第29話

「こんな…こんなつもりでは、なかったのに………」

 紀斗の隣にしゃがみ、修平も初生の顔を覗き込む。

 僅かに、ぴくりと眉が動いた。

「水無さんしっかりして!」

「初生、聞こえるか?」

 二人の声に呼応するかのように、初生の頬に赤みがさしてきた。

「命が、戻ってきている……?」

 ゆっくりと、瞼が開く。

 修平の言葉通りに、初生は徐々に身体の自由を取り戻していく。

「大丈夫か、初生」

「うん。………でも、何で」

 初生は自身に起こっていることが信じられず、起き上がって手を開閉しては「何で」を繰り返した。

「騙してもうて堪忍な」

 声のした方を振り仰ぐと、下半身は既に認識できないまでになっている初叶が笑っていた。

「騙したって、どういうこと」

 初生が再び手を握ろうとしたが、初叶に触れることはもうできなかった。すり抜けてしまう身体に、初生はそれでも手を添える。

「これは賭けだっだんやけど、上手くいったみたいやな。日香織―――お母さんの『娘を生き延びさせて欲しい』という願いは、今でもまだ有効なんよ」

 それは十年以上前、巫覡たちに襲われたとき初生の命を繋いだ母の愛。

「はつなちゃんからこの計画を聞いた時。僕の、そして自らの命をも犠牲に人類へ安寧をもたらすという決意に賛同はした。でもな、君は僕の大切な孫娘なんよ。そう簡単に死なせはしない。力が消えても、はつなちゃんが生き残れると思ったからこそ、実行に移したんや。まぁこれで天津甕星の力は消滅するから、この先は日香織の加護も消える。ちゃんと自分のこと、大事にするんやで」

「天津甕星の力を使えば生き残れるというのなら、どうして、初叶も生き残れるように願わなかったの!」

 大粒の涙を零しながら、初生は背景と同化し始めている初叶に詰め寄る。

「はつなちゃんは人間から産まれとるから、身体と力は別物や。力が無くなっても身体は残る。でも、僕は強大な力によって実体化してたんや。力がゼロになったら、何も残らへん。何も無いところから何かが生まれるっちゅうことは有り得ん。誰かの身体に乗り移ってしまうのが関の山や。そないなことになったら、また犠牲者が出るで」

 初叶はしゃがんで、初生に目線を合わせた。

 手を頭に乗せているが、それを感じることはもう、できない。

「始まりは、願いを叶えて欲しいって思いやった。願いを叶える力は手に入れた。でも、叶えてもらえたことは無かった」

 目を凝らさなければ、どこに初叶がいるのかわからない。

「はつなちゃんが初めてなんよ、僕の願い叶えてくれるんは。『ただ大切な人と一緒にいたい』僕の本当の願いを叶えてくれて、ありがとう。一足先に、日和と日香織に会うてくるな」

 初叶は確かに、心の底から笑っていた。

 仮面ではない、満面の笑み。

「くれた名前の通りやな。初めて、叶えてくれた」

 完全に、姿が見えなくなってしまう。

「初叶!!」

 何も存在しない空間に、初生は必死で手を伸ばす。

「次は、はつなちゃんの番やで。願い、叶うと良いな」

 遠い空から声が降ってくる。

 その声が触ったかのように、何か冷たいものが初生の首筋に触れた。

「雪だ……。」

 初生はしんしんと降り積もっていく雪の中にいつまでも座りながら、空を見上げていた。

 ゼロになった力で、初叶の幸せを願いながら。

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