第23話

 023



「クロウ、今すぐ俺の前から消えろ」

「俺に命令をするなと――」



 シロウさんは、酒の入ったグラスを握り締めて木っ端微塵に破壊した。彼が何かを押し殺したのは明らかな反応だ。



 いつの間にか、彼の小さな声が響き渡るほどに店の中が静まり返っている。滲み出るとんでもない恐怖が、俺が自分の痛みすら忘れるような恐怖が、この空間のすべてを支配したからだ。



「二度は言わねぇぞ」

「なんで、お前はキータを選ぶんだよ……っ」



 割れた眼球を見て思った。


 

 この傷は、世界を救う役割から逸脱した罰だ。使命よりもヒマリの名誉を優先したことで、俺はシロウさんの期待を裏切ったのだ。



 ならば、当然の報いだ。この世界に生きている以上、罪と罰の理から決して自分を例外にしてはならない。それをしてしまえば、途端に俺が破綻する。何者でもない俺がイカれたままでいるには、失ってはならない形が勇者の正義なのだから。



 ……俺は、手の中に残った俺の一つを握り潰して床の上に落とす。



 クロウは、何も言わずに去っていった。



「どうしてクロウくんを止めなかったんですか!? 仲間が傷つけられてたんですよ!?」



 瞬間、息を切らして肩を揺らし、ヒマリはシロウさんの胸ぐらを掴んだ。クロウには決して超えられなかった一線を、彼女はあっさりと超えたのだ。



「なぁ、ヒマリ。俺たちをイカれてると思うか?」

「あ、あ、当たり前じゃないですか! だって……っ! だって! キータの目が!!」

「キータは、勇者パーティに所属しているにも関わらず『自分を殺してみろ』と言った。そいつは、王への反逆と取られても仕方のない言動だ」

「え……っ?」



 彼の言葉に、きっとその場の誰もが心を奪われただろう。



「俺たちは王の勅命で旅をしている。その責任を放棄しようとしたキータを守れば、この場にいるギャラリーの何人かは俺たちの旅を疑う。やがて、その小さな波紋は王への大きな不信感へ繫がる。そして、王が信用を失うことになればこの国は滅亡することになるだろう」



 ただならぬ覚悟に、誰かが生唾を飲み込む音がした。



「だから、俺はキータを助けなかった」

「でも……っ!」

「まぁ、分かってくれとは言わねぇよ。話は終わりだ」

「……っ!! キータ!! 病院に行くよ!!」



 ヒマリは、俺の手を掴むと無理やり引っ張って酒場から抜け出した。ヒーリング・エフェクトで応急処置を施したが、まだ微かに血が流れている。その血の雫の行方をもう片方の目で追ったとき、前にいたヒマリが突然足を止めた。



「そんなの冷た過ぎるよ!? キータが傷付くのを見てるだけだったなんてありえないよ!! 仲間のために立ち上がって助け合う! それが勇者パーティのあるべき姿でしょ!?」

「そのやり方で、何人の勇者が死んだと思ってるのさ」



 ヒマリは、何かを言いかけて俯いた。



 王都の墓標に刻まれた数多の数の勇者と戦士たち。彼らのことを、この国の住人であるヒマリが知らないハズがない。その屍たちの無念を思って、目の前の出来事を飲み込むしか無いと悟ったのだろう。



「本当は、仲良く和気藹々と冒険してちょっと弱いくらいの敵と接戦を演出して、行く先々で讃えられて最後にはハッピーエンドを迎える。そういう、お伽噺のような英雄譚が好ましいんだと思うよ」

「うん……っ」

「でも、そうはならなかった。この戦いは、シロウさんやアオヤやモモコみたいに、本当に狂ってる人たちじゃないと終わらせられない」



 目の無い俺を見上げる彼女は、一体何を思ったのだろう。悲しい顔を見ると、どこか懐かしい心臓を締め付けられるような感覚に陥る。



「俺は、シロウさんの力になりたいんだ」

「と、とにかく、その目は治さないと。病院行くよ」



 結局、手術が終わるまでヒマリは病院にいてくれた。入院するようなモノでもないので、傷を縫って感染防止のスキルをかけてもらい治療は終了だ。



 眼帯をつけた自分の顔を見る。体の一部が欠け落ちて、少しは勇者パーティに相応しくなったんじゃないかと柄にもなく嬉しくなった。



「それで、どうして追ってきたの?」

「……キータのこと、助けてあげたかったから」

「だから、何から助けるつもりだったのさ」

「寂しさ、だったんだと思う」



 寂しさというのなら、それはとんだお門違いだ。このパーティでやれていることが俺の心を埋めてくれているし、何よりもシロウさんの為になれるのなら他のことを考える暇もないくらい必死になれるから。



「それは、今回のことでよく分かった。……そもそも、ただの言い訳だったってことも自覚してるし」

「なら、どうして?」

「あたしは、あなたに助けてもらってすごく嬉しかった。本当は、キータともっと仲良くなりたかっただけなの」



 ……違和感。



 急に、無いハズの目が疼き出したような気がした。治療を済ませているんだから、そんなワケがないのに。



「あたしね、ミレイとナベル・ロックの星空を見に行くんだ。この世界で一番綺麗な景色を知りたいから」



 ナベル・ロックは、この世界の中心と言われている超巨大な岩のことだ。高さ五百メートル、周囲二十キロメートルの中心からは、この星の頂点を永遠に回り続ける流れ星が見える。



「それで、その星にお願いするの。どうか、キータの旅が成功しますようにって」



 永遠の流れ星には、願い事を叶える力がある。しかし、そんな貴重な機会を俺の為に消費するだなんて正気とは思えない。



「どうして、そんなことまでするんだ。俺たち、たった一度共闘しただけじゃないか」

「たった一度で充分だったの。あたし、いつの間にかキータのことばかり考えてる」



 ……なるほど。



 この子も、ちゃんとイカれてるのか。



「二人旅だと、危険だと思うよ」

「流石にそんなことしないよ。この街で、同じ目的を持ってる人が見つかるまでは行かないから」

「それでも、きっと大変な旅になる」

「キータの方が、よっぽど大変な思いをしてるじゃん」



 シロウさんに憧れて、シロウさんのやり方を真似てきた俺には、俺の言葉というモノが無いことに気が付いた。勇者パーティではなく、俺個人へ感情を向けてくれているヒマリに、どう反応すればいいのかが分からない。



 俺には、悪魔の血が流れていない。故に、どうしても彼女のことを考えてしまう。最後まで目的に殉ずることが出来るシロウさんと最も違っているのはここだ。



 そして、こんな時、思考と感情を切り離すための方法が思い付かない。どこまで行っても凡人の俺では、嘘でも本音でもない薄っぺらな言葉しか出てこない。



 中途半端は捨てたハズなのに。この目の疼きと胸の温かさが、反発し合って俺の中に自己矛盾を植え付けていた。



「付き添いありがとう。大丈夫だから、もう行ってくれ」

「……その。目のこと、ごめんね。本当になんて言って謝ればいいか分からない」

「ヒマリのせいじゃない。これは、俺が自分のためにやったことだから」



 そして、俺は宿へと戻った。



 報告のために、シロウさんの部屋の戸を叩く。返事が無かったが、俺はゆっくりと扉を開いて中へ入る。彼は、タバコを吸いながら夜のメカトロの景色を黙って眺めていた。



「申し訳ありませんでした」

「……あぁ」

「傷の報告ですが。眼窩底の形を保たないと顔が崩れるみたいなので、義眼を入れなきゃいけないみたいです」

「ミランダがやってくれるだろう、特別なモンを頼んでみるよ」

「手間をかけます、シロウさん」



 後ろ姿に頭を下げ、部屋を出ていこうと踵を返す。その時だった。



「なぁ、キータ」

「はい、なんでしょうか」

「……悪い、なんでもねぇ」



 サイドテーブルを見ると、掌を切り裂き食い込んでいたであろう血のついたグラスの破片が置いてあった。もしかすると、ここへ戻るまで痛みも感じないくらい、シロウさんは俺を心配してくれたのかもしれない。



「そうですか」

「今日はゆっくり休め。おやすみ、キータ」

「はい。おやすみなさい、シロウさん」



 俺は、テーブルの上のガラス片を一つこっそり手に取って部屋を出た。



 これは、今日を忘れないために持っておこう。

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