第25話

 紀斗が休憩に入ると、一年生部員が駆け寄ってきた。

「今、部室で二年生の男子が五木先輩のことを待ってます」

「二年?誰だ」

「えっと……すみません、名前聞いてないです。背は高かったですけど、色白で優しそうな人でした」

 特に心当たりはなく、首をひねる。

 兎に角会ってみないことには話にならないと判断し、練習を抜けて部室に向かった。ドアを開けると中にいたのは、後輩が言っていた通りに知らない男子生徒だった。

「五木紀斗君ですか」

「誰」

 紀斗の問いには答えず、パソコンを覗き込んでいる。

「おい」

「やはり……そういうことか」

 ようやく顔を上げた男は、酷く悲しそうな顔をしていて、怒ろうと思っていた紀斗も言葉に詰まった。

「申し遅れました。水無さんのクラスに転入してきた、吉田修平です。聞いてない?」

「あいつとは最近口利いてないから」

「そうなんだ。それは縁子のせいだね」

 紀斗の顔が険しくなる。まだ縁子の名を無心には聞けない。

「君は予想通りの反応だ。俺は縁子の代わりの巫覡だよ」

 巫覡、という単語で、紀斗は修平の胸座を掴んだ。

「お前も、初生を苦しめに来たのか」

 顔を引き寄せても、修平が脅えるようなことはなかった。

 真っ直ぐ、澄んだ目を向けてくる。

「縁子が君たちを必要以上に苦しめていたのなら、僕が縁子の代わりに詫びる。すまなかった」

 投げやりでも、上辺だけでもない、真の謝罪だった。

 それで縁子を殺してしまったという罪悪感と後ろめたさが膨れ上がり、紀斗は静かに手を離した。

「俺も、いきなり掴みかかって悪かった」

 修平はワイシャツの襟を整えながら、「いいえ」と応えた。

「縁子は、水無さんと五木の詳しい調査記録を残してくれた。それは残念ながらかなり偏見を含んでいるものなんだけど、五木に関する資料はどれも君を巫覡から庇おうとしている節がある。君と縁子は、親しかったのか?」

 返答に困った。

 しかし紀斗は、正直に真実を話すことにした。

「俺と初生の仲を裂くために、期間限定の恋人にさせられた」

「……………そう。恋人に」

 修平が、紀斗から目を背けた。

「ちなみに、先日のバレンタインにはチョコをもらった?」

「いや。物は何も受け取ったことなかったけど」

「そっか」

 話しながら慣れた手つきでパソコンを操作し、画面を紀斗に向ける。三色の折れ線グラフだった。

 修平は、初生にしたのと同じ説明をした。

「じゃあ、あの事件は俺たちのせいじゃないって事か」

「まあ。縁子が憎まれていたのは気に食わないけどね」

 修平はパソコンを自分のほうに向け直した。

「それから、これは水無さんには言ってないんだけど、君には知っていて欲しいと思って」

 修平がそれまでより一段と真剣な顔になったので、紀斗も居住まいを正した。

「さっき見せた通り、縁子の力は常に減り続けていた。でも、水無さんから吸い取ったのはグラフが大きく凹んでいたところだけ。残りは、君から吸収していたのだと思う。縁子はよく君の身体に触っていなかったか?」

 思い返してみると、やたらとスキンシップを取りたがっていた。

 手を繋いだり、腕を組んだり。

「確かに触られることは多かったけど。俺には力なんてないんじゃ……」

「力はどんな生物にも少しはあるものだよ。誰だって、試合に勝ちたいときは願ったりするだろう。力があるからこそ願う意味があるってものだ」

 試合でも練習でも、いつも成功するようにと願っていた。願えば叶うと信じられるほどに、効果があった。

 しかし最近は、縁子が亡くなったことによる精神的な問題もあるが、確かに勝率や得点数が下がり続けている。

 修平の話は納得できた。

「その中でも五木は、触媒にもなれる程に力があった。でも君がこの部屋に入ってきたとき、確かに普通の人よりは大きいが、触媒となりうるような力は感知できなかった」

 つまりは、縁子に奪われたから。

「でも、そんなことして何になる?触媒は他の奴でもなれるんだろう。初生の力を消した方が……」

「そう、思うよな」

 床に引きっぱなしになっていたストレッチ用のマットに胡坐をかいてしまう修平。紀斗には背を向けている。

「おい」

「縁子はさ、君のことが好き……だったんじゃないか」

「告白されたのは事実だけど、それは……」

 嘘だと思っていた。初生に近づくための。

 しかし告白された時は確かに、真剣な目をしていた。

「これは俺の想像だけど、縁子の本心としては世界平和も“天津甕星”のことも、きっとどうでも良かったんだよ。………ただ、好きな人が傷ついて欲しくなかった。それだけのために行動していた」

 紀斗は縁子と一緒にいた時間を思い返した。

 初生が人質にとられていたし、全てが強引だった。

 それでも、本当はどこかでそれが縁子の真の姿ではないと気づいていた。

 真の縁子は、初めて会ったときの泣き虫な縁子だ。巫覡としての運命を嘆き、自らの意思で生きたいと泣いていた。

 縁子が選び取った未来。

 それが、自身を傷つけ嫌われてまで紀斗を守ることだったのか。

 あの四月の屋上で、泣いていた彼女を見つけたのが自分で良かったと思っていた。

 でも、今は。

 見つけてあげなければ、そしてもっと優しい人に見つけられていて欲しかったと心底思った。

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