引っ越しと新たな出会い
駅前再開発で建った高層マンションに私たちは越してきた。
その敷地の一画に私の祖父母が営んでいたパン屋があった。
父が引き継いだ後、再開発の話が上がり、私たちは一旦立ち退いてここへ戻ってきたことになる。マンションの一階が新店舗だ。
仮住まいに二年ほどいた。二年もいるとまた余計な荷物が増え私たちはまたしても整理しなければならなかった。
そうしてやっと新居に引っ越したのだ。
高層マンションで二百戸以上あるというから引っ越しも一度にできない。三月半ばに完成したというのに私たちが転居できたのは四月になってからだった。
一階にできたベーカリーへの移転の方が先に済んでいた。店も新装開店している。
だから引っ越しの日も父と兄が交代で店に出ていた。どうにか家財は配置した。梱包したものをほどくのはこれから少しずつだ。
店番をするために私は店の方に下りた。
「さくらベーカリー」それが私たちの店だ。
春休みの平日。三時過ぎだった。この時間帯はパンも少なくなっている。
私はレジに立った。客はパラパラしか来ない。客が増えるのはやはり夕方だ。
もうすぐ夕方のパンが焼き上がる。良い匂いが漂っている。私のお腹も減っていた。
「残り物、もらうね」私は兄に断りを入れて、売れ残っていた菓子パンを一つつまんだ。
「金払えよ」兄はうるさい。
引っ越しでお腹ぺこぺこなんだよ。
父は工房にこもっていた。
小一時間もすると兄が奥から焼きたてのパンを次々運んできた。
それを二人で並べる。
するとそれを待ちかねていたかのように一人また一人と客が入ってきた。
その中に見るからにレイヤーといった
先日は黒髪だったけれど間違いない。先日店舗前で私たちの写真を撮ってくれた人だ。
「クンクン、良い匂い」鼻をひくひくさせている。
「いらっしゃいませ」兄がわざわざ声をかける。本当に美人に目がない。
「二年ぶりにこの地に帰ってきましたさくらベーカリーです。初めてですか?」この間写真を撮ってもらっただろう? 覚えていないのかよ。
「――ええ、そうよ」彼女はにっこり笑う。「このマンションに越してきましたの。オホホホホ」
有閑マダムかよ。見た目はメイドで。
「そうですか。これからもご贔屓に」兄は如才ない。
「――では二人分いただきますわ」
そう言って彼女はトングを握った。
二人暮らしなのか。もしかして若夫婦?
兄が少し残念そうな顔をしている。諦めな。
しかしそれにしても見たことがある顔だな。
芸能人とかアイドルなのか? いやわざわざメイド服着た芸能人がこんな街中歩かないよね。
「レイヤーさんですか?」パンを並べながら私は思わず訊いていた。
「趣味でやっているわ」
「動画サイトに投稿してます?」
「うーん、いつかするかもね」
「将来有名人になるのですね」
「えへへへヘ……」
あれ? 意外と若い? 二十歳越えてると思ったのだけれど案外高校生くらい? 私とそう変わらないかも。
「二人暮らしなのですか?」兄に聞こえない程度の声で訊いた。
「今のところはね」
「え、もしや赤ちゃんが?」
「違うわよ。女二人だから」バシバシ叩かれた。痛いよ。
もう……ほんとうに……とか言ってひとりで興奮していた。
同じマンションの住人。これから長い付き合いになりそうだ。
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