第22話

 花が無い。

 つい昨日まで縁子の席に手向けられていた花が、花瓶ごと消え去っていた。

 初生は不審に思いながらも席に着く。

 誰も話しかけてはこなかった。最近は、挨拶さえほとんど誰ともしていない。

 縁子が亡くなって以来、初生は人と関わることを極力避けていた。それは、縁子が残した言葉が引っかかっていたからである。

 ―――「紀斗なんて、たかが一触媒、くれてやっても痛くないってわけ」

 その言葉は、紀斗でなくとも触媒は勤まるということを臭わせていた。

 だから、『縁子のことがショックで今は誰とも話す気はない』というようなことを態度で示した。初生と違って感の良い友達たちは、初生の思惑通りに遠のいてくれた。

「はい、皆席に着きなさい」

 担任が教室に入ってきた。

 そして何故か生徒たちがざわめく。

 窓の外を見ていた初生は、そのざわめきにつられて前を向いた。

「このクラスに、転入生が来ました」

 手で示されたのは、黒縁眼鏡の男の子。背は紀斗より少し小さいくらいのように見えるから、わりと高い方だろう。

 先生は黒板に彼の名前を書いた。

「今日からお世話になります、吉田修平です」

 修平はそう言って深々とお辞儀をする。初生は顔を上げた修平と目が合った。

「仲良くしてあげて。吉田君の席は、窓側から二番目の列、一番後ろね」

「はい。」

 再び、生徒たちのざわめきがおこる。

 何故ならその席が、縁子の席だからだ。

 即ち、修平の席は

「お隣ですね。よろしくお願いします」

 初生の隣だ。

「……よろしく」


 休み時間には、修平の周りに沢山の生徒が集まった。皆新しいクラスメイトが物珍しいのだろう。

 席が隣なので、嫌でも全ての会話が聞こえてしまう。

 ムードメーカーの男子が、にやにやしながら修平に話しかけた。

「修平、その席大丈夫?」

「大丈夫って、何が」

 意味がわからず、修平は困った顔をした。

「実はさ、その席だった奴先週死んだんだよね。な、気味悪いだろ」

「あんた、そういう事言うのやめなよ!」

 樹理独特の高い声が教室中に響く。

 談話が息を潜めた。

「よりにもよって、初生の前で……」

「お前ら、事件の後水無に冷たくしてるくせに」

 初生はどきりとした。

 完全に樹理たちの気遣いに甘えていたが、傍から見ると彼女たちが友達を見捨てた人でなしのように映ってしまうのかもしれない。

「あんたみたいな無粋な男には、女子の気持ちなんてわからないんだよ」

 男子がバンッと机に手をついた。

「何だよ。お前だって松原は高飛車で嫌いとか、よく言ってたろ」

「そ、そうだけどっ!」

 二人の喧嘩に終止符を打ったのは、意外にも修平だった。

「俺もその子に同意見だな。死人に口なし。死んでしまった人は弁解できないんだ。悪口は良くない」

 修平の表情はどこか硬く、男子もそれ以上何も言い返さなかった。男子たちは居づらくなったのか、ぞろぞろと教室を出て行った。その他の集まっていた生徒たちも、そっと離れていく。

「君、ありがとう。縁子をかばってくれて」

 樹理はこくこくと勢いよく頷く。顔が赤い。

「あーあ。吉田君って、樹理のタイプまんまだからなぁ。理想が実体化したって感じ?」

 いつのまにか初生の隣にいた百世が呟く。

 樹理は玩具の兵隊のようにぎくしゃくと百世の方に来た。そのまま百世の後ろに隠れてしまう。いつも物怖じしない樹理らしくない。

「ほら、あっちいくよ」

 百世が樹理を引き連れて、溜め息混じりにこちらを窺っている智佳の元に行ってしまう。

「いい友達だね」

「え?」

 修平に話しかけられ、樹理から視線を外す。

「水無さんを庇うために、喧嘩ふっかけてくれたんでしょう」

 頬杖をついてこちらを窺っている。初生は修平に向き直った。

「何で転入生の吉田君が、松原さんのことを『縁子』って呼んだの」

 数瞬きょとんとすると、いきなり修平が腹を押さえて哄笑した。

「何がおかしいの」

 深呼吸をして元の表情に戻ってから、口を開く。

「いや、抜けてる子って聞いていたからね。随分と資料から受ける印象と実物が違うなと思って」

「資料?何の事」

 修平は、初生の警戒心が一気に上がるのを感じていた。

「本当に資料とは全然違う。警戒なんて言葉を知らないような子だと思っていた。縁子の偏見で事実が曲げられてしまっているのか……それとも、縁子の事件のせいで水無さんが変わったのかな」

 怖い顔で修平を見つめる初生。しかし、初生自身はそんな表情になっていることを知らない。

「俺は縁子の幼馴染だ。一緒に修行をした仲、と言ったらわかるかな」

「もしかして……巫覡!?」

 初生は勢いよく立ち上がると、窓に寄って修平から距離をとった。

「どうして逃げるの」

 修平も席を立ち、初生に近づく。

「近寄らないで」

 初生の目には、恐怖の色が窺えた。

「俺が近づくと、何か水無さんに不都合があるのかな」

「だって、力が……」

 最後まで言い切らずに下を向いてしまう。

「やっぱりそうか……。縁子は水無さんの力を吸収していたんだね?」

 あからさまに初生の目が泳いでいる。

「教えてくれてありがとう。これでやっと、謎が解けた」

 礼を言われて、不思議そうな顔をする初生。

「謎って何」

「縁子が死んだ理由だよ」

 初生の血の気がさっと引いた。

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