14.船はそっと帰って行く
ダイエット合宿が始まって一週間が経過した。この日は、十六時に本土から必要な物資を乗せて船がやってくる日だった。未来は昨夜なかなか寝付けなかったので、日中の運動にも力が入らずに常に眠かった。
「なーんだか未来ちゃんたら眠そうねー」
佐恵子が未来の異変に気付く。
「佐恵子姐……。昨日ちょっと眠れなくて寝不足なんです。それでいていつものハードなメニューをこなさなきゃならないじゃないですか。もうヘトヘトですよ」
「こんなに疲れているのに眠れないってよっぽどね。何か悩みでもあるの?」
「悩みってわけではないですけどー」
未来は昨日高遠とぶつかった時に、白石が体調不良だという話を本人に確かめる事が出来ないでいた。しかし、白石はこの日の朝も通常通り職務に励んでいた。それが余計に未来のモヤモヤを増長させる。
「何でもないです! ホームシックってやつですかね!」
「あらー、ホームシック。きっと素敵なご家族に恵まれているのね」
「そうでもないですけど……普通の一般家庭だと思います」
「私は旦那の世話をしなくていいから清々しているけどね! 高校生の息子の事はちょっと心配かしらね。でもあいつももう大人だから大丈夫よー」
佐恵子は口を開けて豪快に笑っている。未来はこの笑顔に救われた気持ちになった。
全部で十二人に必要な食料や日用品は、なかなかの量になっていた。だから、船が着いた際には全員で荷物運びをする事になっていた。
「それでは、持てる分だけ段ボールを持って、どんどん建物に運んでください。とりあえず玄関ホールに並べておいて下さればいいです」
白石の号令で全員が動き出す。
船着き場では、高遠と船員たちが話し込んでいる。次回に必要な物資の相談でもしているのだろう。
渡会やカネ子といった高齢者も、軽めの段ボールを運ぶ役割を担っていた。ここでは、だれもが平等で公平だった。
その静寂を破るような絶叫が聞こえた。
「だからよぉ、俺は帰りてぇんだよ! もうノイローゼだ! 重症だ! 今すぐ家に帰って精神科医と話をさせてくれ!」
声の主は大嶺だった。
白石に食って掛かる大嶺の姿を見付けて、高遠が急いで近寄って来る。
「何を騒いでいるんですか、大嶺さん」
「あ、高遠先生、大嶺さんが帰宅したいって騒いでいて……」
「お前、高遠に何度言ったって俺を帰してはくれねぇんだ! 白石先生、なぁ、俺帰ってもいいだろう!?」
大嶺はとても興奮した様子だ。
「大嶺さん、あなたがノイローゼだという根拠は何ですか? あなたはただ家に帰りたい。甘やかしてくれる母親の元に帰りたいだけではないんですか?」
高遠が冷静に大嶺を叱責する。
「俺がノイローゼじゃないっていう証拠もねぇだろ! お前みてーなヤブ医者に何が分かる! 俺はノイローゼだ! 今すぐ船に乗って帰るっっっ!」
無理矢理船に乗り込もうとする大嶺の腕を、高遠が締め上げた。
「いててて! 何すんだこの野郎!」
「それだけの元気があれば結構。あなたはただの甘ったれで、ノイローゼなどでは決してない。だから帰宅は認めません」
それを見ていた未来と佐恵子は、ヒソヒソと声を合わせる。
「もうさ、あんな奴帰っちゃえばいいのよね」
「私もそう思います。でも、何であんなに頑なに帰さないのかしら?」
「さぁ……あたしたちが第一回のダイエット合宿のメンバーなんだし、失敗したくないんじゃない?」
佐恵子の指摘はほぼほぼその通りだった。高遠と白石は、ダイエット合宿の初回を任された選りすぐりの人材だった。この合宿を成功させ、二回目、三回目へと繋げる事は政府の悲願であり、その政府を選んだ国民の願いでもあった。大嶺のような爆弾をメンバーに選んでしまった事は失敗だったと言えるが、その大嶺もダイエット的には順調なのである。全員の体重を最短ルートでBM二十五以下にし、三カ月の訓練満了前に華々しく凱旋する事は、上昇志向の強い高遠と白石の悲願でもあった。
「大嶺さん、あなただって痩せて来ているんですよ、私たちともう少し頑張りましょう! ね。高遠先生もそうお思いでしょう?」
「白石先生……。そうですね。大嶺さん、もう少し私たちと頑張ってみませんか? 必ずあなたも健康的に痩せますから」
「うるせー! うるせーうるせー! 何と言われても俺は帰る!」
その時、船が桟橋から離れた。いつの間にか荷下ろしは終わっていて、高遠から次回に必要な物資も託されていた船員の判断で、すでに船は本土へと戻って行く所だった。
「あ! 船が行っちまう!」
「諦めて下さい、大嶺さん。どうしてもノイローゼだと言うならば、私が然るべき時にその判断をしますから」
「ちくしょうっっっ!」
大嶺は足元にあった木の枝を雑に蹴り飛ばすと、何も持たずに合宿所へと戻って行った。
「手間がかかりますね、高遠先生」
「そうですね……。我々は少し人選ミスをしたようです」
「ですが、大嶺さんがあそこまで太っている以上、いつかは合宿のメンバーに選ばれていましたよ」
「それもそうです。始めの内に手こずっておけば、後々の合宿の際の良いヒントになるかもしれませんね」
「えぇ、そうですわ」
高遠と白石は大嶺の背中を見つめる。これ以上彼が問題を起こすような事が無ければいいのだが、と、切に願っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます