1.埠頭にて

「あーもう、風が強くて帽子が吹き飛んじゃう。何でこんな場所で集合なのかしら!?」


 八月一日、波岡未来なみおかみらいは東京のとある埠頭で溜息を付いていた。


 ボブカットの髪に麦わら帽子を被り、着ているワンピースは青い水玉模様の大きなサイズで、ふくよかなお腹を程よく隠してくれていた。


「海を見るのは久しぶり。こんな用事じゃなかったらとても楽しいお出掛けだったのにー」


 今回、第一回ダイエット合宿に招集されてからというもの、毎日が憂鬱で仕方がなかった。通知が来たのは二週間前だったが、逃げられるものなら逃げ出したかった。「急にそんなに会社を休めません」と電話で問い合わせをしたが、会社へは政府から説明文書を送るという回答がされ、結局休暇はもぎ取る事が出来た。ただし、特別休暇ではあるが有給扱いにはならないので、その間の給料は保障されない。もちろん国から給料が補填される事もない。この合宿はあくまで『罰』なのである。


「逃げたかったけど、逃げたら政府の人間が追って来るって言うしー」


 ブツブツと文句を言いながら埠頭に建つ小さなプレハブのような待合小屋に入る。

そこには既に人が集まって来ていた。


 未来がぐるりと中を見まわすと、痩身の男女が一組と、太っている男性が四名と、女性が四名来ていた。


「あちゃっ。私最後から二番目って事? 今日合宿に行くのって確か十人よね? あの細いカップルはトレーナーだろうし……」


 未来は元来おっとりとした性格で、度々おっちょこちょいをしでかしては愛嬌で乗り切って来た人間であった。今回集合場所にギリギリに着いた理由も、道中にあったペットショップの犬に見惚れていたから、である。


「あなたが女性陣最後の一人の子ね。波岡未来さん? で良いかしら?」


 痩身の女性に声を掛けられる。


「は、はい! 私が波岡未来です! あの……先生ですか? 今回はよろしくお願いします」


 痩身の女性は柔和な笑顔を称えて片手を差し出す。美しいロングの黒髪に、整った容貌は、まるでモデルのそれだった。


「トレーナーの白石しらいし礼央奈れおなよ。ビシビシしごきますから、よろしくね」


 柔和な笑顔とは反対に、なかなか手ごわそうなトレーナーだ、と未来は思った。


「あ、あの、私が最後から二番目ですか?」

「そうね、あと一人男性が来るはずなんだけども……ねぇ、高遠たかとおさん! 大嶺おおみねさんはまだかしら?」


 高遠さんと呼ばれた痩身の男性は、こちらを振り向くとピクリとも笑わずに事務的に口を開いた。未来からしたらイケメンの部類……だが、年齢は三十後半そうだからイケオジか、と思った。


「まだみたいですね。もしかしたら逃げたのかもしれないな。本部の方に確認を取ってみます」


 高遠はスマートフォンで本部に電話を掛けた。


「もしもし、高遠です。大嶺さんがまだこちらに到着していないんですが? え? えぇ……」


 未来は右も左も分からずにただそこに立ち尽くしていた。出来る事ならば、奥の方の椅子で歓談している参加者の中に交わりたい。


 高遠の通話は直に終わった。


「本部に確認したんですが、大嶺さんが部屋に籠って出てこないらしいです。本部から派遣されたが家に向かっているそうです」


 高藤はやれやれといった感じで頭を振る。未来は逃げたら本当に政府の人間が追って来るという事実を目の当たりにして、「逃げなくて良かった」と心底思っていた。


「じゃぁ、波岡さんはあちらで皆さんと待っていて下さる?」


 白石に促されて未来はすでに出来上がっている歓談の中に混じった。


「なんだー? ひとりはこれから連れて来るって言うのかー? いつになったら出発出来るんだこの野郎!」


 七十代そこそこに見える、やや頭髪が薄くなっている男性が声を荒げる。


渡会わたらいさん、これから集団生活をするんですよ。そのような汚い言葉遣いはやめてください」


 高遠がぴしゃりと老人を諫める。


「はいはい。大人しくあんたらに従ってりゃいいんだろ! へっ。俺はこの体型で七十年以上生きてんだよ! バカにすんな!」


 渡会は不服そうに椅子に踏ん反り返った。


「あんた、気にしなくて良いからね。年寄りの言う事なんざ、妄言さ」


 こちらも七十代に見える女性に話しかけられる。


「あ、あの、すいません。ありがとうございます。あの……」

「私は米田よねだカネ子。七十三歳だよ。今回の最高齢だって」

「そ、そうなんですね。私は波岡未来って言います。二十五歳です。よろしくお願いします」


 未来はカネ子と笑顔を交わし合う。


「私たちって、これから船に乗って無人島に行くんですよね……?」


 誰に尋ねるでもなく、未来はそう口に出す。


「そうよー。これから『矯正島きょうせいじま』っていう所に連れて行かれるんだそうよー。イヤな感じの名前の島よねぇ。何よ矯正って。あ、あたしは越本こしもと佐恵子さえこ、パート主婦よ。よろしくね」


 四十代後半といった所の佐恵子が未来にウインクをして挨拶をして来た。


「矯正島……怖い所なのかしら……」

「さぁねぇ。誰も行った事が無い島だから。何でもスマホの電波も繋がらないらしいわよー。やんなるわー、もう~。事前に教えておいてくれたらポケット型Wi-Fiを用意したのにねぇ。でも、テレビくらいはあるのかしらね。あたし、韓流ドラマ観たいのよね」


 それから未来は、残りの参加者たちと簡単な挨拶をして席に座った。


 矯正島に出発するには、大嶺という男が到着するのを待つしかなかった。一体どんな人間がどの様に嫌がる参加者を連れて来るのか、未来は恐怖に感じながらも好奇心を抑えきれなかった。

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2024年11月29日 18:05
2024年11月30日 08:05
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肥満禁止法 無雲律人 @moonlit_fables

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