第26話
「何もする気ぃは無かったんよ」
初叶は顔を伏せたままだ。
「前に言うたな、僕は恋をしたって。そんときに願ってしもうたんや。彼女を自分のものにしたいて」
初生は、かける言葉が無かった。
「僕の願いを叶える力は、はっきり言うて強すぎる。僕にとって、願うこと即ち叶うことや。彼女は僕を愛してくれとったけど、それが純粋な心だったんか僕の力に従わされとったんかは、結局わからず仕舞いや」
初叶は悔しそうでもあり、悲しそうでもあった。
「確かなんは、彼女を好きやった奴が他にもおったっちゅうことや。あいつは僕が人でないことも知っとって、何をしてでも僕を彼女から遠ざけようとした。して、叶ってしもうたんや。あいつが傷つく、最悪な方法で」
初生には、初叶の気持ちが痛いほどわかってしまった。
縁子を憎んだのは、巫覡に家族を殺されたせいもある。しかし、紀斗を奪われたからでもあるのだ。縁子が亡くなるという最悪な方法で、初生の願いも叶ってしまった。
それが“天津甕星”の力のせいではなかったのだとわかっても尚、初生から罪の意識が消え去ったわけではない。
「あいつが不幸になって欲しかったわけやない。でもな、そんなの何の言い訳にもならへんのや。力は人やない。情や常識なんて欠片もあらへん。はつなちゃんにもあったんやない?信じられへんような方法で願いが叶ったこと」
あったのだろうか。誰かの不幸の上に成就した願い。
願ったせいで傷つけた事。傷……怪我…………!
「あった……」
小学校の修学旅行の班決め。
初生は、紀斗と同じ班になりたいと願っていた。そしてその願いは叶った。
でも、もしもあの時紀斗が右手を骨折していなければ、違う班になっていたのかもしれない。
「はつなちゃんも、あるんやな」
初叶はとても苦しそうだった。
きっと何年もの間、一人で苦しみ続けてきた。
「初叶は……“天津甕星”の力が嫌?」
「嫌や。すっごく」
いつも笑顔だったのは、一旦その面を取ってしまえば二度と付け直す自信が無かったから。
「ねぇ初叶。私に考えがあるの」
ゆっくりと、初叶が顔を上げた。
✻ ✻ ✻
手にぐしゃぐしゃになった手紙を握ったまま、呆然と立ち尽くした。
「……………もう一度、言ってくれへん?」
声が震える。
聞きたくなどない。
それでも、知らなくてはいけない。自分が何をしてしまったのかを。
「先刻、晴義様が、お亡くなりに、なりました」
ゆっくりと一語一語をかみ締めるように、琴が繰り返した。
「晴義様は、至急晴臣様と直接お話したいと、大蔵へ向かわれておりましたが、無事に対談を終えて戻られた宿で倒れられていたそうです。発見されたときには既に、息をひきとっていたと」
わかっているのに、目を背けようとしてしまう。無意識に、心無い質問が口を衝いていた。
「死因は何なん」
「それはまだわかりません。持病はありませんでしたし、至って健康でしたが」
僕は、自分で自分を傷つけている。泥沼にはまっている。
俄に勢いよく襖が開いた。
「あなた!」
目に涙を浮かべた日和が、怒りを露に向かってきた。
ぱんッ。
避けるつもりなどなかった。むしろ、何発でも叩いて欲しかった。それで犯してしまった過ちを少しでも償えるのならば、いくらでも受ける。
しかし、日和が打ったのは後にも先にもその一回だけだった。
「琴、外してもらえるかしら。人払いを。しばらく誰も近づかせないで」
「承知いたしました」
静かに琴が部屋から出て行く。
沈黙が続いた。
二人で、声をあげずに泣いていた。拭うことをせず、慰めることもしない。
「ごめんなさい」
しばらくして、日和が僕に謝った。
「何で日和が謝まんねん。悪いのは全部、僕やん」
激しく首を横に振る。
「私もだよ。本当は私、あなたの正体と力を知っていた。でも、あなたが人でないと認めてしまうのが怖くて……。もしもそれを隠していなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない」
「日和のせいやない。僕が、晴義が消えることを願ってしもうたんや」
日和が、僕の顔を見上げた。
「こんなの、卑怯だとはわかってるけれど……。お願い、私にも償わせて欲しいの。このままならきっと私は、この先誰にも罪を問われない。婚約者が殺された、被害者として扱われるかもしれない。そんな未来に、私は耐えられないの」
胸が苦しくなった。
たった今、僕も日和と同じものを欲した。
責めて欲しい。蔑んで欲しい。哀れみでも、労わりでもなく。
「僕と一緒におったらこの先、辛いことだらけやで」
大好きな人。大切な人。
君にそんな顔をさせたくなかった。
そんな道を選ばせたくなかった。
「二人で、頑張って償っていこう?」
「……そうやな」
そっと、日和を抱きしめた。
重い罪で、この小さな身体が壊れぬように。
日和は、吉田家との縁を切った。けじめをつけるためらしい。
沢山の巫覡たちの反対を押しのけてのことだった。特に琴は最後まで日和を留まらせようと説得していたが、日和の決意の固さを知って納得してくれた。
「日和様の分まで、私は巫覡としてここに残ります。いつでも帰ってきてください」
「ありがとう。でも、私はもうこの家の敷居を跨ぐことはないわ。そうでなくては、償いにならないもの」
吉田の姓を捨てた日和は、母の旧姓である水無を名乗ることになった。
遠くへ。巫覡に“天津甕星”の力が届かない場所へ。
もう二度と、同じ罪を繰り返すことがないように。
そうして、十年の月日が流れた。
「あなたは、どうしたいの」
何の脈絡もなく、日和がそう尋ねた。
「どうって……力を使うことなく、日和と平穏に暮らしたい」
「私とじゃないと、駄目なの?」
「当たり前やん。僕が一緒に居たいのは、日和だけや」
日和が優しく微笑んだ。
「私以外も好きになれなくちゃ駄目よ。だってあなた、全然歳をとらないじゃない」
気づいていた。
鏡の前に並ぶと、同い年くらいに見えるようになっていた。出会った頃、日和はまだ十七歳くらいだったはずだ。
「でも、無理や。他の人を好きになんてなれん」
「私たちの子供でも?」
「………え?」
日和は真面目な顔をしていた。
「でも、“天津甕星”を増やすことになるかもしれないんやで」
「私ね、あなたと一緒にいて気づいたことがあるの。巫覡の力と“天津甕星”の力は打ち消しあう関係にある。……だから、私との子なら、力も弱まると思う」
おそらく、人間である日和よりも長く生きてしまうであろう、僕のために。日和が居なくなっても僕が一人にならないように。
そのために、産まれてきてくれたんだよ―――日香織。
日香織はすくすくと健康に育った。
毎年元旦には、おみくじを引かせた。それが、僕の考えた“天津甕星”の力を測る方法だった。誰でも、大吉が出て欲しいと願う。わざと大吉が出にくい神社に連れて行った。
「お父さん。今年も中吉だったよ」
悲しそうな顔をする娘には申し訳なかったが、大吉が出ないことに毎回安堵していた。
でも、そんな方法は無意味だった。
日香織が結婚し家を出てから、日和が種明かしをしてくれた。
「あなた、日香織が大吉引きませんようにって、無意識に願っていたでしょう」
「わかっとったんなら、どうして早く止めんかったん」
「だって……それであなたが安心することができるなら、いいと思ったから」
何年経っても、僕は日和に守られていた。
僕の知らないところで、ずっとずっと守られていた。そのことを本当に理解したのは、晴臣にかけられた封印が解けてからだ。
疑問に思っていた。何故、晴義が亡くなって四十年近く経ってから復讐されたのか。
水無家が襲われた日、日和が亡くなっていた。
日和はずっと、僕の居場所を巫覡に特定されないようにしていたのだと気がついた。
結局、僕は日和を守れなかった。
僕は罪を償うどころか、願いによって沢山の幸せを手に入れた。
日和、日香織、そして―――初生。
幸福をくれた君たちに、僕は何を返せるのだろう。
もう地上にはいない二人には、この先長い時間をかけて返していくしかない。
けれど初生は。
少しでも、苦しみを取り除いてあげられたら。
もう初生が“天津甕星”のせいで苦しまなくて済むように、僕ができること――――――。
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