第26話

 026



「お前ら、先にレターズのところに行け」

「……え?」

「こいつは、俺が始末しておく。見ない方がいい」



 言葉を理解せず、尚も柔らかく笑う赤ん坊がシロウさんの胸に顔を埋める。その姿は、あまりにも無力で邪気が感じられない。明らかに知性を持ち、しかし敵意は無い。この子には、間違いなく俺たちを害する力など持っていないというのに。



 そんな赤ん坊を、殺すというのか?



「ういっす」

「……っ」



 アオヤは当然のように、モモコは躊躇を噛みしめるように、踵を返して部屋を出ようとする。動けなかったのは、ただ俺だけ。その命を奪うことを、どうしても二つ返事で認めることが出来なかったのだ。



「ま、待ってください、シロウさん。その子には、俺たちの敵になる力なんてありませんよ」

「悪魔とモンスターの子供だ、生かしておく理由がない」

「だったら……っ。だったら、どうして俺たちを遠ざけようとしたんですか?」



 シロウさんの表情が曇り、モモコが立ち止まった。



「キータさん。その子は、悪魔の子ですよ。すべて殺さなければ戦いが終わらないんですから、危険のない今のうちに殺しておくのが当然です」

「でも、シロウさんっていう例もあるんだよ。モモコ。混血なら、人間の味方になってくれる可能性だってある」

「それは違うんじゃないっすか? キータさん」



 更に、アオヤもその場にしゃがみ込んで頬杖をついた。



「シロウさんは、人間とのハーフだから人間の味方をしてくれてるワケっすよね。だったら、モンスターとのハーフの子供はモンスターの味方をすると考えるのが妥当っすよ」

「そ、そうだけど……」

「大体、その子供を助けてしまったら、他にも助けなきゃいけない悪魔が出てきちゃうじゃないっすか。その子だけが許されて、他の悪魔やモンスターはどれだけ命乞いしても許さない。それって、勇者の正義に反することっすよ」



 ……そうだ。



 例外は、決してあってはならない。あやふやな線引と矛盾には、世界を破滅させるほどの危険がある。それに悩んだせいで、俺はヒマリと出会って心を痛めた。片目を失い、戒めを覚えて罪を贖う機会を得たばかりではないか。



「なのに、この子を生かすっすか?」



 この子を殺せば、俺はきっと狂気に近付けるだろう。今度こそ、すべてを遂行するためのイカれた精神を手に入れられるかもしれない。世界を救うために必要なモノの、確かな形を得られるかもしれないのだ。



 ……それでも。



「あぁ。俺は、その子を殺したくない」



 だが、何を言えばいい? 何を言えばみんなを説得出来る? イカれていない俺が、みんなを納得させるためには――。



「一つ、話をさせてくれ」



 葛藤の中、俺の言葉より先にシロウさんが静かに口を開いた。



「ガキん頃から、俺は魔界の見世物小屋の剣闘士として無限に戦わされてきた。混血のせいで奴隷にすらなれず、拾われてからずっと檻に閉じ込められてな。来る日も来る日も、モンスターと殺し合いをさせられるクソみてぇな人生だった」



 赤ん坊は、シロウさんの人差し指に心を委ねている。



「シロウさんって、魔界出身だったんすか?」

「あぁ。奴隷として連れ去られた人間の一人が俺の母親だ。散々ヒデェ目に合わされた挙げ句、ボロ雑巾みてぇに捨てられてよ。その死体から自力で這いずり出ててきたのが俺だったって話だ」



 シロウさんは、ため息を吐いて話を続けた。



「そんな俺を、ある日グリントが救ってくれた。あの人は、檻の中にいる俺をパーティ連中が絶対に殺せと叫ぶ中、たった一人だけ助けようと言ってくれた。狭い場所から引きずり出して、地上へ生還するために送り出してくれた。悪魔の血が流れてる俺を、ただひたすらに信じてくれた」



 ……考えてみれば、当たり前のことだった。



 シロウさんの一度目の旅。それは、魔界へ行くモノではなく魔界から地上へ向かうモノだった。混血である彼が地上で産まれていれば、間違いなく処分されてしまったハズだ。



 それが、たまたま魔界という倫理のタガが外れた場所だったからこそ、子供とモンスターを殺し合わせる鬼畜が蔓延っていたからこそ、彼の命は繋がったのだ。彼の一度目の偶然とは、『助けにきた勇者がグリントだった』というモノだったのだ。



「俺が心から尊敬する男は、そうやって死んでいったのさ」



 あまりにも皮肉過ぎる過去に、呆然とするしかなかった。



「つまり、例外は既にある。この赤ん坊を含めて考えるなら、線引は混血か否かってところか」

「は、はい」

「いい機会だ。ここらで、俺たちの正義と倒すべき敵を定義しよう。そうすれば、この赤ん坊をどうするのかって答えも自ずと見つかるだろ」



 ここで言い争い、一人でも納得しない者が現れればチームの絆が瓦解する。シロウさんは、その危機を察知したから俺に説得する機会を与えてくれたのだろう。



 ……俺は、救いたい。



 ただ悪魔の血が流れているだけで殺すのならば、それはシロウさんを悪魔だと言っているような気がしてしまうから。



「よく、『本当に怖いのは悪人ではなく自分を正義と信じて疑わない人』だなんて文言を聞きますけど。勇者って、言ってみればその怖い人にならなきゃいけないワケじゃないっすか」

「そうだね」

「でも、今回はその勇者であるシロウさんが助けられた例外だった。ここが、みんなにとっての問題のキモだと思うんすよ」



 特別になりたいという理由で冒険を続けるアオヤこそが、ある意味最もフラットに俺たちの冒険を傍観しているのかもしれないと思わせられる言葉だった。



「そこをふまえて先に意見を言いますが、僕はぶっちゃけどっちでもいいっす。シロウさんが好きだから一緒にいるし、その子供のことは知らないから興味ない。つまり、僕の正義の基準は僕の好奇心ってことです。今はシロウさんに共感しているから、どれだけキツくても頑張れてるって感じっすかね」

「分かりやすくていいね」

「だからこそ、赤ん坊を生かすなら納得出来る理由が欲しいっす。僕たちの旅に矛盾が生じるのは、気分的にあんまりスッキリしないっすから」



 シロウさんは、先程から赤ん坊に一切目をくれていない。きっと、結果によっては躊躇なく始末するための準備だ。



「私は、分かりません。魔王軍に両親を殺された憎しみだけが私を突き動かしていましたが、今はこのパーティの力になりたいという気持ちも大きくあります。そして、この子は悪魔の子供ってだけであって、まだ魔王軍ではない。そのせいで、すべてをブッ殺すの『すべて』に含んでいいのか悩んでしまうんです」

「なぜだ?」

「倒すべき敵。それが、魔王だからです」



 モモコは、錫杖を抱いて俯いた。



「魔王をブッ殺す上で、邪魔になる奴がいるから戦う。これが、私たちの戦闘の意味です。もちろん、私にとっては復讐でもありますから、それだけが理由とは言いません。しかし、この意味を人間に当てはめた時、果たして殺したい人間がいるからといって人間のすべてを私は恨むでしょうか」

「ノーだろうな。実際、モモコは俺を許してくれた」



 シロウさんの言葉で、更に強く杖を抱いて不安げな表情へと変わる。



「……本心で言えば、その子を殺したくはありません。明確に、私の両親の殺しに関わっていません。私がその子を恨む理由はないんです」

「シロウさんはどうですか?」

「たまには、仕事をサボってもいいんじゃねえかと思うぜ」



 端的に言いながら、彼はモモコの頭を褒めるように撫でる。それは、あまりにもシロウさんらしくない、人の心が垣間見える言葉だった。



「……なるほど、サボるっすか。それ、なんかいいっすね」

「だろ? 俺も、少しくらいは人間らしいことをしてみてぇと思ってたんだよ」

「あっ。もしかして、僕が『人から離れた』って言ったの気にしてます?」

「わはは、バレたか」



 そして、シロウさんはタバコを咥え、しかし火をつけずに再び懐へしまった。この人は、掴みどころのないアオヤのこともよく理解している。俺は、なんとかして理屈で納得してもらおうと思っていたのに。



 ……流石ですよ。



「では、俺の意見というか、結論をまとめます。勇者パーティの正義は王様にあり、倒すべき敵は魔王とその道のりの障害になる存在。なので、この子やシロウさんのような被害者であれば、例え悪魔の血が流れていても敵とは見なさない。それでいいですか?」

「あぁ」

「異議なしっす」

「私も、それでいいと思います」



 こうして、俺は胸を撫で下ろした。そして、互いの本音で話し合い問題を解決出来る程に絆が深くなっているこのパーティのことを、俺自身が大切にしていることに気付かされたのだった。



「ただ、生かすってなると大変だな。俺たちが謀反を起こしてると思われないために、何かしらの作戦を立てねぇと」

「あぁ、それは簡単なんじゃないですか?」



 言って、赤ん坊の頭を優しく撫でるシロウさんを見る。ヒマリの一件以来、俺はようやく笑えたような気がする。



 だって、シロウさんと俺は違う。ならば、俺はもう少し人の心を重んじてみよう。彼らは話をしてくれるのだから、理解してくれようとするのだから、一人くらいはイカれてない普通のメンバーがいたっていいって、そう思えたのだ。



「この冒険が終わったあとには、きっと平和の使者が必要でしょう?」

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