第17話
前以上に、自分が何者なのか知りたくなった。
かといって、もう一度日和を問い詰めたりはしたくない。誰かが日和を傷つけるのも許せないが、それが自分であることは最も許し難かった。
日和を問い詰める以外に、僕の正体を知る方法はないか。
時間なら、捨てるほどあった。
考える。考える。考える。
―――「落ち着いたら、手紙を出す」
去り際の晴臣の言葉に思い至ったのは、それから三日後のことだった。
ただの近況報告か何かかもしれない。しかし、もうそれしか可能性はなかった。
あとは、どうやってその手紙を手に入れるかだ。郵便受けは門のところだが、屋内外からよく見える位置にあり、こっそり持ち出すのは厳しい。
「琴」
布団を干している背中に呼びかける。相変わらず律儀に正面に向き直り、何にございましょうか、と返してくる。
「変なこと聞いてもええ?」
いつになく小声になった僕に合わせて、距離を詰めてくれた。
「母屋の中、どこ歩き回っても怪しまれん人っておる?」
我ながら、怪しすぎる質問だな、と内心で苦笑した。
しかし、琴は至って真面目な面持ちで考えてくれる。
「全部屋となると、限られてくると思います。第一、一般の巫覡は身の回りのことを自分でやるのが基本ですから、他人の部屋にいたら誰であっても怪しまれますね」
「……晴義の部屋はどうなん」
「晴義様のお部屋なら、掃除やお食事運びのために何人かは自然に入れます。私も入れますよ」
「琴も」
「はい。それがどうかいたしましたか」
本当は、誰も巻き込みたくはない。しかし、僕はこの一ヶ月間を境内とこの客間のどちらかで過ごしてきており、それ以外の場所に侵入するには目立ち過ぎる。
「晴臣から晴義への手紙が読みたいんや」
それだけで、僕が何をしたいのかを全て理解したのだろう。
「上手くできるかはわかりません」
詳しい説明をする前に、琴が返事をした。
「それでも、出来る限りのことはしてみます」
布団を全て干し終わると、琴は部屋を出て行った。
彼女はきっと、手紙を持ってきてくれるだろう。
これでようやく、自分の正体を知りたいという願いが叶う。―――願い……………。
兎に角、自分の正体を知ることが先決だ。頭を振って、取り留めのない不安を押しやった。
琴が僕の部屋に来たのは、その日の夕方だった。
「どうやった」
開口一番、そう尋ねてしまった。
琴は僕の目の前に正座する。慌てて僕も、胡坐から正座になって背筋を伸ばした。
畳の上に白い封筒が二つ置かれる。
「一番上の引き出しにあったのを、拝借してきました」
それだけ言うと、琴は退室しようとした。
「待って」
とっさに呼び止めると、わざわざ身体ごと僕に向く。
「どうしてこんなこと協力してくれたん」
「……何故でしょうか。とても協力したい気持ちになったので」
一礼して、今度こそ退室する。
孤独の部屋に、二通の手紙。宛て先はそれぞれ、『吉田晴義様』『吉田晴臣様』となっている。晴義宛の方は既に封が切られており、読まれている。そして幸運なことに、晴臣宛の方はまだ口が糊付けされておらず、封筒を破ることなく中身を取り出せそうだった。
気が逸るのをなんとか自制し、まずは晴臣から晴義への手紙を広げる。
謹啓
新緑の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
早速ですが「桜の精」と呼ばれし者について、私の意見を述べさせていただきます。
私が先日訪問した際、県内に差し掛かった頃から非常に強大な力を感知しておりました。
しかし、その力は巫覡のそれとは感じが違ったので、不思議に思っておりました。
実際に対面して、確信いたしました。その力の持ち主は、紛れもなく「桜の精」と呼ばれし者です。
その正体は、「桜の精」などという神聖なものでは決してありません。
むしろ、その逆といっても過言ではないでしょう。
兄上も、人の強い思いが具現化したり、力を持ったりすることはご存知だと思います。
彼は正しくそれです。
人の強い願いの結晶。しかも、かなりの人数の思いが結合しているために、強大過ぎるほどの力を有しています。
大蔵で修行を積んだ今の私でも、互角に遣り合う事は難しいでしょう。
人の願いから生まれたならば、恐らく彼の力は、願いを叶える力。
彼は人間にとって危険な存在です。これは、吉田家始まって以来の危機であると考えます。
いつまでも「彼」と呼んでいるのはややこしいので、仮に古の悪神の名を拝借して「天津甕星」としておきましょう。
私は結局、天津甕星と一度も対峙せずに大蔵に戻ることになってしまったので、これ以上のことは掴めていません。
しかしながら、天津甕星が私より強大かつ危険な力を持っていることは事実です。
一刻も早い対策を、ご検討ください。
大蔵で天津甕星への対処法を考えておきますので、お返事お待ち申し上げております。
乱筆お許しください。
敬具
真っ白な便箋に、端正かつ雄渾な毛筆が並んでいた。
全てを読み終わったとき、思わず手に力が入り紙を握り締めそうになり、慌てて畳みの上に置いた。折り目でもつけてしまったら事である。
ずっと知りたかった自分の正体。
晴臣の文を読み、ようやく自分の中にある沢山の方言が何だったのかがわかった。あれは、僕を生み出した人々の願いだ。
願ったのに叶わなかった。
願うのを諦めた。
思った人に捨てられて居場所を失った無数の強い思いが、僕の中で存在し続けている。
大きく息をひとつ吐き出し、隣の封筒に手を伸ばした。晴義の返事だ。
前略
いくら私が当主であるといっても、兄弟間で格式張った手紙を送りあうことに違和感がある。よって、用件だけを簡潔に書くことにする。
天津甕星の件、迅速な対応が不可欠であると判断した。
「桜の精」と偽っていたことに対しても、怒りを覚えている。
天津甕星と日和さんの結婚など、言語道断。直ぐにでも天津甕星を滅するべきだ。
しかし、晴臣一人の力で太刀打ちできる相手ではない、とのこと。
現在の吉田家には、残念ながら晴臣よりも強い巫覡はいないが、何か協力できることはあるはずだ。ついては、晴臣に天津甕星撃滅を主導してもらいたい。
手紙はそこで終わっていた。
嘘だ。
初めて会ったときから、おおらかに明るく接してくれた。僕と日和との関係が変わった後は、多少棘のあることも言われたが、それは日和を想うが故。
それなのに、この手紙を書いた人物はまるで別人のようだ。天津甕星に対する明白な敵対心を持ち、天津甕星を撃滅しようと―――殺そうとしている。
人間を思うあまり、おかしくなってしまったのか。それとも……
―――今まで僕に見せていた晴義の方が偽りなのか。
僕は「桜の精」として紹介された。巫覡である彼にとって、ご神木の精霊ともなれば敬う対象だ。普段の自己を見せてくれていなくても、不思議ではない。
騙されていたのだ。
この手紙を書いた、殺しを命令する残酷な者こそが、本来の晴義なのだ。
悲しみと、絶望と、悔しさと、怒りとが、一気に噴出した。
便箋にしわがつくこともいとわずに、力一杯握り締める。
このままでは、僕は殺される。
信じこんでいた相手に裏切られるほど、苦しいことはない。
僕は、晴義を信じていた。信じていたからこそ、挫けずに日和との結婚を許して欲しいと頭を下げ続けることができたのだ。相手を信じていなければ、始めから頭を下げたりなどしない。
恋敵であり、友だと思っていた。
どうやらそれは、僕の一方通行の感情だったらしい。
晴義は、僕が死ぬことが痛くも痒くもない。殺すことに、なんのためらいもない。
このままでは、僕は殺される。
「……はっ」
息苦しく、ゼーゼーと呼吸をした。
体中が、汗でぐっしょりと濡れている。掛け布団を跳ね除け、右腕で目を覆った。
嫌な夢―――過去を見てしまった。
帰るべき場所も、存在していい場所もないので、ずっとホテルの空き部屋を渡り歩いている。金銭は持っていないので、申し訳ないと思いつつ、勝手に使わせてもらっていた。
こんな時に一人でいるのが辛い。
しかし、僕が頼っていい者など既にこの世にはいない。癒しを求めるには初生は幼すぎる。余計な心配もかけたくない。
拭いきれなかった涙が、頬の上を転がって枕に吸い込まれていった。
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