30.渡会弥十郎の場合

「俺はよぅ、この年までずーっとひとり。ずっとひとりで生きて来たんだ」


 渡会は髪が薄くなった頭をポリポリと掻いている。


「俺の人生に女なんていなかった。中学を卒業してから東京で働いてよ。何度も職を変えたよ。土木作業や印刷所の手伝い。皿洗いに清掃員、なんでもやったよ。家に帰っても誰もいねぇ。俺の楽しみは酒だけだ。だから毎日赤ちょうちんに通ってよ。そこの親父と仲良くなると焼き鳥を一本サービスしてくれたりな。女がいるようなチャラチャラした店には行かねぇ。あんな店ぼったくるだけぼったくってバカみてぇな値段吹っ掛けて来るだろう? 俺にはそんな金も無かったし興味も無かった。たまには女と話したい時もあったけどよ、そんな時は赤ちょうちんにいる女に声を掛けてたよ。毎日働いて、赤ちょうちんか家で酒を飲んで寝るだけのつまらねぇ人生だ。俺の身体を気遣って飯を作ってくれる女房もいねぇ。だから俺は好きなもんを好きなだけ食った。そうしたらよ、年を取って来たらだんだん腹が出て来てな。気が付けば今みたいに太ってた。だけどよう、俺が長生きしたって何があるってんだ? それなら、好きな酒を好きなだけ飲んで、好きなもん食ってコテンと死んだ方が良くねぇか? だから俺は好き放題に生きて来た。だがよぅ、身体だけは丈夫に出来ていたみたいでよぅ、何の病気もしねぇんだ。健康診断に行っても医者は『どこも悪くないですね』としか言わねーよ! それでますます調子に乗って飲んで食ってな。それで、気が付いたらこの合宿に呼ばれてたってもんだ。あんな法律知ったこっちゃねぇよ。何が痩せろだ健康第一だ。知らねぇよそんなもん。国が勝手に言ってんだろー!? 太ってたって痩せてたって個人の好きなようにしたらいいじゃねぇか!」

 

 渡会の言葉は段々ヒートアップして怒りを帯びて来ていた。


「まぁまぁ、渡会さん。落ち着いて下さいよ」


 それに待ったをかけたのが祁答院だった。


「僕も好きなだけ食べて太ってしまった人間なんで、渡会さんの仰る事も分かります。でも、時代は痩身をもてはやすようになっているんですよ。実際、彼らの方が平均寿命が長いってデータも出ているみたいですし」

「だからよぅ、俺は長生きなんてしたくねぇっつってんだよ!」


 頭に血昇っている渡会のテンションは下がらない。


「渡会さん、あんたそんなに興奮していると今ここで血管が切れて死ぬよ?」


 カネ子が微笑みながら渡会にそう告げると、渡会は「ちっ」と舌打ちをしてまたもや頭をポリポリと掻いた。


「こんな所じゃ死にたくねぇよ。俺は家に帰って酒が飲みてぇ。ここで痩せて帰ったらよ、もう二度と合宿には呼ばれねぇと思うんだよな。それに、俺はもう道祖土さいど総理なんかがいる民慧党には票を入れねぇ。なんだあいつら、デブを目の敵にしやがってよぅ」


 すると、メンバーたちは「確かに」と同意をした。


「私もあんな党にはもう票を入れたくないわ。こんな惨事も引き起こしたわけだし」


 と言うのは未来だ。


「わたしも民慧党の道祖土は許しません。高遠先生の命を間接的に奪ったようなものなんだから」


 更紗が未来の言葉に重ねる。


「さぁさぁ、これで全員太った原因の暴露大会が終わったわけだ。どうです、少しは仲が深まりそうですか?」


 山室が場を纏めに入ったが、そこに片山が口を挟んだ。


「俺は白石先生の話も聞きたいと思う。ここに来て、何を思っているのか。俺たちを見ていて、どう思ったのかを……」


 それまでずっと黙ってメンバーたちの話を聞いていた白石は「私?」とキョトンとしている。


「私……私は……ダメなコーチですので……」

「そんな事無いです! 白石先生は大切な私たちのコーチです!」


 未来が自虐する白石の言葉を否定する。


「波岡さん……ありがとうございます。でも、私の言葉には何の価値も無いですよ……」

「そんな事無い! 皆、白石先生の事も知りたいって思ってる!」

「僕も知りたいです、白石先生の事を」

「俺も聞いてみてぇなぁ」

「ボクも……」

「わたしも……」

「あたしもだわ……」


 白石はメンバーたちの言葉に目を潤ませ、「じゃぁ……」と言って言葉を紡ぎ始めた。

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