28.井之上更紗の場合
「わたしは、ここに来る前、ピークの時は百キロあったんです」
更紗は毅然とし、そして背筋を伸ばして話し出した。
「わたしの両親はわたしが小学生の頃に離婚していて。わたしは母に育てられました。きょうだいはいません。一人っ子だったわたしは、母だけが頼りでした。離婚後の母は慣れない仕事に出て、徐々に疲弊していきました。それで、わたしに与えられる食事がだんだん変わって来ました。最初は朝ご飯が菓子パンのみになりました。お昼ご飯は給食があったけど、高校生の頃には給食は無くなっていて毎日コンビニで買っていました。夕ご飯も母は作れなくなり、まだ小学生だったわたしは、唯一作れたカップ麺ばかり食べていました。それで、高校生になってからは家計を助けるためにアルバイトを始めて。その頃には母は水商売に移っていて、男も出来て家に近寄らなくなっていました。わたしは愛に飢えていました。その愛を食欲で埋めるかのようにドカ食いをしていました。太りたくなかったから吐く事も考えました。でも出来なかった。自分で稼いだお金で買った食事を吐き出すだなんてわたしには出来なかった。高校卒業後は携帯電話の販売員を正社員でやりました。でも、人間関係に躓いて二年ほどで退職しました。それからはフリーターをしていて。ままならない人生にストレスはどんどん貯まっていって、それも食べる事で発散していました。そうしたら、気が付けば体重が百キロになってしまっていました。わたしはそこでハッとしました。二十一歳の時でした。それからダイエットを始めたんですけど、その一年後には肥満禁止法の話が出て来て、あと二年間で適正体重にならなきゃって焦りました。だから、スポーツジムにも通ったし、食事制限もして、何とかピークから十五キロ落として八十五キロになりました。わたしはダイエットをした経歴があるから、この合宿には呼ばれないって思っていました。もう少しで適正体重だったし、選ばれるわけないって思っていたんです。なのに、この合宿のメンバーに選ばれてしまったんです。本当に、あと少しで適正体重になれたのに、です。だからわたしは不本意でした。自力でも痩せられるって思っていたから。高遠先生はそんなわたしの態度を察してか、いつもわたしに励ましの言葉を掛けてくれました。『君なら出来るよ』っていつも言ってくれて、わたしはその言葉にどれだけ救われたか……」
ここまで話して、更紗は涙を堪えている様子だった。
「更紗ちゃん、辛いならもう話さなくて良いよ……?」
未来が心配そうに更紗を覗き込む。
「うん。ありがとう、未来ちゃん。でも、わたしは大丈夫」
更紗は涙を拭いて言葉を続けた。
「だから、わたしは高遠先生を殺したあいつが許せないんです。絶対に大嶺を捕まえてやるって、そう思っています。絶対に罰を受けさせてやるって。」
「えぇ、えぇ。それは私たちみんなの悲願よ、更紗ちゃん」
「そうよね。あたしだってあいつが許せないわ」
「ボクもあの超デブの事は許せない……」
女性陣の間に、何か共感の様なものが広がって行く。その共感は男性陣にも広がり、山室も祁答院も渡会も、片山でさえも頷いていた。
「あいつは次にどんな行動を起こすか分からない。他のメンバーにまで危害を加えないとも限らない」
山室が襟を正して言う。
「追い詰められた人間はどんな行動に出るか予測が出来ません。わたしは、一刻も早くあいつを見付け出して、そして高遠先生に謝らせたいんです」
「更紗ちゃん、それほどまでに高遠先生を尊敬していたのね」
「尊敬……? え、えぇ。未来ちゃんの言う通り、尊敬していたわ」
「高遠先生って、厳しいだけじゃなくて気配りなんかも凄く良くしてくれた人だものね」
「あたしは膝が苦しかった時に診察してもらった事あるわよー。丁寧に診てくれたわぁ」
「高遠先生、厳しいからボクはちょっと苦手だったけど、更紗お姉ちゃんみたいな頑張り屋さんには優しかったんだね」
「えぇ、とても良くしてくれたわ」
更紗は零れ落ちて来る涙を掬う。
「高遠先生は僕達男性陣にも厳しかったけれど、でも厳しいだけじゃなくて、何て言うか頼りがいがある兄貴って感じでしたね」
「俺は生意気な若造だと思っていたけどな」
「渡会さん……。でも、悪い人ではなかったでしょう?」
「あぁ、悪い奴ではなかったな。ある意味で平等な奴だったしな。年寄りにも容赦なかったからなぁ」
「俺と渡会さんの酒事件の時、諭し方とか巧いなって思いましたよ」
「あの時の酒、どこにあるんかなぁ?」
「捨てたんじゃないですかねぇ」
「とっておきのウイスキーだったんだがなぁ」
「今の状況みたいなストレスフルな状況だと飲みたくもなりますよね」
「あぁ。だが俺でも分かる。飲んでる場合じゃない」
「確かに」
この渡会と片山のやり取りに、メンバー達は「あはは」と笑いながらも気を引き締める。そう、今は非常事態で有事なのだ。
「じゃぁ、次は米田さんですかね」
山室が全員に向けて姿勢を正す。
「ああ、私だねぇ。じゃ、年寄りのつまらない話でもしようかね……」
そう、カネ子は言葉を編んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます