第16話


 お互いの気持ちを知ったわけであるが、このままではいけない。

 隠すつもりは始めからないので、僕と日和は正々堂々、晴義に事の次第を話した。

 もちろん、そう簡単に認められるわけもなく。

 毎日毎日、二人で晴義の元へ行き、頭を下げた。

「頭を冷やせ、日和さん。人間ならともかく、その方は桜の精なのでしょう」

 その度に言われる言葉は、僕の心を深く抉った。

 人間ですらないくせに。

 一番気にしていることを突かれ、挫けそうになる。

 しかし、諦めるわけにはいかなかった。

 もちろん、日和が諦めたくなれば引き下がるつもりだった。でも、日和が僕との結婚を望んでくれている間は、僕から折れるようなまねをしたくなかった。それが、僕を選んでくれた日和に感謝の気持ちを示せる、唯一の方法だと考えていた。

 このままでは埒が明かないと思ったのであろう。

 晴義は、遠方の大蔵という地で修行をしているらしい次男を呼び寄せた。

 次男の名は、晴臣。

 歴代の巫覡の中で最も力が強いらしい。ここではもう晴臣の修行の相手をできる者がいないために、別の一族が率いる日本最大勢力の集団に一時的に所属している。日和に聞いた話では、晴臣は大蔵においてもその才能を発揮し、晴義が当主の座を明け渡す前に、日本一の巫覡になってしまいそうだ、ということだった。

 その最強巫覡に、僕を目利きさせようというのだ。

「これで僕が何者か答えられるようになるねんな」

 僕としては、自分の正体を暴いてもらえるのはありがたいことだった。自分が何者かわからないというのは、時々どうしようもない不安に駆られるものである。しかも、日和と共にあるにあたって、自身のことすら知らないのは、何とも頼りなく、情けないと自己嫌悪に陥る一因でもあった。

「……あなたは、桜の精だよ」

 晴臣が到着する予定日が近づくにつれて、日和は再び元気をなくしてしまった。

 ―――日和は、真実を暴かれるのを恐れていた。


 どんなに日和の元気がなくなろうと、時間が止まることはない。

「お帰り。長旅ご苦労様」

 玄関の広い廊下に巫覡総出で並び、晴臣を出迎えた。

「ただいま帰りました。兄上」

 晴臣は挨拶を返し、腰から折って深く礼をする。

 長く伸ばされた夜色の髪が、天辺でひとつに縛られている。鍛え上げられた身体は、軍人のように引き締まっていた。

「まずは、一息つきなさい。話はそれからだ」

 晴義の勧めで、晴臣は久しぶりの自室に向かった。

 服の袖を引かれる感覚がして、振り返る。

「どうしたん?」

 不安げな顔をしている日和がいた。

「『晴臣様が大蔵に帰って欲しい』って、願って。心の底から」

「願うって……」

 あまりに突然なことで、直ぐには頷けなかった。

「ただ、願うだけでいいの」

 必死の訴えに、わけがわからないなりにも応えてあげたいと思った。

 そして、同じ願うなら叶えてあげたい。

 目を閉じて、日和に言われたことそのままを全身全霊で願う。

 外から、誰かが駆けてくる足音がした。その音は徐々に大きくなり、玄関の引き戸が、外から勢いよく開かれた。

「晴臣様はいらっしゃいますか!」

 袴を着た丸刈りの、見たことのない若い男が、肩で息をしている。

「一体どうなされたのですか」

 まだ玄関に残っていた巫覡の一人が尋ねる。

「大蔵で緊急事態が発生いたしまして。どうしても晴臣様のお力をお借りしたいのです。私は使いとして大蔵からやってきました」

「それは大変。すぐに晴臣様をお呼びして」

「はい!」

 別の巫覡が、長い廊下を走っていく。

 晴臣は、直ぐに出てきた。

「せっかくの帰省でしたのに、誠に申し訳ありません」

 丸刈りが泣きそうな顔をする。

「気にしないでください」

 晴臣が短く返して、晴義の方を向いた。

「すみませんが、そういうことです」

「仕方あるまい。大蔵様のお役に立て」

 晴義は、晴臣の肩を強く叩いた。大きく頷いた晴臣は、外へ出ると振り返った。数瞬、初叶と目が合った。その瞳はどこまでも冷たく。

「落ち着いたら、手紙を出します」

 晴臣と使いの男は、大蔵に帰っていった。

 騒ぎを聞きつけ玄関に集まってきた巫覡たちは、ひとり、またひとりと、それぞれの持ち場に戻っていく。

「すごいね、あなた」

 隣にいる日和の笑顔は、どこかぎこちなかった。

「何で、願ってなんて頼んだん」

 真剣に問う。

 偶然にしては、あまりに出来過ぎている。

「晴臣様に会いたくなくて、」

「そうやない!」

 初めて、声を荒らげた。

 日和が怯えたのを見て、しまったと思っても遅い。しかし、どうしても謝る気にはなれず、そのまま続ける。

「日和、何か僕に隠してるんやない?」

「……何もないよ」

 目を逸らした。

 日和は嘘がつけない。

「隠さんといて。なぁ、僕は一体何者なん。本当は知っとるのやろ。答えて」

 顎を持ち上げて、こちらを向かせる。しかし、目を合わせてはくれなかった。

 空中を見つめる瞳が、濡れてきた。口を一の字に引き結んでいる。

 そんな顔をして欲しくなんてなかった。

「………もうええ」

 耐え切れずに、開放してしまう。

 俯いた日和の頬を雫が伝い、床に落ちた。

「話せるときが来たら、その時には教えてな」

 今は上手く笑えている自信がない。こんな顔を見せたら、余計に日和を苦しめる。

 わざと何もなかった風に、少し手荒に髪を掻き回す。こうすれば、背の低い日和から僕の顔は視覚に入らないはずだ。

 手を退けると、日和は髪を整えようとするのを装いながら、両の手で顔を隠した。そのまま、こくんと小さく頷く。

 それが、二人の限界だった。

 日和は逃げるように母屋を出て行き、僕は彼女を追いかけることができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る