第4話 諸葛姓

 大人二人のやり取りを我慢して聞いていた少年が、ここでやっと間を見つけたとばかりに割り込んだ。


「広元様。ぼくは諸葛しょかつきん、字を子玖しくといいます」


 先ほどまでのふくれっ面は、もう少年の顔から消えている。

 広元の気のせいだろうか、なんだか嬉しそうに見えた。


「西の城の主の諸葛玄は、叔父になります」

「……!」


 広元の合点がいく。城主のお身内……なるほど、だから護衛付きだったか。


「諸葛城主の従子おい御どのでしたか、これは……こちらから先に名乗りもせず失礼を」


 諸葛玄が誰かもまだ思い出せないくせに、広元は咄嗟とっさの間に合わせ応対をしてしまった。

 『城主』というからには、少なくとも宛では知られた方なのだろう……な?


 ———— 諸葛……聞き覚えはあるんだ。どこでだったか。


 複姓(二字姓)は国全体でも少数派で、広元の身近でも数少ない。そのため印象に残りやすい姓ではあった。

 広元はいま一度、真剣に記憶を探ってみる。


 ……少時を置いて。


 ———— ……あ!


 心中で声を上げる。やっとひとつの関連場面を引き出せたのだ。


 ———— そうだ、去年だ。郡国大(公立大学)の学生が、諸葛玄の名を言っていた!


 郡国大生の広元は、学友仲間とたびたび時事議論することがある。『諸葛玄』は、その折に聞きかじった名であったのだ。



 今から約三年半前まで、南陽郡を実質支配していたのは、袁術えんじゅつという名門出身の将である。

 初平四年(193年)、袁術は兗州えんしゅう(山東省、江蘇こうそ省、安徽あんき省に跨る地域)ぼく・曹操との戦に破れ、追われに追われて、揚州の寿春じゅしゅん(安徽省淮南わいなん市)へと逃げた。


 その袁術の麾下きかに諸葛玄という将がいるのだと、時事会話を囲っていた長身の一学生が言った。


「諸葛玄? 聞いたことないな」


 広元の隣にいた別学生が首を傾げる。言い出しの長身学生はもっともだとうなずき、


「そりゃまあ。全然大物じゃないからな」

「そんな一将を、きみ、なんで知ってるんだ。知人か?」

「いや。でも、ちょっとした事変の主役だったんだよ。南の方で」


 長身学生は語り始める。

 寿春に落ち着いた袁術から、諸葛玄は豫章よしょう郡(江西省北部)太守たいしゅ(知事)を任ぜられた。小役人だった諸葛玄にしてみれば大抜擢だ。

 早速、袁術から与えられた一軍を率い、豫章の州治所である南昌なんしょう県へ向かう。


「それがいざ赴任先に着いてみればさ。豫章郡には少し前に、朝廷から朱皓しゅこうって者が派遣されていたんだ」

「え、それは……ややこしいな」

「朱皓は朝廷からの正式任命だから、諸葛玄に対して当然『おれが本物だ、とっとと帰れ』と跳ねつける。だが諸葛玄としても、主君の軍まで授かって命を受けてるんだから、はいそうですか、と引き下がるわけにはいかない。……で」


 二者は戦火を交えることになった。

 そこに乱世特有の地方勢力が便乗加担して、事は泥沼化する。

 短い戦の挙げ句、諸葛玄は敗れ寿春に戻ったと、離れた荊州には伝わっている。


 ……という学生との時事会話を、広元は今、思い出したのだった。


 ———— その諸葛玄が今、宛にいるのか? ……どうして。


 世事の一連知識を持つ広元には、疑問が湧く。


 寿春はここから多分に遠地である。

 しかも、宛は袁術にとって敗戦で追い出された苦々しい元本拠地であるし、袁術と現在の荊州支配者である劉表との関係も、すこぶる悪い。


 ———— まさか豫章から敗走した諸葛玄に、『ひとりで南陽を取り返してこい』なんて、袁術が命じたわけでもなかろうに?


 この春に、南陽郡界隈で中規模の戦はあったものの、宛で戦があったという話は、袁術逃亡のあと聞こえてきていない。


 となると、考えられる筋としては。


 ———— 袁術から冷遇されて、諸葛玄は仕方なく、揚州を出たってことか。


 口内での呟き。

 目の前の当事者二人に確認すれば済む話ではあるものの、広元の立場で、そんな不快事情を尋ねるわけにもいかない。


 それでも、その推察はおおよそ合っているだろう、とは考える。


 ———— 袁術って男の評判は、なにかとかんばしくないからな。


 己で一方的に任命しておきながら勝手なものだが、袁術のそんな狭量さは、広元のような一般人でも時折耳にしていた。

 だいたい、いくら名門一族だろうと袁氏は朝廷臣下。勝手な太守任命など、していい話ではないのだ。


 ……されど。


 ———— 非道理なんて、今は珍しいことじゃない、か。


 騒乱が日常そのものとなった昨今、公正論の力がはなはだ弱体化しているのが実情であった。


 正義の定義なぞ、つまるところは実力者のものでしかないのだ。

 ……



「……あのう、広元様」


 思考の巡らせに黙りこくっていた広元に、子玖少年が遠慮がちに呼びかける。


 相手をいみな(本名)で口上するのは失礼なこととされているから、他人は相手を通常あざなで呼ぶのが礼儀だ。

 また字での呼称はもう一面、敬意もしくは親しみの表現という意味も持っていた。


「広元様。襄陽への帰りをお急ぎでなければなのですけれど……寄って行かれませんか? 西の城に」

「え……っ、城!?」


 まったく想定していなかった提案をされ、広元は思わず真似返ししてしまった。


 

<次回〜 第5話 「広元の選択」>

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