52.秘めた愛
「更紗……愛しているよ。君は美しい」
高遠伊槻は、乱れたシーツの上で更紗のロングヘアを弄んでいた。
「伊槻さん……。わたしもっと頑張って痩せるわ。合宿メンバーの中で一番先にBMI二十五を割ってみせる」
「君なら出来るさ。君は誰よりも努力家だ。自力で十五キロ落とした事といい、ここでの頑張りといい、他の誰よりも抜きん出ている。それだからこそ、僕は君に惹かれてならない」
高遠は更紗の豊満な胸に唇を落とすと、そっと彼女の頬を撫でる。
「君との事、合宿が終わったら伯父にも報告して良いかな?」
「伯父さんって、道祖土幹孝総理の事……?」
「あぁ。君との事は真剣に考えたいんだ。将来を見据えて真剣に付き合っていきたい」
「嬉しい、伊槻さん。わたし、あなたにふさわしい女性になるようにもっともっと努力するわ」
「ありがとう更紗。伯父さんも両親もきっと君の事を気に入ってくれる。僕は世界一素晴らしいパートナーを手に入れたって自慢できるよ」
更紗は、あの愛しい日々を邂逅していた。ここは冷たい塀の中で、愛する人の温もりも鼓動も何も無い。いや、愛する人の温もりには、永遠に触れる事は出来ないのだ……。
「井之上更紗、面会だ」
誰だろうか、と更紗は訝しんだ。
更紗の両親は離婚しており、母親とも折り合いが悪く、逮捕されてから母親は一度だけ面会に来たが、彼女を罵倒してそれは終わった。親子の縁は切る。そう言われたのだ。
面会室に行き扉をくぐると、そこには片山がいた。
「片山さん……? 何故あなたがここに……?」
「井之上さん……調子はどうだ? って、良いわけがないか。顔色も酷いしな。すっかり痩せ細って……」
「痩せたのはあなたも同じでしょう」
「俺はあの合宿以来酒を断っているだけだ。飯は食っているか? 大してうまい飯でもないだろうが、食うもんは食っておかないとな」
「何を……しにいらしたんですか?」
「あ、あぁ。実は今、君の減刑のための署名活動をしていて」
「……え?」
更紗としては青天の霹靂だった。片山はかつて自分が殺そうかとも考えていた人物だ。その彼が自分のために減刑を求める署名を集めていると言うのだ。
「署名って、何故あなたがそんな事を……?」
「君の事が、気になって仕方ないから、かな」
「それってどういう意味ですか?」
「俺は、気が付かない間に君に惹かれていたっていう事さ……」
「え……?」
「こんなおじさんが気持ち悪いかな? あはは……。でも、君の一生懸命さに惹かれたみたいで。時には鬼気迫っていて恐ろしいくらいだったけどな」
『更紗、君は誰よりも一生懸命で美しい』
一生懸命、その言葉は更紗が高遠に言われていた言葉でもあった。
「わたしが一生懸命だったのは、高遠先生のためっていうのが大きかったですよ」
「あぁ。分かっているさ。でも、その人の芯っていうかさ。内面の軸って、男やパートナーの有無でどうこうなるものじゃないだろう? 俺は君の芯の強さに惚れたって言うか……」
「わたしはあなたを殺そうかとも考えていた女ですよ? 皆からも聞いているでしょう?」
「あぁ、それは重々承知しているさ。君は一生懸命になる余り、俺をも殺そうかと考えていたってね。でも、俺はそうなっていても仕方ないって思ったんだ。俺は、君からしたら反対ばかりして邪魔な存在だったから」
「でも、あなたは間違ってはいなかったですよ?」
「間違ってはいなかったかもしれないが、君の壁にはなっていた。しかし、君が罪を犯す時間を一分一秒でも遅れさせられた事は良かったと思っている。出来る事ならば阻止したかったが」
片山も更紗も押し黙った。その沈黙を破ったのは片山だった。
「待っていても良いかな?」
「……え?」
「君が罪を償って出て来るのを待っていても良いかな。居心地の良い部屋を用意してさ」
「そんな……わたしは身も心も高遠先生に捧げた女ですよ」
「分かっているさ。でも、今をやり過ごすためには、パートナーがいた方が気が紛れるだろう?」
「あなたは、どんなに頑張ってもわたしにとっては永遠の二番手ですよ」
「二番手でもいいさ」
「そもそもあなた、既婚者じゃありませんでした?」
「合宿から帰って来てから速攻で離婚届に判を押して出したさ」
「そうなんですか……。でも、わたしの刑期が何年になるかなんて分かりませんよ?」
「君は、動機的には間違った事をしちゃいない。だからこそ減刑の署名にはもう三万筆も集まっているんだ」
「そんなに……。ありがとうございます」
「君はきっと減刑される。あの時のメンバー達もそれを願っている。君を責めるのは間違いなんだ」
「でもわたしは人殺しです」
「やった事は間違っていても、心はいつも真っ直ぐなままだ」
「片山さん……」
その後も片山は地道に署名活動を続け、半年後には七万筆の減刑署名を集めて裁判所に提出をした。
更紗の裁判は逮捕から一年後に行われ、執行猶予無しの実刑五年が課された。人をひとり殺した刑期にしては短く済んだのは、片山の減刑署名が実を結んだ結果だろう。
そして五年後、更紗は出所し、片山は彼女を迎えに刑務所まで来ていた。新緑が眩しい初夏の事だった。
「お帰り、そしてこれからよろしく、更紗……」
「ありがとう。ただいま。こちらこそこれからよろしくお願いします、譲治さん……」
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