第3話 幼い日の思い出
今から八年前のこと。十一歳だった私は国境沿いの大きな湖がある別荘地にいた。
ミティ公国と王国の国境にあるその別荘地には、それぞれの貴族や王族の別荘があった。
大人たちはなんだか難しい話をしていて、そのとき私の婚約がどうのこうの、とか言われたような気がする。
でも私はそんなことに興味がなくって、弓矢を背負い森に出ていた。
その時に出会ったのがシリル様だった。
ちょっと珍しい黒髪に緑の瞳の彼は目をひいた。
森の中を歩くにはちょっと不釣り合いな服……白いシャツにジャケットを羽織った彼は見るからにどこかの貴族の子息、という感じだった。
一方の私は、黒いズボンに黒いシャツ、それに紺色のマントを羽織っていた。
髪を短く切っていたからぱっと見、男に見えたかも。
木の下で雨宿りをして途方に暮れていた彼を見つけた私は、とっさに腕を掴んで走り出したんだ。
「あんた馬鹿? あんなところにいたら死ぬっての!」
「ど、どういうこと?」
私の言葉を聞いた彼は、戸惑った声で叫んだ。
その時だった。
辺りが一瞬明るくなり、轟音が響いた。
「え、あ、雷?」
「そう! 今の時期、こんな時間に降る雨は雷が多いの! 木の下になんかいたら死ぬから洞窟に行くよ!」
「あ、わ、わかった」
そこで一緒に近くの洞窟に避難して、私たちは外を見つめた。
空は真っ黒で、雨はどんどん強くなって雷の音もすごくなっていく。
怖いのか、彼は私のマントをぎゅっと掴んでいた。
「雷怖いの?」
「え? あ……うん、まあ……うちの国では滅多にないし」
「なんでそんな恰好で森の中にいたの? 貴方、どう見ても貴族でしょ。貴族の子息がひとりでやってくるような場所じゃないよ」
この森は、モンスターや熊が出ることがある。
森の奥には地元の人も装備なしじゃあ入らないんだ。
だから私は弓矢を背負い、短剣も持っていた。何かに襲われても大丈夫なように。
私の言葉を聞いて驚いた顔をした後、少年は下を俯いて言った。
「確かに俺は、君の言う通り貴族だけど……家出したんだよ」
拗ねたような声で言い、彼は黙ってしまった。
家出。それを聞き、私は思わず吹き出した。
「嘘でしょ? 何も持たずに家出とかある? あんた馬鹿なの?」
笑いながら言うと、彼は顔を上げ、頬を真っ赤にして言った。
「ば、馬鹿って言うな! 俺はシリルっていうんだから」
シリル……ですって?
名前を聞いて私は改めて彼をよく見た。
両親から聞かされた、私の婚約者候補。
名前はシリル。黒髪で緑色の瞳をした少年、だと言っていた。
じゃあ彼が私の婚約者になる相手なのか……
そう思うとなんだかおかしかった。
後先考えず家出して、雷に怯える婚約者。大丈夫かな、この子。
「じゃあシリル。なんで家出なんてしたの? そんな格好じゃあ、一日も生き延びられないでしょ」
っていうか、公爵家の子供なんだからきっと、捜索隊が派遣されているだろう。でもこの雨じゃあ、すぐには来ないだろうな。
「わかってるよ。ただ、婚約者に会わせるとか言うから、俺はそれが嫌で……」
と言い、シリルは黙ってしまった。
私もそうだけど、彼もここにやって来たのは婚約の話を具体的に進める為、なんだろう。
公国は小さく、王国側は公国にある宝石鉱山を虎視眈々と狙っている、という話がある。
攻め入られればひとたまりもないだろう。
だからお父様は、王国の貴族……特に王家に近いシリル様のいる公爵家と縁を持とうとしたんだ。
無駄に終わったけど。
「なんで婚約が嫌で家出するの? 貴族なら親が婚約者を決めるなんて普通じゃないの」
「お、お前にはわからないよ。だって、顔も見たこともない知らない相手といきなり婚約なんて嫌じゃないか」
それはきっと、この年齢特有の、親への反発が混じっていたのかもしれない。
私もそういう年齢だったから、彼が言いたいことはなんとなくわかった。
「まあ……たしかにそうかもしれないけど」
でもその相手、私だよ?
会う前にこんなに嫌がられていると思うとちょっとショック。
まあ、私も会ったことない相手と婚約はちょっと……と思って、こっそり森に狩りにきたから同じようなものだけど。
私がその婚約予定の人間だ、とは言わず、私は話を続けた。
「会ってみないと相手の事はわからないじゃないの」
「そう、だけど……結婚相手を親に決められるのは嫌じゃないか」
あー、そういえば劇や本で流行っていたっけ。
親の決めた婚約者から逃げて、真実の愛を見つけるってやつが。
私の周りでもそう言うのに憧れる声を聞いたから、シリル様も自分で真実の愛を見つけたいのかもしれない。
「それって今流行ってるやつ? 身分の差を乗り越え、真実の愛を見つけるってやつ。もしかしてそう言うのに憧れてるの?」
からかうように言うと、彼は顔を真っ赤にして首を横に振った。
「そんなんじゃねえよ!」
「えー、本当に違うの? 親の決めた婚約者。でもそんな婚約はしたくない。そんなところに現れた素敵な異性って、今はやってるじゃないの」
「そ、そ、そうだけど……」
あ、やっぱり知ってるんじゃないの。
シリルは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
その時。
辺りがかなり明るくなり、轟音が辺りに鳴り響き地面が揺れた。
「ひっ……」
思わず私とシリルは抱き合って外を見つめた。
近くの木に雷が落ちたのが見え、バキバキッ! という音とともに背の高い針葉樹が倒れていくのがわかる。
「ほ、ほら、木の下にいたら危ないって、こういう事なの。雷って木に落ちるから」
言いながら私は自分の声が震えていることに気が付く。
知識はあっても、本当に木に雷が落ちるのを見たのは初めてだ。
こんなに地面が揺れるんだ……あのままシリルがあの木の下にいたら本当に死んでいたかもしれない。
そう思うと、背筋が寒くなる。
「お、覚えておくよ……」
私と同じようにシリルの声も震えていた。
こんな豪雨、一時間も経てばやむだろう。そんなことはわかっているけど、時間が経つのがとても長く感じた。
黙っていると怖くて、ずっと私たちは喋りつづけた。
雨がやみ、森の外に向かっているときに彼を捜しに来た公爵家の人たちに出会った。
彼とはそこで別れてそれっきりだ。
私は名乗りもしなかったから、シリルは私の正体を知らないだろう。
でも私は今でも覚えている。シリルはあの時のこと、覚えているだろうか?
さすがに今の彼とふたりきりになることなんて無理だから、私は未だにそれを確認できないでいる。
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