第23話

「ごめんなさい!」

 深く頭を下げる。

 修平はうろたえた。

「どうして?」

「だって…私がいなくなって欲しいと願ったから……」

「“天津甕星”の力を使ったせいだと?」

 初生が小さく頷く。

「それはそれでいただけないけど。君は何か勘違いをしているよ」

 修平は一旦自分の席に戻ると、ノートパソコンを持って戻ってきた。

 戸惑う初生をよそにパソコンを立ち上げると、何か操作をして初生の方に画面を向ける。

 そこには赤、青、黄の三色で折れ線グラフが描かれていた。縦軸には何も表示が無く、横軸は日付と時間のようだ。今表示されているのは、二月十四日の分。

「このグラフは一体?」

「力の推移だよ」

「力って、“天津甕星”の?」

 修平は静かに首を横に振った。

「それだけでなく、巫覡としての力もだよ」

 いくら冬だといっても白すぎる、日に当たっていない人特有の指が黄色い線をなぞる。

「この一つだけえらく低い値を示している黄色いのが、縁子の力」

 その線は急激な右肩下がりで、特に十八時四十分を過ぎた辺りが崖のようになってしまっている。そして、四十五分の少し手前から赤と青しか記録されておらず、黄色はそこで消滅していた。

「最初、機械の故障だと思ったよ。でも他の二つの記録はきちんと取れているし、おかしいなと思い始めたとき、縁子の家から電話がきてね」

 縁子を撥ねたのは、十八時四十二分発の電車だ。

 黄色い線が消えた時刻と一致する。

「ここ、一気に力が減少しているだろう。そして、君の力も大きく減っている。“天津甕星”の力を使ったとすれば、一瞬大きく上昇するはずなんだ」

 四十分と四十五分の間を、修平の細い指が行き来する。

「巫覡の力がこの減り方をする原因は、一つしか考えられない。でも、信じたくはなかった」

 修平は強く唇を噛んでいた。

「君は巫覡が“天津甕星”の力を吸収できるのを知っているようだけど、吸収した巫覡の身に何が起こるかは知らないのかな」

 初生は口を押さえた。そうしなければ、叫んでしまいそうだったから。

 初叶に聞いていたではないか。

 ―――「奴等のその力は、命削ってやっとるみたいやった」

 あの時は家族を殺されたという話を聞いた後だったから、そこまでして殺戮をするということに悪意を感じただけだった。

「命を、削っていると」

「正確には、吸収したのと同じだけ自分の力を失うんだ。 “天津甕星”の力を巫覡の力で中和しているというのが仕組みだから。力がゼロになれば………死ぬ」

 修平が切りそろえられた爪でカツカツと画面を叩いた。

「この四十分と四十五分の間に、縁子は力を使い果たしているんだとわかった。水無さん、この間に体に触れられていただろう」

 頷くしかなかった。

 今にして思えば、あの時の縁子は縁子らしくなかった。いつもクールで大人びていたのに、鞄を置いた瞬間から人が変わったようだった。語気は荒く、目は真剣そのものだった。

「信じたくはなかった。あの縁子がそんな危険を冒すなんて。……そんな先入観を捨てていたら、縁子を守れたかもしれないのに」

 悔しそうに顔を歪め、拳を握り締めて歯を食いしばる。

 修平の後悔の念がひしひしと伝わり、初生は鼻の奥がツンと痛くなった。

「こっちも見てくれる?」

 修平が別のグラフを開く。

 同じく三本の折れ線グラフだが、横軸が一週間おきなっていた。

「さっきの細かいデータを平均した物だよ」

 青の線は何故か二月第二週のところから始まっている。赤は時々急激に下がりながらも、全体としては上昇していた。青が描かれ始めてからは、その角度が大きくなっている。一方縁子の力はなだらかに減少し続け、ところどころは大きく下がっていた。

「赤が何回か、がくんと小さくなってるだろう。その時黄色はどうなってる?」

「あ、いっぱい下がってるのと一致してる。じゃあ、この赤は誰の」

「君だよ。」

 こんなに力が増大していたのか。特に特訓も何もしていないのに。

「青いのは誰だと思う」

 修平に問われ、二月の第二週頃に現れた人物を考える。心当たりは一人しかおらず、またその人物が正解である自信があった。

「初…じゃなくて……“天津甕星”、だね」

 初叶と言いかけて止めたのは、修平には通じないと思ったからである。初叶という名は、初生がつけたのだから。

「ずっと、縁子の力が落ちていることは気づいていたんだ。それなのに俺は何もしなかった。少し考えれば、あいつが力の吸収に手を出していることくらいわかったのに。何のためにこんなグラフ作ってたんだか……!」

 そこで初生は、修平にとって縁子はとても大切な人なのだということがわかった。

「私のこと、憎くないの」

「え?」

 修平は驚いた顔をした。

「確かに、松原さんが亡くなったのは“天津甕星”の力のせいではなかったかもしれない。でも私さえいなければ、松原さんがこんなことになることもなかったでしょう」

「君は他の巫覡たちと同じ事を言うんだね」

 今度は、初生が驚く番だった。

「あなたは違うっていうの」

 パソコンをパタンと閉じてしまう。

「君や他の巫覡たちは、物事の本質が見えてないよ」

 正面に向き直る。初生も、しっかりと修平の目を見た。

「巫覡が憎んでいるのは、君じゃない。力の乱用だ。何故俺たちは戦い、恨み、殺し合わなくちゃいけない?俺は、力なんて使わずともわかりあえると思っている」

 初生は、縁子が亡くなってからずっと考えていた。

 何が正義で、何が悪なのか。

 誰が正しく、誰が間違っているのか。

 しかし、現実はきっとそうではないのだ。

 絶対なるものなど、ほぼ存在しないのだから。

「吉田君は、すごいよ。あなたみたいな人が、この力を持つべきだった」

 修平は悲しげに首を横に振った。

「俺はすごくなんかない。俺は巫覡としても使い物にならないんだ。僕には巫覡としての力がほとんど無い」

「でも、そのグラフ……」

 閉じられている黒いパソコンを指差す。

「代々巫覡なのは吉田家なんだ。松原はお爺様の弟が婿入りした家。だから、本当は俺が当主として君たちの監視に付くはずだった。俺は一人っ子だったから、念のためにと縁子も小さい頃から一緒に修行してた」

 遠い目で窓の外を眺める。

「差は直ぐに現れたよ。縁子は何百年に一度の逸材だった。そして俺は全く力を使えない。結局本家の俺を差し置いて縁子が当主に。もし俺に力があったら―――」

 修平が脇に抱えているパソコンは、たくさんの傷跡がついていた。

「それでも松原さんを助けるために、必死でそれを使ってたんでしょう」

 初生がそっとパソコンに触れると、修平は上を向いた。

「ほんの少しだけあった力と、文明の力を利用してね。このパソコンがなければ、本当に役立たずだ」

 震えを押し殺した声は、切なすぎた。

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