第14話

 携帯電話が着信音を響かせた。

 出ることをためらう。しかし、五コールを過ぎても鳴り止まない辛抱強さに負けた。

 腹をくくって、通話ボタンを押す。

「何の用」

 掛けてきた相手が修平であることは確認済みだ。

『縁子から愛を頂いたので、お礼の電話』

「はぁ!?」

 想定外の返答に、素っ頓狂な声をあげてしまう。

 愛?愛って何なのだ。

『チョコレート。今日、宅配便で届いたよ。縁子がバレンタインに誰かにチョコあげるなんて、初めてじゃない』

 初めて買った、バレンタイン用のチョコレート。

 もっと後に届くよう設定して贈るべきだったと、後悔した。

「別に、あんたが好きだからあげたってわけじゃないわ。たまたま売り場の前通りかかって、つい買っちゃっただけで」

 買ったはいいが、紀斗へ渡す勇気がなかった。自分で食べるのは惨めすぎるが、捨てるのももったいなく、どうしたものかと悩んでいたとき、何故か修平の顔が浮かんだ。長い付き合いの中で、プレゼントを贈ったことは一度もなかった。

 縁子の誕生日には必ず何かくれた修平。

 お返しをひとつもしないのも悪いし。

 別の人にあげる予定だったものを横流しするのも悪いのだが、そこには目を瞑ってもらうことにした。

『知ってるよ』

「何を」

『だから。縁子が俺のこと何とも想ってないってこと。……ったく、自分で言ってて悲しくなるから、言わせるなよ』

 怒ったような声は、作り物。

 あぁ。だからか。

 きっと私は心のどこかで、修平なら全てわかった上でそれでも受け取ってくれるとわかっていたのだ。

 めそめそ泣いているか、優しく微笑んでいるか。常にそのどちらかだった。

 皆に傅かれて育ったせいで、上からの物言いが当たり前になってしまった私。それなのに、修平は一度たりとも私に対して声を荒らげたことがなかった。きっと、私が人と接することが苦手なのもわかっていたからだ。

 大切な仲間であり、友達。

 恐らく修平も、私のことを親友だと思ってくれている。

「でも私、一番の理解者はあんただと思ってるわよ」

 ずっと隠し続けていた心を口にした。

 これが最後。

 私の全部を受け止めてくれた修平にあげられるものは、これが最後。

『縁子。何か、変なこと考えてないよな?』

「変なことって何よ」

 言い返しながらも、内心ひやりとする。

『俺さ、縁子が屋敷からいなくなってからすごい頑張って、力感知できるようになったんだ。しかも、かなりの高感度で』

「だから?」

『………縁子の力、日に日に減っているだろ』

 まさか、知られていたなんて。

「あんたには、関係ないでしょ」

『関係ないわけないだろう!俺の代わりに縁子が、』

「関係ないわ。だから、この先私の身に何が起ころうと、あんたには何一つ責任はない」

『本当に、一体何するつもりなんだよ』

 思いつめる質の修平を労わったつもりだったが、墓穴を掘ったか。

「何も。ただ、あんたにびーびー泣かれると面倒だから言っとくだけ」

『泣かねーよ。縁子、俺さ………いや、ごめん。何でもない』

 言いかけたことを打ち消して、それ以上何も言わなかった。

 その間合いのはかり方は、やはり縁子が望む通りで。

 でも、それでは駄目なのだ。

 素直になれない、捻くれた縁子に対して、間合いをはかってくれていては何も始まらない。

 修平が縁子に対して唯一理解していない点は、きっとそこだ。

「さようなら」

 縁子は別れを告げて電話を切った。

 バレンタインより前にチョコレートが届いてよかったのかもしれない、と思い直した。


      ✻        ✻        ✻ 


 二月一四日。

 鞄の中には、昨晩料理雑誌とにらめっこしながら作り上げたフォンダンショコラが入っている。ラッピングも凝って、紀斗にあげるものとしては初めて可愛くしてみた。例年は義理チョコを強調するかのように可愛い要素を避けていたのだ。

 初生は休み時間の度にC組に向かっては、廊下で楽しそうに話し込んでいる紀斗と縁子の姿を目の当たりにして引き返す。

 話しかければいいのだ。

 ただそれだけで、紀斗はきっと以前と変わらないように初生の方を見てくれる。

 でも、もしも迷惑そうな顔をされたら?

 縁子に言われて初めて気づいた、初生と紀斗の関係性の脆さ。

 ―――「結局のところ、あなたは関係ない。ただの幼馴染ってだけなんだから」

 次こそはと思いつつ、いざ二人を目の前にすると縁子の言葉が蘇る。

 そして、どこかで縁子の方が紀斗には似合っていると感じている初生自身の心に、さらに傷つくのだ。事実、学年でも一二を争う身長の小ささを持つ初生より、モデル体型の縁子の方が紀斗と釣り合う。初生と紀斗では、遠巻きに見ると恋人というより親子だ。

 そんな事を繰り返し、結局学校で渡すことはできなかった。

 今日も紀斗は部活があって帰りが遅い。初生は校門で待つことにした。

 今までは遅くまで働く父親のために家事をこなさなくてはいけないと思っていたから、放課後はなるべく早く家に帰るようにしていた。しかし、家には初生一人だけしか住んでいないという真実を知ってからは、少し手を抜いている面がある。

 どんなに室内を綺麗にしようと、どんなに美味しい料理を作ろうと、全て自分にしか還元されないのだから。

 紀斗に渡すための包みを鞄から取り出し、両の手でふわりと抱きしめる。

 空が闇に侵食され始めた頃、ようやくサッカー部員と思われる生徒たちが出てき始めた。

「水無じゃん」

 声をかけてくれたのは、雄聖だった。

 一年生のときは同じクラスだったので、それなりに仲はいい。女子とは上手くいかなかったのに一年間を何とか乗り切れたのは、男子たちが親切にしてくれたということが大きい。

 雄聖も、初生を助けてくれていた人の一人だ。

「確か、部活入ってなかっただろ」

「うん。かずを待ってるんだ」

 初生の返答と聞くと、雄聖は困ったような顔をした。

「用があるならまた今度にしてさ、今日は帰ったら?一人が嫌なら、俺が一緒に帰るけど」

 早くこの場を離れたいかのように、初生の腕を軽く引っ張る。

 雄聖の行動は、いつも相手のことを考えてのことだ。それは一年間でよくわかっている。今回も、初生のためを思ってこうしてくれていると感じる。

 それでも、今日渡さなければ意味がないのだ。

 十四日、バレンタインに渡さなければ、お菓子のお裾分けと大した差はない。

 それに今年は、伝えたいこともある。

 ようやく気づけた、本当の想い。

「ありがとう。でも、どうしても今日かずに会いたいから」

 雄聖の視線が初生の腕に落ちると、そっと手を離した。

 初生が大事に抱えているものが何なのか見当がついたようだった。

「そっか。何かあったら言えよ。……………負けるなよ」

「え?」

 じゃ、と短い別れを告げて、雄聖は校門から続く急な坂を下っていった。

 各部の部長、副部長は戸締りなどがあるため帰りが遅くなるが、副部長の雄聖が帰ったということは、部長の紀斗ももう帰れる状態になっているはずだった。

 根気強く待つ。

 背の高い影が近づく度に、心音が大きくなる。しかし、肝心の紀斗はなかなか現れなかった。

 帰宅ラッシュも過ぎ、気づけば教室の明かりもほとんど消されてしまっている。

「あっ、かず……」

 何故。

 ようやく出てきた紀斗の隣には、帰宅部であるはずの縁子がいた。

「あら、水無さんじゃない」

 蔑むように、上から見下される。

 それでも怯まずに顎を上げ、つけまつげで強調された漆黒の瞳を注視した。

「ちょっと外してもらえないかな。私、かずに話が、」

「それはできないわ」

 言うなり、縁子は紀斗の腕に自身の腕を絡ませた。

「紀斗、私と付き合うことになったから」

「え……。嘘、嘘だよね、かず?」

 紀斗は一切、初生を見ようとはしなかった。

 ただ一言。

「……ごめん」

 それだけを残して、二人で帰路をたどっていった。

 何故。

 一歩も動けずに固まってしまった初生は、あまりにも自然なカップルに見える二人の背中を目で追い続ける。本当は、見たくなどないのに。けれど、逸らすことができない。

 何故和斗は、縁子と付き合うことにしてしまったのだろう。

 返事が遅すぎたから?

 初生が嫌いになってしまったから?

 縁子を初生以上に、好きになったから?

 脳内に浮かんではこびりつく、あらゆる可能性。そのどれもが真実のようで、そのどれもに現実味があって。

 ゆらりと波打った風景の中で、二人の姿がひとつになった。

 もう、和斗の隣にいられるのは私じゃない。

 そのことを理解していくにつれ、未だ抱えたままでいるものが重く感じてくる。

「こんなもの……!」

 ぐっと奥歯を噛み締めて、溢れそうになるものを飲み込む。オリオン座を睨みつけながら、坂を下った。コンビ二から漏れる刺すような光が、ゴミ箱を照らしている。

 初めて作った本命のバレンタインチョコレート。

 ぽっかり開いた冷たい口から、闇の中へと落っこちた。

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