第4話

 004



 翌日。



 俺たちは、件の海岸線に辿り着いていた。このあたりは、魔王軍からの襲撃にあったのだろう。道中でも幾つかの廃村を見たし、今回のターゲットである魔窟(モンスターの住処)からは瘴気が立ち込めている。



 この瘴気の正体は、強力なモンスターが放つ独特のプレッシャーだ。実力の無い者は瘴気に触れただけで動転し、足が竦み、正気を失ってしまいかねない厄介なモノなのだ。



「へぇ、何もないっすねぇ。僕、お腹空いてるのに」



 ……流石、ナチュラルにイカれてるアオヤには関係ないらしい。そんな彼を見て、シロウさんは俺に向き直ると穏やかに笑った。



「せっかく海に来たんだし、魚でも釣って食うか。瘴気に当てられて育った魚は、異常進化のせいで体がデカくトロも多い。見た目はグロいが、実はクエストの上納品になることもあるくらい、隠れファンが居るグルメなんだぜ」

「マジすか!?」



 そんなワケで、俺たちは腹拵えを済ませると雑談もそこそこに魔窟の中へと進んだ。



「……先客がいますね」

「あぁ、それもかなりの強者だ。この死体を見てみろよ」



 恐らく、衝撃で弾け飛んだのだろう。壁にはゴブリンやオークだったであろう肉塊がベッタリと張り付き、暗い中で松明の炎を反射するドス黒い血飛沫が見える。



「おまけに、殺し方が単一的だ。こいつは、パーティじゃなくてソロだな」

「ブチギレてるっすねぇ」



 一体、どれほどの殺意を込めて殺したのだろう。この使い手が敵になる可能性に注意しつつ、俺たちはモンスターのいない道中を慎重に歩いた。



「なんか、水の匂いが濃くなってきました。塩の混じってない、綺麗で透明な水の匂いっす」



 水の匂いを嗅ぎ分けるとは、アオヤにはスキルが関係ない特技も幾つかあるみたいだ。



「多分、最下層にヒュドラが根城にしてる地底湖があるんだろう」

「どうして分かるんすか?」

「壁が鍾乳洞になってる。それに、さっきから聞こえてる這うような音。どうやら、地層を縫うように無数の小さな川が流れてるらしい。ヒュドラは水辺を好むし、水の匂いがするってんなら地底湖があってもおかしくないってワケだ」

「なるほど、そういう推理っすか」



 モンスターの死体が少なくなってきた。もしかすると、先客の強さに恐れをなして逃げ出したのかもしれない。しかし、中には事態に出遅れた者、或いは逃げずに居残った者もあった。



 アオヤは、そんな勇敢なモンスターたちを造作もなく突き殺す。どうやら、命を奪うことに躊躇はないらしい。飄々とした表情で頬の返り血を拭い、「今のどうすか?」なんて呑気な質問をするくらいだった。



 やっぱり、本格的にイカれてる。俺が彼と同じくらい精神を落ち着かせるのには、三ヶ月もかかったというのに。



「これじゃ、僕の実力が分からないっすよね」

「そうでもない、スキルも立ち回りも上等だったさ。フィジカルだけなら充分に合格ラインを超えてる」

「ふふっ。なら、あとはデカいモンスターとのバトルセンスを見てもらうだけっすね」



 そんなふうに褒めてばっかだと、またクロウみたいに冗長させてしまうんじゃないかとヒヤヒヤする。アオヤもアオヤで挫折を経験したことは無さそうだし、シロウさんには何か考え方があるのだろうか。



 優し過ぎて、ちょっと心配だ。



「ところで、こんな奥地に住んでるヒュドラって、食い物とかどうしてんすかね」

「見ればわかるさ」



 シロウさんが指さした先は、不自然に光が差している。まるで、地上のように明るいその場所へ出てみると、そこには白い砂浜が続く幻想的な湖が広がっていた。



「……なるほど。ヘビなら、壁を伝って上の世界樹の根の隙間から洞へ出られますね」



 シロウさんは、街から街への道、風景、更に歩いたダンジョンや洞窟の地図を作るのが趣味らしい。この旅の数少ない娯楽なんだと言って、いつも大切そうに手帳を持っている。



 随分と長い魔窟だったが、その地図と照らし合わせて俺たちの上に何があるのかを把握していたようだ。



「いたぞ、あいつが先客だ」



 白い砂浜に、血溜まりを歩いた靴の足跡が残っている。その先を目で追うと、そこには返り血のせいでもはや何色だったのかも分からないローブを羽織った、桃色の髪を持つ小さな体躯の魔術士が立っている。



 フラついていて、足元もおぼつかない。それでも、睡眠中のヒュドラに近づいていく姿は、まさに狂戦士とも呼ぶべきイカれた姿であった。



「お、女の子っぽくないすか?」

「みたいだな、スゲェや」



 瞬間、魔術士がローブの下から杖を現し、巨大な桃色の火球をヒュドラへ向けて放った。ヒュドラの首の一本が、それに気が付くとブレスで相殺しけたたましく吼える。更に、別の首たちも起き上がりその全貌を表すと、うねる体を正面に向けて魔術士を見据えた。



「ブッ殺してやるッッ!!!!」



 幼いながらドスの効いた声は、この広い地下へバチバチと轟いた。肌を焦がすような迫力とプレッシャー。あの女の子、シャレにならない強さだな。



「アオヤ、よく聞け」

「なんすかぁ?」

「あの子と二人で、ヒュドラをやっつけてみせろ」

「僕、あぁいう凶暴な子ってタイプじゃないっすよ。もっと、お淑やかで一緒にいると心が安らぐ癒やし系がいいっす」

「ナンパして来いって言ってるんじゃない。……いや、広義的にはナンパになるのかもしれんが」



 何をおトボけカマしてるんだ、この二人は。



「俺は、あの子をパーティに誘おうと思ってる。俺がタンク、キータがサポートになるだろうから、アタッカー二人の連携を見てみたいんだ」

「しょ、正気ですか?」



 あの子、どっちかと言えば人間より悪魔側ですよ。言葉が通じるかも怪しいレベルで荒れ狂ってますし、勧誘を聞き入れられるかどうか。



「なんとかなるだろ。どうだ、アオヤ。やれるか?」

「自分で言うのもなんですが、僕は人に合わせられるようなタイプじゃないっすよ。ましてや、あんな赤の他人になんて――」

「特別になるんだろ?」



 ……なるほど。



 シロウさんめ。さては、先客の存在を察知した時点でこの展開を予測していたな。



 確かに、ダイアモンドランクのクエストの魔窟を一人で闊歩出来るなら戦力的に申し分ないし、適合者じゃなかったとしてもアオヤの連携力をたしかめることが出来る。



 彼女は、アオヤにとって明らかに自分より強い、しかも同じ歳くらいの戦士だ。意識して道中を観察したならば、俺にだって衝動に任せた殺戮から年齢も推測出来た。つまり、自分の実力を客観的に見て、彼がプライドよりも役割を重要視して戦えるのかを確認するつもりだったのだ。



 だから、付かず離れずの距離で彼女を追っていたのだろう。こういう、現場にあるモノや状況を扱う力に長けたクレバーさが、俺がシロウさんを尊敬する理由の一つであることを改めて感じさせる作戦だと思った。



「……分かりました。じゃあ、行ってきます」

「おう。あと、このハイポーションをくれてやろう。使い方はアオヤに任せるよ」



 これ一つで、ゴールドランクのクエスト報酬分ほどの価値を持つハイポーション。その分、回復力は折り紙付きだ。



「いいんすか?」

「あぁ」

「なら、ここまでで消耗してるだろうしあの子に渡してみるっすよ。受け取ってくれるかは、まぁ分からないっすけど」



 百点の答えだった。



 もはや、勝負の結果に関わらずアオヤは合格だろう。妙に嬉しそうに俺を一瞥し、ウンウンと頷くマッチョなおじさんを見て、俺は帰ってきた彼を手厚く歓迎してやろうと思った。

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