4.上陸

 海はとても穏やかだった。


 これから厳しいダイエット合宿に行くのでなければ、絶好のクルーズ日和だったと言えるだろう。波岡未来は海無し県に生まれ育っていたので、高速船にここまで長時間乗る事は初めてだった。他の参加者たちも、それぞれがこの絶景を堪能していた。


 そして一時間半の航行を経て、一行は矯正島に上陸する事となった。


 矯正島の周囲はおよ二十キロメートルで、徒歩でも四時間もあれば一周できる規模の島だった。この島には、かつては民間企業の保養所があり、今は利用されていないため、国が買い上げてダイエット合宿用に整備をしていた。なお、十五年前まではある程度の島民がいたが、少子高齢化が進み、仕事になるような産業も乏しく若者が本土に流出していってしまい、いつしか無人島になってしまっていた。かつての家屋は、廃屋として残っている。


「あー、船の旅って気持ちが良いですねぇ。これがバカンスだったらもっと良かったのに」


 未来は思った事を素直に口に出すタイプだ。それを聞いていた佐恵子が吹き出しながらツッコミを入れる。


「あはは。全くもう。未来ちゃんってば緊張感無さ過ぎよー。これからあたしたち厳し~いダイエットをさせられるのよー?」

「だからぁ! バカンスだったらもっと良かったって言ったじゃないですか~!」


 未来は頬を膨らませて反論をする。やり取りを見ていた白石が呆れ顔で会話に入って来る。


「波岡さん、越本さん、ここでのダイエット合宿は遊びではありませんよ。気を引き締めて臨んで下さいね」

「「はーい」」


 未来と佐恵子は白石の注意を不服だという素振りを見せながらも渋々従った。


 最後に船から降りて来た高遠が号令を掛ける。


「では皆さん、これから三十分ほど歩いて宿泊所に向かいます。荷物は各自で持って下さい。これもダイエットの一環です」


 それを聞いて、渡会が口を挟む。


「おい、俺やばあさんみたいな年寄りにも、こんな大荷物を持って歩けって言うのか?」


 高遠は眉をひそめて怪訝そうな表情をする。


「今回の合宿の前に、あなた方の医療受診状況をオンラインで照会させてもらいました。それによると、あなたたちは皆さん健康状態に問題が無い方たちばかりだ。荷物くらい持てるでしょう。そもそも、キャリーケースには車輪が付いていますよね? 持ち歩くのにそんなに力は要らないと思うのですが?」


 渡会は苦虫を嚙み潰したような表情をする。


「ご承知頂けましたか? それでは出発します」


 一行は宿泊所を目指して歩き始めた。矯正島は起伏の少ない平坦な作りをしていたので、三十分の道中は険しい道のりではなかった。


 一行が歩き出すと、船が東京の港へと戻って行くのが見えた。


「お、おい……。船が帰っちまったぞ。俺たち、途中で帰りたくなったらどうするんだ?」


 末尾を遅れて歩いていた大嶺が大きな独り言を言う。その後ろを歩いていた白石が答える。


「船は一週間に一度、必要な物資を乗せてやって来ます。あなた方が途中で帰れるとしたら、重大な疾患を発症したり、重傷を負ったりした時だけです。合宿が嫌だからという理由では帰れません」

「何だよそれ! こんな無人島に監禁されるって言うのか!?」

「監禁ではありません。我々トレーナーは無線での通信も可能です。もしも途中で帰宅をしなければならなくなった事案が発生したら速やかにそれで連絡を取ります」

「けっ。俺らはスマホの電波も繋がらねぇっていうのにな」


 大嶺は終始不服そうに歩いていた。白石は「これは面倒な参加者がいたものだ」と、内心辟易していた。


「大嶺さん、遅れ過ぎていますよ。もう少し早く歩いて下さい」


 五十メートルほど前方から、高遠が大声で後方に叫ぶ。確かに、大嶺と他のメンバーとは三十メートルは距離に開きがあった。


「うるせぇ! どんなスピードで歩こうと俺の勝手だろう!?」


 大嶺は道に転がっている石を前方に蹴りながら叫ぶ。


「これもダイエットの一環だとお話したでしょう! 早く帰りたいのならば、早く痩せる事が肝要だと思いますが?」

「うるせぇ! 偉そうに指図すんじゃねぇ!」


 大嶺は持っていたキャリーケースを投げ飛ばした。はずみでキャリーケースのロックが開いて中身がぶちまけられた。


「あーあーあー、全く、荷物ぶちまけちゃってぇ」


 佐恵子が気を利かせて大嶺の荷物を拾いに走って寄って来る。


「私も手伝います!」


 それに未来も続く。が……。


「俺の荷物に触るんじゃねぇ!」


 大嶺はふたりの好意を拒絶する。


「何よ! あたし達は手伝ってあげようとしているんじゃない!?」

「手伝いなんて頼んでねぇよババァ!」

「ば……誰がババァよ!」

「どこからどう見てもババァだろババァ!」

「あんただって私と同じ四十代くらいじゃないの! そう見えるけどね!? ならあんたもジジイよ!」

「うるせぇ! うるせぇ! とにかく黙れ! 近付くな! あっち行け!」


 佐恵子はこれ以上反論するのを止めた。この男には何を行っても無駄なような気がしたからだ。


「行きましょう、未来ちゃん」

「え、えぇ……」


 未来は大嶺の方を振り返りながら列に戻る。大嶺はひとりで荷物をかき集めて雑にスーツケースに突っ込んで行く。後ろでは白石が腕を組んでイラついている様子を見せていた。


「なんか……前途多難ね」

「あはは……そうみたいですね……」


 未来は先ほどまではここは良い景色の島だ、とくらいにしか思っていなかったが、無人島で大嶺も共に過ごす事に不安感を覚えだしていた。


「何も起こらないといいけれど……」

「え? なんか言った!?」

「いえ、何でもないです!」


 大嶺が片付けを終えたのを確認し、また一行は歩き出す。しかし、大嶺は常に三十メートルの距離を保ち続けていた。


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