第21話

「ピロロン」

 肌身離さず持ち歩いているノートパソコンが、音を出した。まわりから一斉に冷たい視線が突き刺さる。痛いが、どうしても置いてくることはできなかった。たとえそれが、葬儀という場であろうと。

 この受信音は晴臣専用だから直ぐに対応する必要があるが、さすがにその場でパソコンを開くのは気が引けたので、一旦外に出る。

 ようやく人目のない所にたどり着き、デスクトップの『晴臣様』の文字をクリックする。画面に新たな文字が浮かんだ。

『この仕組みにはまだ慣れんな』

 キーボードの上に指を滑らせる。

『お手数おかけして、申し訳ありません』

『仕方あるまい。松原の娘が死んだのだからな』

 手のひらに爪を立てる。とっくに傷だらけになっていた。涙を堪える時の癖なので、意識して止めることができない。それでもなるべく傷が浅く済むよう、こまめに爪を切りそろえるようにしている。

『その後、何か変化は』

『特には。しかし、消えた“天津甕星”はまだ見つかっておりませんし、事態は悪化しているとしか言えないでしょう』

『御主に期待しておる』

『はい。わかりました』

 それ以上はもう、何も表示されない。パソコンを閉じ、粉雪を降らせる夜空を見上げた。

 手のひらに爪を立て、唇を噛み締める。

 しかし、どんなに自分を痛めつけても、堪え切れない。

「期待なんて、してないくせに」

 震える声でもらした本音は、僻みではなく、嘆きだった。


 式の途中で晴臣に呼び出されてしまったので、まだきちんと縁子に別れの挨拶ができていない。

 高校生にもなって泣きながら会場に入るのは恥ずかしく、涙が収まるのを待っていたのだが、次から次へと縁子と過ごした日々の記憶が蘇りその度に涙腺が緩む。結局、会場に戻れるまでに相当な時間を要してしまった。

 抜けたときには既に終盤になっていたので、俺がようやく戻れたときには既に葬儀は終わっていた。棺の前で、縁子の両親が蝋燭と線香の番をしている。そっとしておくべきだと判断し、踵を返した。夜はまだ長い。

 居場所を探して、隣の部屋を覗く。巫覡たちが、酒食のもてなしを受けていた。

「お、次期当主様じゃないか」

 障子の隙間から窺っていたのだが、大柄で鬚を生やした巫覡に見つかってしまった。仕方がないので、諦めて中に入る。

 沢山の巫女が泣き、沢山の覡が憤る。

 皆口々に“天津甕星”に罵詈雑言を浴びせる。

 やはり俺には、この空間は居心地が悪かった。

「さあ当主様、おひとつ」

 若い巫女が酒を渡そうとする。俺は彼女に手のひらを向け、拒否の意を示した。

「すみませんが、俺は未成年ですので」

「そう固いことおっしゃらずに」

 脇から男たちが茶々を入れてくる。

 いきなり、酒を差し出していた巫女に手を強く握られた。傷が疼くのを感じて、しまった、と思っても遅い。

「こんなに傷を御作りになって。御労しい……!」

 隠していた傷を、自らさらしてしまった。痛恨の極みだ。

「当主様、縁子様の敵をとるのです」

「当主様には、きっとそれがおできになる」

「あの晴臣様のお声を拝聴することのできるお方なのですから」

「憎き“天津甕星”の消滅を!」

「積年の恨みを、今こそ晴らしてください」

 一気に巫覡たちが盛り上がる。同胞の死によって沈んでいた彼らが、活気を取り戻した。

 憎しみによって気運を高めるなど、なんと哀れな。

 しかし今は、俺もその流れに乗ってしまいそうで―――怒りに身を任せて何も見えなくなりそうで怖かった。

「用がありますので、失礼します」

 わざと空気が読めない振りをして、退室する。

 このまま彼らと共にいれば、感情が麻痺してしまう。

 再び居場所を失い、当てもなく屋敷内を歩く。

 普段あまり立ち入ることのない、客間が続く廊下を通りかかると、中から明かりが漏れている部屋があった。確か、一番重要な客人を迎えるための部屋だ。

「どなたか、いらっしゃるのですか」

 数秒、音のない空間が闇を支配した。

「巫覡の、琴でございます。そちらは」

 それを断ち切ったのは、凛とした、老婆の声だった。

「俺は、次期当主です。入っても宜しいでしょうか」

「当主様であらせられましたか、勿論です」

 正座して、障子に手をかける。

「失礼いたします」

 部屋の中心で、白髪の女性が正座している。髪は低い位置で丁寧に三つ編みされていた。

 障子を閉め、彼女の正面に正座しなおす。

「何故、お一人でこんなところに?」

「私は縁子様に顔向けできないからです。こうなってしまったのは、全て私の責任ですから」

 無理やり笑おうとしているのが痛々しい。

「あなたのせいではありません。責任を問われるべきは、俺…私です」

 俺がもっと強かったら。

 そうすれば、縁子が亡くなるなんてことにはならなかっただろうに。

「あまりご自分を責めてはいけません」

「……それは、あなたも同じです」

 お互いに、同じ雰囲気を感じていた。

 罪の意識を持っている者。

「次期当主、とおっしゃいましたね」

「はい」

「ならばどうか、偏見を持たずにいてください。……縁子様は、些か正義感の強すぎる方でしたから」

 琴は、真剣な表情で俺の手をとった。

 確かに縁子は、とても正義感が強かった。弱いもの苛めも絶対に許さなかったし、困っている人がいたら助けずにはいられない。

 当然のように、“天津甕星”を悪として敵対視していた。

「偏見は持ち合わせていないつもりですが、どうしてそのようなことを?」

「若い方々、特に先の“天津甕星”との戦いで肉親を失われた方は“天津甕星”を絶対的な悪者と考えておいでです。しかし、私にはとてもそうは思えません」

「ちょっと待ってください。戦いって、何のことですか」

 琴が目を細めた。

「晴臣様が“天津甕星”本体の封印によって亡くなられたのはご存知ですか」

「はい」

 晴臣は修平の祖父に当たるが、遊んでもらった記憶はなかった。雲の上の人。会うことすら許されない、そんな存在だった。

 だから、祖父が亡くなったと知らされても、いまいちピンとこなかったのを思い出す。

「その“天津甕星”に封印をかけるための戦いのことです」

 犠牲が出ていたことなど、知らなかった。

 今なら、血走った目で“天津甕星”に敵を打てと迫ってきた彼らの気持ちが少し理解できる気がした。

 俺も縁子を失ったとき、胸に大きな穴が開いたようだった。

 それでも。

 ―――「私にはとてもそうは思えません」

 きっぱりと言い切った琴。

 “天津甕星”の肩を持つような発言をする人に出会うのは、産まれて初めてだ。

 この人になら、本心が言える。

「俺は誰かを正当な理由なく憎むつもりはありませんし、憎しみに支配され、復讐心によって行動するような悲しい生き方はしたくありません」

 琴は俺の手を離し、優しい顔をした。その瞳に、僅かに涙が浮かんでいる。

「ありがとうございます。ご健闘をお祈り申し上げております」

 畳に手を付いて、深く頭を下げられる。慌てて、その肩を起こした。

「俺…私は、頭を下げていただけるような者ではありません。これからも、ご指導のほど宜しくお願いいたします」

「はい」

 琴は、声を出さず静かに泣いていた。

 それにつられて、せっかく収まっていた涙が再び零れた。

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