終幕

第30話

 四日前に卒業式があった。

 修平は転入したばかりで知り合いの先輩など一人もいなかったが、終始泣いている生徒たちに感化されて目を赤くしてしまった。男のプライドでぎりぎり涙はこらえたが。

 昔から修平は涙もろかった。

 泣きそうになる度に縁子が隣に来て、背中を叩かれたことを思い出す。

 今日は三月十四日。縁子の月命日だ。

 修平は一人、松原家の墓を訪れた。

「あれ?」

 墓には凛とした花が手向けられていた。近づいてみると、細く線香の煙があがっていた。どうやら、先客がいたようだ。

 縁子の家族だろうかと思いつつ、修平も持参した線香に火をつける。花は、買い忘れた。

 手を合わせ、冥福を祈る。

 目を開き改めて墓全体を見ると、墓石の横に青い物体があることに気づいた。拾ってみると携帯電話だった。心の中で持ち主に謝罪しつつ、誰のものかを知るためにプロフィールを開く。幸いにも、ロックはかかっていなかった。

 息が止まりそうになった。

 慌てて辺りを見回すも、探し人はおろか人気が全く無い。

 修平は諦めて、もう一度携帯電話を見た。プロフィールに書かれていた名前。

「墓参り、来てくれたんだな。ありがとう」

 無駄なプライドが邪魔をして、直接は言えない。だからこそ、持ち主に置いていかれた青い機械に言っておく。

 明日学校ででも渡そう。そう思って上着のポケットに仕舞った。

「ピロロン」

「えっ!!」

 冷や汗がどっと出る。

 音源はもちろん、修平のパソコンだ。しかし、この着信音は晴臣専用で、約三週間前に“天津甕星”が消滅してすぐに晴臣の指示の下巫覡全員で祈祷をしたので、晴臣は成仏したはずである。

 逸る気持ちを必死で押さえつけ、パソコンを開く。

『皆骨に向かって手合わせて、滑稽ね』

 白い画面に一行。

 それは明らかに晴臣の語調とは程遠く、女言葉だった。

 まさか。

 そう思いつつも、意思に反して指が勝手に動いていた。

『縁子なのか』

 どきどきしながら、返事を待つ。

『そうよ。驚いたでしょう』

 耳の奥の方で、くすくすと縁子の笑い声がする気がした。

『成仏できなかったのか』

『できなかったじゃなくて、しなかったの。私は晴臣様の次に優れているとも言われていた巫覡よ。あんたたちの祈祷をかわすのなんて簡単。あんな状況で死んだら、水無さんたちのその後が気になるに決まってるじゃない』

 何時間もかけて執り行った儀式も、骨折り損というわけだ。

『結局、あんたを巻き込んじゃったわね』

 縁子らしくない、感傷的な文だった。

 幼い頃、大人たちに力が無いことを罵られ、よく泣きべそをかいた。大人がいなくなるとすぐに縁子が来て、決まって言ったのだ。

「私が巫覡になってあげる。だから修平は泣かないの!」

 強く、しかしどこまでも優しく、励ましてくれた。

 辛い修行の日々を乗り切れたのも、全て縁子のおかげだ。

『巻き込んだのは俺の方だろ。本当は、縁子は巫覡にならなくて良かったのに』

『馬鹿。今更でしょう。しかも“天津甕星”を消滅に導いたのは結局あんただし』

『俺は何もしてないよ。水無さんと……五木のおかげだ』

 名前を出すのをためらってしまったのは、縁子が紀斗のことを、命を懸けられるほどに好きだったことを知っているからである。

 迷った果てに、ここで聞かなければ必ず後悔すると思い直し、文を付け加えた。

『縁子は、五木のことが好きなんだろう』

 手を握り締める。傷はもう治りきっていたが、痛いものは痛かった。

『あんな男、こっちから願い下げよ。この私に見向きもしないで、チビっ子一直線なんだから。救いようが無いわ』

 嘘だということくらい、わかっていた。何年一緒にいたと思っているのか。そして、見え透いた嘘をついてまで強がらなければ自分を保っていられないほど繊細なのだということも、十二分にわかっていた。

 修平の代わりに縁子が巫覡になると正式に決定してからは、縁子の修行が一気にきつくなった。それでも縁子は決して人前で涙を見せなかった。唇を一の字に引き結んで、上を見ていた。

 縁子は天才巫覡ゆえに、他の巫覡の力を敏感に感知できた。だから、力が近づく気配がすると相手が現れる前に居住まいを正していた。

 しかし、力がない修平だけは知っていた。

 毎日修行が終わると、師範が帰って縁子一人になった暗い部屋で、声を押し殺して泣いていた。たとえ一人であろうと、思う存分泣くなんてことは一度もなかった。それでもときどき漏れ聞こえるしゃっくりに、何度声をかけようとしたことだろう。

 それを思いとどまったのは、泣いているのを修平が見ていたと知ったら、縁子の何かが壊れてしまう、そんな危うさを感じ取っていたからだ。

『じゃあ、五木はもういいんだ』

『だからそう言ってるじゃない』

『それならさ、俺が告白しても問題無いわけだよな』

 このような聞き方は卑怯ではある。しかし、今しか言えないのだから仕様が無い。

『俺、ずっとずっと縁子のこと好きだったし、これからも好きだから』

 呼吸を忘れて、画面を食い入るように見る。

『この私が、あんたの気持ちに気づいてないとでも思ってたわけ』

 一世一代の告白のつもりだったのに、とっくにばれていたという事実に脱力してしまう。

『あんたのこと、まぁ二番目くらいには好きだったんじゃない?』

 上からの物言いにも、反論する気はない。いつものことだ。

 意外に二番目にはランクインしていたらしいので、一応喜んでおくことにした。

 一番目が誰だったのかは、聞かなくてもわかる。

『修平』

 久しぶりに名前を呼ばれた。

『なるべくゆっくりこっちに来なさい』

 自分の分まで長生きしろ、とでも言いたいのだろうと文字を見守っていた。

『それまでに、修平を一番にしといてあげるから。あんまり早く来ると、まだ二番ってことになるわよ』

 理解するまでに、少し時間を要した。

 もちろん、言葉の意味はわかる。しかし。

『それから、格好悪いことばっかりしてると前言撤回するから。泣き虫も退治しときなさい』

 どうやら縁子は本気のようだ。

『それは大変そうだな。生きてる間ずっと気が抜けないじゃん』

『嫌なら別にいいのよ』

『嫌とは言ってない。縁子に好きになってもらうには、それくらいしなきゃ釣り合わないもんな』

『よろしい』

 冗談めかした、本気だった。縁子もそれをわかっている。

『次に会うのは、七十年後くらいかしらね』

 別れる体制に入ったことに気づき、修平は慌てた。

『晴臣様みたいに、そばにいてくれるわけにはいかないのか!?』

 パソコンに浮かんでいる文字列が歪んだ。

『泣かないの。私にずっと成仏するなって言う気?』

 唇を噛み締めると、鉄の味がした。

『ごめん。成仏したいよな。祈祷はどうする』

『自分でできるわよ。なにせ天才巫覡だから。……今だけ見逃してあげるから、そんな痛々しいことしないで』

 その言葉で、堰を切ったように涙が溢れた。

『そっちに行くまでには、強くなっとく』

『じゃないと許さないわよ』

 背中をぽんっと叩かれた気がした。

 昔縁子が励ましてくれた時のように。

『それじゃあ。またね、修平』

 「さよなら」ではなく、「またね」。

『またな。縁子、好きだから』

 何も表示されなくなったパソコンを閉じようと、手をかけた時だった。

『バーカ。「好き」には「大」をつけなさい。修平のこと、大好きよ』

 勝ち誇ったような笑顔が、脳裏に浮かんだ。

 まずはこの涙もろさをなおさなくちゃな、と思った。


     ✻        ✻        ✻ 


「ケータイあった?」

 初生は、戻ってきた紀斗に尋ねた。

「あったみたいだけど、そのままにしといた」

「え、何で?」

 歩き出してしまった紀斗を追いかける。

「多分明日、学校で届けてもらえるよ」

 初生は訳がわからず首を傾げたが、それ以上は質問しなかった。

「あのさ」

 言いにくそうに、紀斗が切り出す。

 初生は小走りで開いていた距離をつめた。

「松原に“願い”に騙されてるって言われたけど、違うよな。だって、お前今ほとんど力無いだろう。それでも俺はお前のこと好きだから」

 相変わらず、紀斗は真顔である。赤くなるのは告白される側の初生だ。

 初叶は、名前で繋がっているから一緒にいられると言っていた。しかし、その初叶ももういない。

 現在初生と紀斗が共にいるのは、力のせいでも願いのせいでもない。

「私も、かずのこと好きだよ」

 だから初生の想いも、純粋なものであるはずだ。

「それって、どういう意味の好き?」

 からかい口調で、紀斗は初生の顔を覗き込んだ。

「幼馴染じゃない方」

 さらに顔を真っ赤に染めて、初生はあらぬ方向を見た。

「恋って方な」

 初生がぶっきらぼうな言い方をしたことを全く気にせず、余裕綽々な紀斗である。その態度が、初生にはどうしても気に食わなかった。

「俺と、付き合って欲しい」

 立ち止まり、いきなり真剣な表情になった紀斗は、四ヶ月前と同じ台詞を言った。

「遅くなっちゃったけど……よろしくお願いします」

 真面目に頭を下げる。

 初生が顔を上げ紀斗と目が合うと、二人は同時に笑顔になった。

 どちらからともなく手を繋ぐ。

 たった今から、関係性が変わるのだ。




 いつも私が好きだったのは、強くて優しい人でした。


 そして、これからも一緒に笑い合いたいと、ずっとずっと願い続けた人でした。




                                     ―――了

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