第7話

 「ケーキ屋さんになりたい」

 あ、それ子供の頃の話でしょう。今は別に。


 「会社のっとって億万長者や」

 結局わいは、万年平社員か。


 「ゼロレンジャーのレッドになって、地球の平和を守るんだ!」

 そんなもの、なれるわけがなかったんだ。


 「世界一幸せな花嫁さんになんねん」

 離婚手続き、面倒やな。何であんなんと結婚してもうたんやろ。


 「弁護士さなって皆を助けたいんじゃ」

 俺には無理じゃ。頭悪いやに、馬鹿だったもんぞ。


 「わたしね、歌手になるの」

 何よ今更。音痴なんだから、なれないに決まってるじゃない。


 みんな、どうして諦めてしまうん。

 僕を叶えてや。

 僕を願いのままにせんといて。

 叶えて欲しい。

 僕の願いは、たったそれだけやのに。

 僕を忘れんといて。諦めないで。

 僕を、存在させて。


「……きて。起きて。ねぇ、起きてってば」

 甘い香りがした。何か柔らかいものが、手に触れている。

 目を開くと、満開の桜の木があった。

 その手前に焦点を合わせると、心配そうにこちらを見つめる少女がいた。艶やかな黒髪は、耳の下に赤いリボンで一つに束ねられている。着ているのは白と赤の袴。巫女のようだった。

「あ、目が覚めた?」

 背中を支えて起こしてくれる。彼女との距離が縮まると、甘い香りがふっと強くなった。

 大きな桜の木に寄りかかって、眠っていたらしい。

 ここは神社の境内のようで、様々な大木があった。ご神木というやつだろうか。風が吹くと、淡い薄紅色の桜の花びらが僕らの周りを舞った。

「おおきに。助けてくれたって」

 するりと口から、言葉が零れ落ちた。

「関西弁?」

 彼女に聞かれて、戸惑った。自分でも何故こんな言葉遣いをしているのか、わからなかった。

 しかし、自分の中にある一番強い思いが、この方言で話している。とはいっても、沢山の方言が入り交ざっており、どれが本当の自分の言葉なのかはわからなかった。

「私の名前は、日和。あなたは、何者なのかしら」

 にっこりと微笑みながら、日和が立ち上がる。

 つられて立った。日和の背が低いのか、僕の背が高いのか、二人の身長には頭一つ分以上差があった。

「背、随分高いのね。そのわりに線が細い。ちゃんと食べていないのでしょう」

 日和は楽しそうだった。

「日和も小さいやん」

「あはは。そうね、私が言えたことではないわね」

 桜吹雪の中で笑う日和。

 その笑顔が自分に向けられただけで、胸がきゅうっと締め付けられる。でも、どこかが温かい。―――そうか。

 僕、日和が好きみたいやわ。

「あなたは結局、何者」

 神社の縁側に腰掛けて、隣を小さな手で軽く叩いた。座っていい、ということらしい。

 素直に従った。

 丁度正面に、ご神木の桜の木がくる位置だ。

「人間とは言わせないわよ」

 ぶらつかせている自身の足先を見つめたまま、日和が畳み掛けた。

「何でや」

 姿形は、人間の男そのものだった。どこにでもいそうな、背が高くて痩せ型の男。

 戸惑っていると、日和が顔を上げた。

「私ね、巫覡なの。巫女と言った方がわかりやすいかしら。……だから、あなたが人間でないことくらいわかってしまうの。力があるということは、使いたくなくても使われてしまうということだから」

 日和は、苦しそうな顔をした。

 本当は力など欲しくなかったというように。

「僕、目が覚めたらあそこにおったんよ。自分が誰かなんてわからん」

 正直に答えた。

 今の僕にある記憶は、沢山の声と思いと願いと、日和のことだけ。

「じゃあきっと、あの桜の精よ」

 日和は暗くなった自分を振り切るように、大きな声を出した。

「僕、そんなええもんやないと思うで」

「自分を信じなきゃ駄目よ。あなたはご神木の桜の精。いいわね」

 

 ―――今にして思えば、日和は始めから僕の正体を知っていたのかもしれない。


 日和は僕の手を引いて、母屋の中に入っていった。引き戸を開けると直ぐに、そろいの袴を着た女たちに出迎えられた。

「日和様、お帰りなさいませ」

 女たちは、一斉に床に手をついて深く礼をする。

「客人よ。粗相の無いように」

「承知いたしました。客間にご案内いたします」

「いいわ。私が案内します。お茶の準備はお願いね」

「畏まりました」

 外にいたときと打って変わって、日和は威厳に満ちていた。

 二人で長い廊下を進みながら、僕は声を小さくして尋ねる。

「もしかして日和は、偉い人なん?」

 僕の心配を吹き飛ばすように、日和が笑った。

 二人きりだと、室内でも外のように接して大丈夫なようだ。

「私、この家に嫁ぐことになったの」

 と、つぐ?

「この神社は代々吉田家が守っているのよ。現在の神主兼巫覡の当主には、三人の息子さんがいらっしゃって、その長男と私が婚約しているの。結婚の儀は、一ヵ月後くらいかしら」

 前を行く背中がひどく悲しそうに見えるのは、僕が失恋したからだろうか。それとも。

 日和が幸せなら、僕の恋が実らなかろうが構わなかった。

 でも、幸せでないなら。

「日和はちゃんと納得してるん?」

 隅々まで綺麗に整えられた部屋に通されたが、僕は掛け軸も生け花も観賞する気になれなかった。

 日和は背筋を伸ばして正座をした。僕も胡坐で視線を合わせる。

「私は、現代に存在する巫女の中で一番力が強いの。だから婚約。わかりきっていたことなの。もちろん、お相手の晴(はる)義(よし)さんは良い方よ」

 だからさっき、力があることを嘆くような顔をしていたのか。

「失礼します」

 僕の口より先に、襖が開いた。

「お客様がいらしておると聞いたが」

「晴義さん」

 日和に晴義と呼ばれた男は、巻き毛の短髪で温和な瞳の持ち主だった。

「日和さん、そちらの方は」

「桜の精です」

「ほう」

 晴義はさして驚いた風もなく、畳に腰を下ろした。

 やはり、巫覡だから力で人間でないことがわかるのか、と思っているとそうではなかった。

「私は巫覡の当主であるにも関わらず、力が弱いのです。だからこそ、強い力を持つ日和さんが必要だった。力を借りる以上、どんなことでも信じなければね」

 豪快に笑った。

「信頼しとるんですね」

「ええ、もちろん。三男は完全に力が無いので、婿に出る予定です。その代わり次男は、三人分の力を持っているかのように強大な力を持っている。落ち着いたら当主の座は弟に譲って、神主に専念しようと考えております」

 日和はずっと押し黙ったままだ。

「桜の精様。どうぞ、ごゆっくりしていってください。その間の世話は、あちらの巫女がいたします」

 手で示された方を見ると、襖の向こうにおさげ髪の女が控えていた。

 目が合うと深く礼をされたので、受け礼する。

「琴(こと)と申します。何なりとお申し付けください」

 外見に似つかわしくない、低い声だった。表情も硬い。

「待ってください」

 突然大きな声を出した日和を、全員が見つめる。

「世話役、私にやらせてはいただけませんか」

「日和様。結婚の儀が近うございますのに」

 おさげの女が、困った顔をする。

「お見つけ申し上げたのは私です。それに人間のお客様ではないのですから、それなりに大きな力を持った者がお世話役になるのが良いかと存じます」

 日和が必死になって、晴義に訴える。

 嬉しかった。僕のために、そこまでしてくれることに。

「わかった。日和さんに一任する」

 とうとう、晴義が折れた。

「ありがとうございます」

 頭を下げた日和と共に、僕も正座になって深く深く礼をした。


 ―――もしあのとき、日和が世話役になっていなかったら。

   晴義は日和と共に、幸せな人生を送っていたのだろうか。


 考えてもどうにもならないことを何度も考えてしまうのは、一人きりの時間が長すぎたからだ。

 十二年間、ずっと一人きりだった。

 しかし、永遠に続くと思っていたその闇は、突然終わりを迎えようとしていた。

 音さが共鳴するように、力が増大しているようだ。

 それに合わせて奪われていた自由が、山の雪が溶け出すように、少しずつ取り戻されていく。

 ここから抜け出すことは、まだ無理だろう。

 だが、近いうちにこの空間は崩壊する。綻びが今この瞬間にも広がっていることが、何よりの証拠だ。

 だから、あと少しだけ。

 君も、孤独に耐えていて。

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