15.杞憂

 物資を乗せた船が本土に戻ってから四日目、ダイエット参加者たちは二週間目に突入したハードな運動と食事制限に少しずつ慣れてきた所だった。


 参加者同士のコミュニケーションも徐々にだがスムーズにいっており、全体的に和やかな空気が流れていた。ただひとりを除いては。


「……だぁぁぁ! 今日は俺が夕飯の当番かよ。しかも米田のばぁさんとかよ! ババァ! お前は足手まといだから俺がひとりでやるからしゃしゃり出てくんな!」


 大嶺はカネ子に対して激しい剣幕で共に食事当番をやる事を拒んでいた。


「そ、そんな。カネばぁはベテラン主婦だから、足手まといになんてならないはずですよ?」


 未来が丁寧に、さらに控えめに大嶺を諭す。それを心配そうに見ていた祁答院が口を挟む。


「波岡さん……ここは先生に任せましょう……刺激しても良くないですよ」


 大嶺は頑としてカネ子を足手まといだと侮辱していた。


 それを聞いていた高遠は、辛抱たまらんと言った様子で大嶺に詰め寄った。


「私は大嶺さんが米田さんよりも家事スキルがあるとは思えませんね。年長者から学ぶ姿勢があっても良いのではないですか? それともあなたはそんなに家事スキルに長けているというのですか?」

「うるせー! うるせーうるせー! こんな動きのとろいババァに指図されたくねぇんだよ! もちろん綺麗事ばっかのお前にもな!」

「あなたにお前呼ばわりされる筋合いはありません。全体の輪を乱す者は私は許しません」

「許さねぇだぁ? 何だやんのかこら! 俺に罰でも与えるか? そんな決まりこの集まりにあるのかよ!」


 実際問題、こういった反乱分子が出てくる事は政府の計画書には予想として含まれていなかったので、高遠としても手の出しようがなかった。この合宿が終わったら、異質な反乱分子への対応の仕方を検討してマニュアルに落とし込もうと考えていた。


「とりあえず、当番の時間の前に私の部屋に来て下さい。一対一で話し合いましょう」


 大嶺はその場に唾を吐き出すと、渋々だがそれに従った。


「……で、私はどうしたらいいですかねぇ?」


 カネ子が引き気味に大嶺に正す。


「俺がひとりでやるっつってんだよババァ! すっこんでろ!」

「おおお、威勢がいいねぇ。分かりましたよ。じゃ、年寄りは引っ込んでますかね」


 未来と佐恵子は、共にクロストレーナーで身体を動かしながらヒソヒソ話をしていた。


「あいつ、あの超デブ。あんな奴に任せておいて今日の夕食大丈夫なのかしら?」

「昨日の当番の時今日のメニューを見たら鶏むね肉のカレーでしたよ。それくらい作れるんじゃないですかねぇ。箱に作り方書いてありますし」

「カレーって言っても米がほぼ無いやつね。それとどうせブロッコリーサラダでしょ。あいつにでも出来るか」

「最悪カレーなら失敗してても何とか食べられそうですから」

「ああ、カネばぁのカレー食べたかったわ」

「ベテラン主婦が作るカレーは美味しそうですよね」


 うふふ、と笑いながら、二人は汗を流した。


 全体が良い汗をかき、その日のノルマを終える頃、大嶺は高遠の部屋に行った様子でトレーニングルームからは姿を消していた。


「高遠先生、大丈夫かしら?」


 更紗は涙目でそう訴える。


「泣く程のもの? え? 更紗ちゃんそんな感じ?」

「佐恵子姐、からかわないで下さい。わたしは本気で高遠先生の事が心配なんです」

「何を心配しているのよ。立場的には超デブよりも高遠先生の方が上でしょう?」

「でも、あの巨体が本気で暴れたら……」

「引きこもりにそんな度胸ないんじゃなぁい? 言葉は勢いあってもさ、腕っぷしは弱そうじゃない。ねぇ、未来ちゃん」

「そうですねぇ。でも、張り手とかされたら吹っ飛んじゃいそうです」

「未来お姉ちゃん、それは力士の所業」


 琴の一言で他の三人は吹き出した。でも、更紗はすぐに真顔に戻る。


「……何も起こらないといいんだけど」

「だいじょーぶよ! ねぇ!」

「大丈夫だと思いますよ……」

「高遠せんせーは強そうだから大丈夫」


 更紗は、全てが杞憂に終わればいいのだが、この胸騒ぎが気のせいだといいのだが、と切に願っていた。


「わたし、高遠先生の部屋をちょっと見て来ようかしら……」


 更紗はためらいがちにそう呟く。


「見に行ってあの超デブを刺激したらどうするのよー! それこそ暴れ出すかもしれないわよ!?」

「でも佐恵子姐、私、やっぱり高遠先生が心配なんです!」

「更紗ちゃん、心配なのは分かるけど、高遠先生は立派な大人で国を代表して来ている人だから大丈夫だと思うけど……」

「未来ちゃんまで。そんな、気軽に構えていて大丈夫なのかしら?」


 更紗はどこまでも不安だった。心臓は潰れそうなほどに苦しかった。


「高遠先生を信じて、夕食を待ちましょう」

「未来ちゃん……」


 誰もが、高遠を信じていた。誰もが、更紗は考え過ぎだと思っていた。


 そう、この時までは──。

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