第27話

 紀斗が部活に行くために教室を出ると、初生がいた。

 話しかけるなと言われているので、いつも通り無視する。

「待って」

 しかし、約十日ぶりに懐かしい声が呼び止めた。

「あのね、私のクラスに転入生が来て」

「吉田だろう。聞いた。全部な」

 初生は目を大きく見開いた。

「それなら話が早い。私ね、もうこの力を失くそうと思う。誰も傷つかなくて良いように」

「失くすって、どうやって」

「それは、」

「何してるんだ」

 話を遮ったのは、修平だ。

「ごめんね。巫覡としては二人が一緒にいるのを見逃せないから」

 申し訳なさそうに、パソコン片手に隣に立った。

「吉田君も、立ち会ってくれると嬉しいな」

「立ち会う?何に」

 初生は深呼吸した。

「“天津甕星”を、消すんだよ」

「消すって……話したと思うけど、俺には力がないんだよ。感知はパソコンでできるようにしたけど、吸収は…」

「違うよ。私、思いついたんだ。もう誰も傷つかなくて済む方法を」

 初生は、二人を交互に見た。

「巫覡の力を使おうとするから、犠牲者がでるんだよ。私とかずが、願えばいい」

 紀斗と修平は同時に息を呑んだ。

「“天津甕星”自身が“天津甕星”の力を消すっていうのか」

 修平がパソコンを起動させるためにしゃがんだ。

 その隙に紀斗が、巫覡である修平に聞こえないように、小声で初生に言った。

「それじゃあ初生が」

 初生はさらに小さな声で、屈んでくれた紀斗の耳元にささやく。

「大丈夫。消すのは“天津甕星”の力だけ。私自身が消えるわけじゃない」

 確かな言葉を聞いて、紀斗は安心した。

「そこ、何話してるの」

 修平に止められ、二人は距離をとった。

「水無さんの力が消えても、問題は“天津甕星”本人の方だ。晴臣様のかけた封印が解けてしまってからは行方不明になっちゃったし。今他の巫覡たちが探してはいるけど。水無さんの力じゃ、“天津甕星”に願いを行使することはできないだろうし……」

「晴臣様?」

 紀斗が首を傾げる。

「あぁ。俺の祖父で、巫覡のリーダーみたいな方だ。強大な力を持っていたらしい。“天津甕星”の封印をしたときに力を使い切って亡くなり、簡単に言えば霊になって指示を出し続けてくださっている」

 巫覡がそこまで人知を超えた存在であったとは。

 初生と紀斗はただただ驚いた。

「でも、その心配も要らないよ」

 初生は小さく笑った。

「私、初叶にもうこの計画を提案したんだ」

 意味がわからない、という様子の男子二人を見て、慌てて説明を加えた。

「初叶っていうのは、実は“天津甕星”のことなんだ」

「えぇっ!」

 修平が絶句した。

「封印が解けて直ぐ、初叶は私の前に現れた。初叶は誤解されてるよ。本当はただ、家族と一緒にいられるだけで良かった。初叶自身も“天津甕星”の力を嫌っている」

 呆然としている二人をよそに、初生は続けた。

「私とかず、初叶が願う。絶対にどんな願いでも叶うんだよ。私たちは願う。“天津甕星”の力が消滅することを」

 修平はすごい速さでキーボードを叩いた。

「ピロロン」

 直ぐにパソコンが鳴る。

「晴臣様からだ」

 初生と紀斗に画面を向けてくれる。

『確かにそうだが、信用ならん。我も立ち会う。そして、騙しておったときには容赦せんぞ』

「こいつ!」

 紀斗が怒りで顔を赤らめる。

「落ち着いて、かず。仕様がないんだよ。今までのことを考えたら」

 初生は修平からパソコンを借りると、慣れない手つきで文字を打ち込んだ。

『私のお婆ちゃんを好きだったのは、晴臣さんですよね』

「えっ?」

 横で見守っていた修平が声をあげた。

『日和さんのことか。彼女を好きだったのは、我ではない。兄の晴義だ』

「晴臣様は、松原に婿入りした晴海様との二人兄弟のはずでは………」

 修平にパソコンを渡す。初生では入力速度が遅すぎると判断したためだ。

 滑るように修平の白い指がキーボード上を動く。

『“天津甕星”との戦いで晴臣様がお亡くなりになり、縁子が当主になるまでの間晴海様が松原家と吉田家をまとめていらした。……晴義という名の人物は全く存じ上げません』

 英雄のように語られ、死して尚巫覡を導き続ける晴臣。そして、晴臣が母体から力を吸い尽くしたがために無能で産まれたともいわれる晴海。

 先代の当主の子供は、この二人だけだと聞かされていた。

『兄上も、愚弟と同じだった。それなのに当主となられた。だから我が当主に納まった折、重臣たちの手によって、兄上の存在が記録から消去されてしまったのだ』

 弟と同じ、つまりは晴義にも力が無かった。

 無能者が当主を勤めた。―――力ある者ほど、それを恥だと考える傾向にある。

「酷い………」

 口を押さえて、初生が小さく漏らした。紀斗も顔を歪めている。

 しかし修平は、無能ゆえに迫害され続けてきた自身の過去を回想し、彼らならそれくらいやりかねないだろうと納得していた。表立って罵られることはなくなったが、正式な当主となった現在でさえ、上層部の巫覡ほど修平に対し陰口を叩いている。

 かつての晴海もそうであり、縁子の才能が開花した途端に当主の地位から引き摺り下ろされた。その扱いからしても、巫覡内部での無能者の立場が垣間見えるというものだ。

『晴義様は、どうしていらっしゃらないのです』

『“天津甕星”に殺された』

 その場の空気が凍りついた。

『一体、何があったのですか』

 キーボードを叩く音が、やけに大きく響く。

『我が兄上と最後に会ったとき“天津甕星”について相談された。「私は当主として、巫覡を守る義務がある。だから“天津甕星”が真に危機を招く者であるのなら、消すべきだ。……そう自分に言い聞かせ、一度はお前に“天津甕星”を消す決意の文を書こうともした。しかし、やはり私には彼が悪には見えない。第一、日和さんの大切にしている者だ。日和さんが好きなのは、本当は私ではなく“天津甕星”だ。私はできることなら、日和さんと“天津甕星”の結婚を認めてあげたい。」兄上はそう言って、我の目を見据えた。その時の兄上の表情は、今でも忘れられない。我は反対だった。人ならざるものと巫覡との婚姻など。しかし、最終的に折れたのは我の方だった。「帰ったら、二人の結婚の儀を執り行う。」兄上は、はっきりとそうおっしゃった。それなのに、その日の夕方“天津甕星”の力が使われたのを感知し、兄上は亡くなった』

 それが全ての始まり。

「こんな弔い合戦は、もう終わらせなきゃ」

 初生は、両手で胸をおさえた。

「吉田君、タイプしてもらっていい?」

 修平が頷くのを見てから、初生は晴臣に語りかけた。

『確かに、初叶――“天津甕星”が晴義さんを殺してしまったのが事の発端かもしれません。でも、それは私の家族を殺していい理由になるのですか』

「お前の家族が殺されたって、どういうことだよ!」

 紀斗が驚き、肩を揺する。

「俺も知らない。水無さんの家族を殺したなんて記録は、どこにもなかった」

 修平も、画面に初生の言葉を打ち込みながら、怪訝な顔をする。

 いくら待っても、文字は返ってこなかった。

「逃げるなんて、卑怯だ」

 紀斗が吐き捨てる。

「最後にひとつ、自分で入力させて」

 初生が、修平からパソコンを受け取った。

『答えたくないのなら結構です。ただ、初叶は初叶なりに、自身の力に苦しんでいたということだけは言わせてください』

 パソコンを返すと、縁子が亡くなる前のようなすっきりした笑顔で紀斗を見上げた。

「力、貸してくれる?」

「でも俺の力はもうなくて……」

 修平が、力のグラフを表示させた。

「いや、五木の力は水無さんと共鳴して、増大してきている。ひとつだけなら叶えられると思うよ。どうするかは、五木次第」

 紀斗の答えは、決まっていた。

「もちろん協力する。」

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