9.談話室にて

 館内の見学はあっという間に終わった。


 一階には食堂、厨房、ランドリー、トレーニングルーム、談話室がある。二階と三階は宿泊フロアになっている。館内には自販機が取り付けられているが、置いてある飲み物は水とお茶類だけだった。コーヒーもある事にはあったが、全てが無糖のものだった。


 この日はこれで全てのプログラムが終わりだった。昼食が十五時と遅かったので、夕食は無しとの事だった。


 二十一時の消灯時間までは荷物の整理など自由にして良いとの事だったので、未来は佐恵子に誘われて談話室に来ていた。談話室には先客がいた。渡会と片山だ。


「……だからよ、俺の部屋に来いって言うんだよ……」

「大丈夫なんですか、渡会さん。死なばもろともって、あんたなんかと一緒に自滅したくないんだが……」


 ふたりがヒソヒソと話をしている所に、未来と佐恵子が入室をした。


「あらぁ、渡会さん? に、片山さん……でしたっけ? 何をヒソヒソ話をしているのかしら?」


 佐恵子が面白がっているかのように聞く。


「何でもねぇよ! 俺と片山の男同士の話ってやつだよ!」

「ははは。本当に何でもないんですよ。ねぇ? 渡会さん」


 ふたりはそう話をはぐらかすと、そそくさと談話室を出て行った。


「何よあれ。感じ悪いわぁ、あのクソジジイ。中年の方はちょっとイケオジっぽいけど、何だか全然ね」


 佐恵子が不服を口にしていると、更紗と琴が談話室に入って来た。


「あ……波岡さん? と、越本さん? ですよね?」

「えぇ、そうよ! あなたは井之上さんで、隣の子が畠山さんよね?」

「そうです。あの、わたしたちもお話に入れてもらっていいですか?」


 更紗が遠慮がちにふたりに尋ねる。

 未来は持ち前のコミュ力でふたりに明るく振る舞う。


「もちろんですよ。私と井之上さんって年が近いですよね。お話してみたいなって思っていたんです。畠山さんとはちょっと年が離れているけど、いいお友達になれたらなって」


 未来は元々社交的な人間ではなかったが、大学卒業後会社員になり、一般事務員という各方面からのサンドバッグになりえる部署に配属されたおかげで、相手をうまくかわす術を身に着けていた。


「ボクぅ、一人っ子でお姉ちゃんとかお兄ちゃんとかいなかったんですよー。だから、波岡さんとか井之上さんとか、お姉ちゃんが出来たみたいで嬉しいですぅ」


 琴が甘ったるい喋り方で未来と更紗にすり寄る。


「あはは。お姉ちゃんだなんて嬉しいわ。ねぇ、これから私たち一緒に生活するんですし、女子の間では名前で呼び合うのってどうですか?」

「いいですね! 賛成!」

「嬉しいですぅ。未来お姉ちゃんに更紗お姉ちゃん」

「ちょっと、あたしは何なのよ。皆のお母さんか何かなの?」


 佐恵子が豪快にこのやり取りを笑い飛ばす。


「そうですね。佐恵子さんは姉御肌っぽいから、佐恵子ねえって事でどうでしょうか!?」

 

 未来がいたずらっぽく笑う。


「あはは。いいじゃない佐恵子姐。じゃぁ、私が皆をまとめるつもりでいなきゃね!」

「そういえば、ここに来ていない米田さんですけど……」

「ああ、あのおばあちゃん」

「米田さんにも、何か愛称が欲しいですよね」

「本人が居ないからなんとも言えないけど……」

「米田さんはぁ、カネ子って名前みたいですから、カネばぁでいいんじゃないですかねー」

「カネばぁ、それは良いかもしれないですね」


 更紗は黙ってこのやり取りを聞いていたが、フッと微笑むと一言「これなら安心してダイエット出来そうです」と呟いた。


「所で、明日の朝ご飯の当番って、琴ちゃんとあのクソジジ……いや、渡会さんよね」

「そうなんですぅ。いきなり当番なんですぅ。渡会さんって怖そうだし不安ですぅ」

「大丈夫よ、琴ちゃん。きっと渡会さんだって最年少の琴ちゃんに意地悪はしないわよ」


 未来は希望的観測で琴を慰める。


「わたしなんて、お昼ご飯の用意片山さんと一緒ですよ。あの人料理出来ないっぽいですし、大丈夫かしら……」


 更紗が不安を口にする。


「ああ、あの男尊女卑おじさんね。今時男子厨房に入らずなんて古いのよー。あたしと組んだら徹底的にしごき直してやるのにね!」


 佐恵子が大口を開けて笑う。


「私は……夕ご飯を山室さんとですね。山室さんってあんまり口を開かないしミステリアスな雰囲気ですよね。新聞記者さんらしいけど、ここでも何かスクープを狙うのかしら?」

「やだー、未来ちゃん! ここでそんなスクープだなんて何が起こるのよー。やめてよね、金田一の世界じゃあるまいし。ここで殺人事件とか起きたらどうするー!?」

「きゃー、やめて下さい! 怖いですぅ」


 佐恵子の冗談に、琴が半泣きで抵抗する。


「ここには高遠先生や白石先生みたいな立派なトレーナーさんがいますし、事件なんて起こりませんよ」


 更紗が顔を赤らめながらそう話す。


「あら、そうかしら? 無人島で男女十二人が集まったらそこは二時間サスペンスよ!?」

「もう! やめてあげて下さい、佐恵子姐!」

「もう、佐恵子姐の意地悪ぅ。ボクもう寝ます!」


 四人は一様に大笑いをすると、それぞれの部屋に帰って行った。


 この時の佐恵子の冗談が冗談でなくなる日が来るとは、この時は思ってもいなかったであろう。まさかこの十二人の中に、心の底に狂気を宿した人間が紛れ込んでいたとは、誰も思ってもみなかったろう。


 その狂気は、爆発する時を虎視眈々と狙っていたのかもしれない。もしくは、誰かがそのスイッチを押してしまったのかもしれない。


 ただ、今は参加者もトレーナーもその狂気に気付く事の無いまま、静かな眠りに就くのであった。

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