドーさんが止まった車の後部座席のドアを開ける。すると、黒いパンツに黒いシャツを着たシリル様が降りてきた。
幼い頃はちょっと頼りなかったけど、二十歳になったシリル様はとても立派になった、と思う。
ちょっと近寄りにくい雰囲気があるけど、それがいいと大学では男女に人気があるという噂をきいた。
男女に人気、という部分はちょっとひっかかるけど、慕われるのはいいことよね。
私にとってシリル様は幼い頃に出会った思い出の相手で元婚約者だけど、シリル様にとって私はただのメイドなんだよね。
彼が私の事なんて覚えているわけがない。
顔を合わせたのははるか昔だし、一度きりだ。覚えてるわけないじゃないの。
私、シリル様のこと、気になるのかな。婚約の話があると聞いたけど、いったいどういう相手だろうか。
やっぱり貴族かな。他国のお姫様もありうるか。
……って、何考えているんだろう、私。
昔のことを思い出して感傷に浸っているだけだろう。婚約とか今の私には関係ないもの。
車から降りたシリル様がと視線が合う。
……って、気のせい? 朝食の席でも目が合った気がしたけど、まさか私の事を思い出したのかな……
思い出されても今さらよね。
私はもう、彼の婚約者にはなれない。だって私はメイドだし、あちらは公爵家の跡取り。身分の差があり過ぎる。
私はそう自分に言い聞かせて、皆と一緒に玄関へと向かわれるシリル様に頭を下げる。
シリル様が、いつものように私の前を通り過ぎていく。顔なんてあげないから、彼がどんな顔をして私の前を通ったのかわからない。
秋の匂いのする風が静かに吹く。がさがさと枝が音を立てて、色づいた葉が風に舞う。
季節が過ぎるの、早いなぁ。私、もう十九歳になるんだ。レスリーが大学行って、仕事についたら私、どうしようかな……
ずっとここにいるわけにもいかないし、お金も溜まってきたから家を買ってお屋敷でようかなぁ。レスリーに相談しよう。
シリル様はご帰宅されたらお支度を整えてティールームでお茶の時間になるはずだ。私と彼が直に接することはない。だから昔のことを確かめる手立てはないし、そんな気もしない。
扉が閉まる音がして、私は顔を上げて閉まった扉を見つめる。
茶色の重い扉は、今の私と彼の関係を表しているみたいだ。すぐそこにいるのに、話しかけるかけることも近づくこともできない。それが今の私と彼の差だ。
私は扉に背を向けて、自室へと戻ろうと庭を行く。
お嬢様が帰って来るのはあと一時間くらい後だ。まだ、時間がある。
エレーヌ様が帰られて、お着替えのお手伝いをしたあと髪をとかしていると、エレーヌ様が言った。
「ねえ、マーシャ」
「はい、なんでしょう」
鏡の中にいるエレーヌ様と目が合う。
彼女はなんだか不安げな顔をして言った。
「あのね、私のお友達がね、シリルお兄様と縁談をすすめているんですって」
「あら、そうなんですか?」
エレーヌ様が通われている学校は、貴族や商人がお金を出し合いつくった学校だ。
昔はそれぞれの家で家庭教師をつけて教育をしていたらしいけれど、家庭教師の奪い合いになってしまったため学校をつくり優秀な人材を育成し、ついでに人脈をひろげよう、という目的があるらしい。
だからエレーヌ様のお友達、ということは貴族か商人の娘だろう。
「でもね、お兄様はその気がないみたいで……なんでなのか探ってくれって言われて」
「えーと、そのお友達さんは、シリル様に本気、という事なのですか?」
「わからないわ。だって、彼女とお兄様に接点なんてそんなにないはずだし……」
と、困惑した顔になる。
あー、公爵家に輿入れできたら大抵の貴族にとっては玉の輿になるからかな。
大変ね、貴族って。
「そうだ」
ばっと、エレーヌ様は振り返り私を見つめた。
「ねえ、何とかしてお兄様に探りを入れられないかしら? 会うのも断られていて、話が全然進まないんですって」
「わ、私が探りを入れるんですか? 無理ですよ。えーと……それなら執事のベルトランさんに聞いた方が絶対にいいです」
そう私が言うと、エレーヌ様はしょんぼり、という顔をする。
「そんなの真っ先に考えたわよ。でもね、何も言ってくれないのよ」
あー、そうなんだ。
エレーヌ様が聞いても喋ってくれないんじゃあ、誰も聞きだせないわね。
「そうなると聞きだすのは無理ですねぇ。奥様は……」
「『本人の判断だから』って言われちゃったわ」
あ、そうなんだ。じゃあ絶望的よね。
そうねぇ……私が直接話なんてできないしな……彼に着いている侍従も知らなさそう。もう絶望的じゃないの。
「それはもう、無理じゃないですかね。諦めたほうが……」
「私が聞いてもはぐらかされちゃうのよ! 何かいい方法ないかしら?」
と言い、エレーヌ様は俯いてしまう。
そう言われても……メイド仲間のソニアから聞いた噂しか私はわからないしな……
「えーと……噂は聞きましたよ」
「どんな?」
言いながらエレーヌ様は勢いよく立ち上がる。
ちょっとびっくり。
「えーと……皆さんが、シリル様の縁談に前向きじゃないのは昔……婚約がなくなったのが影響しているんじゃないかって」
そう私が言うと、エレーヌ様はしばらく沈黙した後、あぁ、と声を上げた。
「ミティ公国の公女様ね」
エレーヌ様の言葉に、ちょっとだけ胸が痛くなる。つまりそれは私の事だ。
「公女様は亡くなられてしまったのよね。その前に婚約の話は無かったことになって。お父様もお母様も、気に病んでいたわね」
だから迎えに来てくれたんだよね。おふたりだけで、護衛も連れずに。
誰もいなくて、弟のレスリーとふたりきり、僅かな荷物を抱えて屋敷を出ようとしていたところにおふたりは来てくれた。
私はご夫妻に何度か会っていたから話が早かったんだ。
奥様は私たちを見て泣いて抱きしめてくれたっけ。思い出すと今でも泣きそうになる。
「それでたしか数日間いなくなって、それで戦乱でご両親を亡くしたマーシャ達を連れて帰って来たのよね」
そうだ。どこも間違っていない。戦乱で私たちは両親が死んだ。殺したのはこの国の暗殺者だった。
私の、この国に対する感情は複雑だ。
救ってくれた。だけど、私の両親を殺し、国を滅ぼした。
「お兄様は公女様と会ったことはなかったと思うけど……なんで気にしていらっしゃるのかしら」
「そこまでは……」
さすがに理由はわからない。
「そういえば」
何かを思い出したのか、エレーヌ様は右手の人差し指を顎に当てて言った。
「お兄様、公女様に会いたくなくて家出したのよね。その時豪雨に見舞われて、女の子に会ったって言っていたっけ」
その話を聞いて、思わず私は大きく目を見開いてエレーヌ様を見た。
「……家出、ですか?」
「そうなのよ。お兄様、確か十二歳くらいだったと思うんだけど、親が決めた婚約者なんて嫌だって言って、家出しちゃったの。でも何の準備もなしで、しかも雨に降られちゃって、森の中で女の子と雨宿りしていたんですって。そのあと、森を出たところで発見されて怒られたって言っていたけど。その女の子、どんな子か聞いたのよ!」
言いながら、エレーヌ様は笑顔になる。
一方私は気が気じゃなかった。シリルは……彼は私の事、覚えてるの?
あの雨の日の事を……それならなんで黙っているんだろう?
「どんな子だったんですか?」
なるべく冷静に私は言った。
でも心なしか声が震えている気がする。
「なんか、生意気な子だったって」
う……それは否定できないかもしれない。
「でも、助けてくれたって。雷が鳴っているとき、木の下にいると危ないって、その時に知ったって言っていたわね」
「それ、いつ聞いたんですか?」
「えーと、けっこう前よ。なんで家出したのか聞いたことがあって、その時に言っていたの。私、お兄様がいなくなったときに別荘にいたんだけど、何があったのかよくわかんなかったから」
あの、別荘地でシリル様が家でした時、エレーヌ様は九歳位だろうか。それならいまいちわからないわよね。
そういえば家出する時に書置き残してきたとか言っていたっけ。
ほんと、世間知らずと言うか……捜さないでください、なんて書いたって捜すに決まっているじゃないの。
昔のことを思い出して呆れていると、エレーヌ様は腕を組み、呻り声を上げた。
「うーん……どうしたらいいのかしら……このままお兄様が結婚しないのもいやなんだけど」
「結婚しないと、周りが煩く言うんじゃないですか? 貴族ですし、子孫を残さなくてはいけないのでは」
私が言うと、エレーヌ様は頷きながら言った。
「そうなのよね。だから私、お兄様には早くお相手を決めてほしいって思うのよ。私の縁談にも支障が出るし」
結婚しない、っていう選択肢がないんだから大変よね、貴族って。
私もそうだったはずだけど、でも今はそんな事気にしなくてよくなった。
そもそも私、結婚なんてできないだろうなって思ってるし。
でも弟のレスリーには幸せになってほしいなぁ。難しいかな、それ。
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