ミッション5:リスポーン #1

 約200年前──、戦火の広がる大地が青白い閃光に包まれた。木々の上を飛び回っていた灰褐色のエルフたちが轟音に足を止める。常に風が吹き荒ぶ海食崖でも、一瞬にして辺りの魔物が吹き飛ぶほどの衝撃波だった。凄まじい暴風で銀色の毛玉が跡形もなく消えた直後、人影に気づいたエルフたちが目を見張る。


「……人間、」


 風の余韻に赤く濁った水面が揺れる。血溜まりのきわにおよそ戦いに不向きな──タータンチェックのシャツに蛍光イエローのフローティングベスト、防水ズボンと胴長長靴を履き、ベンチレーションハットを被った──装いの小太りな中年男性がいた。今まさに海食崖から望む遠方で巨大な原子雲さえ上がっていなければ、森を訪れた釣り人にしか見えない。エルフたちは最大の臨戦態勢を取り、釣り人の格好をした男を遠巻きに注視する。


「君たちがエルフという存在か」


 偏光レンズを外して目を細めた釣り人の周りに煙が発生した。それが甲高い笑い声を上げて人型を模し始める。エルフが『リフレイン』と呼ぶものだ。しかし瞬く間にリフレインは儚く掠れ、揺らめきながら消滅する。


「すまんな、今の私は釣ることに夢中でね」


 朗らかに笑う釣り人に敵意は見えなかったが、エルフたちの警戒が弱まることはない。半壊した銃を棍棒のごとく差し向けた時だ。森の木々がひとりでに広がり、そこから白いローブが現れた。エルフたちの動揺とは対照的に、釣り人はようやく待ち人と出会えたような顔で微笑んだ。エルダーの水色に輝くオパールの髪が揺れ、深海を思わせる青い瞳が瞬く。


「……大帝国の戦いを生き延びた勝者よ、あなたは?」


 エルダーの発言にエルフたちは息を止めた。『大帝国』の『勝者』らしい釣り人はベンチレーションハットに手をやり、丁寧なお辞儀をした。そして少しばかり咳払いをする。改めてエルダーに向き直った時、人の良さそうな気配は一変していた。特筆するところのない素朴な見た目からは計り知れない気迫だ。


「我が名はキング! キング…」

「おう、やんのか!」


 森全体に響き渡る声が子ども特有の高い声に遮られた。今にも特殊な効果エフェクトを放ってきそうな存在感に我慢が出来なくなったのだろう。森の中から飛び出したエル=リスがエルダーを庇うように立ちはだかる。小さな威嚇者の登場に釣り人は目を丸くして頬を緩めた。


「ははは、威勢がよい少年だ!」


 釣り人から底知れない気配がなくなり、エルダーに抱き上げられた小さなエル=リスを見つめる目元のしわが深くなる。その顔は、もはや勝者と呼ばれる風格は感じられない。やはりどう見ても海食崖の水辺に訪れた釣り人のように見える。柔和な笑顔に戻った釣り人は袋状に編まれた運搬具ビクを差し出す。


「これを君たちに託そう。私には不要なものだが……きっと大切な思い出だ」


 何も持っていなかった手にビクが現れたことにエルダーは驚かなかった。薄く青みがかった爪を持つ灰褐色の手が静かにビクを受け取る。エルダーの豊かな胸元を握りしめたエル=リスが身を乗り出し、ビクの中へ頭を突っ込んだ。


「ししょうよお、こりゃなんだ?」


 興味津々な幼子の姿に釣り人は表情を和らげる。エルダーはエル=リスの頭をビクから引っ張り上げ、視線だけで説教をしていた。彼らを見届けてから、釣り人は森に優しい目を向ける。海食崖にやわらかな風が通り抜け、ベンチレーションハットからはみ出た髪がはためく。


「もうすぐ雨が降るな……しのぐにはよい森だ。今日は歩いて行こう」


 それだけを言い残して釣り人は森の奥へと歩き出す。忽然と現れた時と同じく、唐突に去っていく後ろ姿をエルフたちが見送る。やがて一筋の黒い雫がエルダーの白いローブへ落ち、インクのように滲むのをエル=リスだけが見ていた。


 ***


 固く目を閉じて、スナイパーはその時を待っていた。突きつけられた鋭い刃が首の薄皮を掠り、重い衝突音とマチェットが落ちる金属音が鳴った。どこからか上がった小さな悲鳴が聞こえなくなり、スナイパーの耳に荒い息遣いだけが残る。いくら待ってもその時は来なかった。薄く目を開いた彼の前に、死んだはずのタンクがカランビットナイフを持って立っていた。


[✓] リスポーンした仲間と合流する

 ・新しいマッチング相手をCQCで倒す(任意)

 ・ご機嫌な自己紹介を聞く


 灰が降りしきる中、返り血を浴びたタンクが膝に手をついて息を切らしていた。彼女の足元で事切れた星条旗マンと森林作業員が消滅していく。


「間に、合った…っ! 無事だね…」


 荒い呼吸の合間に可憐な声が耳を震わせる。その声を聞いたのは何分前か、まだスナイパーは事態を把握し切れていない。丸い目をさらに丸くさせ、しばらく無言が続いた。


「あ……あいつら、タンク…なんで、死んだんじゃ…」


 やっとのことで出てきた野太い声は震えていた。すでに心地よいどころか肌寒い季節風が灰を巻き上げていたが、タンクは全身から滝のような汗を流して呼吸を整える。全力疾走から立て続けに敵対プレイヤーを撃退し、そして──おそらく独特の感覚に襲われてひどく疲弊している。OPS-COREオプスコアヘルメットの顎紐チンストラップを外し、体温で曇るゴーグルを拭う。だが一息つくかに思われた矢先、先ほど死んだにしてはご機嫌すぎる足音が接近した。


「んー、ステキなナイフ捌き! 好きになっちゃいそ!」

「うん、セーフハウス近くてよかったね!」


 星条旗マンと森林作業員が噛み合っていない会話を繰り広げ、まだ乾き切らない凄惨な跡地を踏みしめる。相反する光景にスナイパーは目を見開き、口を半開きにした。


「なっ…は、うぇ!?」

「!……戻って…来た、か」

〈警戒ヲ解除──新タナバトラーヲ承認〉


 まだ息の整わないタンクが苦しそうに可憐な声を振り絞り、左手でカランビットナイフを構え直す。敵対プレイヤーのグローブから無機質な男性の機械音声が流れるのと土埃が跳ねたのは同時だった。


「あれ? アントン、マッチングし…わあっ」


 タンクはフォレストジャケットのフードを掴んで引き寄せ、手早く首を掻き切る。断末魔と呼ぶには力の抜ける悲鳴を遺し、森林作業員がナイフキルに倒れた。


「あらホント、マナーちゃ… アァン! ご褒美!」


 次にセカンダリのホルスターからソードオフショットガンを取り出し、HUDに目を向ける星条旗マンを撃ち抜く。それから倒れた体にのし掛かり、カランビットナイフを突き刺して愉快な断末魔を止めた。


「ヒェッ…どどどういうこと!?」


 あまりに早い近接戦闘C Q C(クローズ・クォーターズ・コンバット)にスナイパーがリアクションを取れた頃には敵対プレイヤーは消滅していた。重量を感じる動きでタンクが座り込み、深く息を吸ってから答えを吐き出す。


「リスポーン、してるんだ……私も、」

「え、リスポーン……あんの…?」


 スナイパーはうっかり忘れていたようだが、彼らのゲームにはリスポーンがある。ただアバターと痛覚を共有する現状では、いくら生き返るリスポーンとはいえ死ぬほど痛いことは変わらず、率先して体験したいものではない。特に慣れないうちのリスポーン直後など最悪で──この話はまた別の機会にしよう。とにかく全力疾走とCQCによるスタミナ切れだけでなく、明らかに顔色を悪くしたタンクが複雑な表情を浮かべて頷く。しばらく間が空き、ようやく当たり前のことに思い至ったスナイパーから一際大きな野太い声が上がる。


「や、あるか! あるよな、そうだよな! そうだよ……なんだ、ガチで焦った…」


 納得するにつれてスナイパーの声量が小さくなり、最後の言葉は海食崖の風に紛れて消えていく。それとなくタンクから顔を背け、彼は灰まみれの手で顔を拭う。その傍らで座り込んだままの巨体はHUDを見つめていた。


「……はあ、またマッチングするなんてね」

「マッチング……うお、増えてるし! え、分かってた? 今の分かっててやった!?」


 タンクの呟きに手を止めたスナイパーが視線を辿り、マッチングリストを見て声を荒げる。新たにHantnik AttackerとGrenatte BackupというIDが挿入されているのを見て、信じられないという風に焦り出す。今度はタンクがどことなく決まりが悪そうに目をそらした。


「説明に……時間が欲しかった」

「だからって、もろフレンドリーファイア……」


 敵対プレイヤーが新たな仲間であると知りながら、タンクは攻撃の手を緩めなかったらしい。言い訳じみた呟きにスナイパーは唖然とするが、それ以上は何も言えなかった。困ったようにキャップの上から頭を掻き、同士討ちフレンドリーファイアされてしまった相手のIDに注目する。


「あーっと、どうしよ、これ……これなんて読むんだ? ハン…ニク・アッタ…アタッカー? グレ、ナ……ナッテ?」


 おぼつかない発音でHUDにあるIDを読み上げる背後に、また賑やかな気配が近づく。タンクの逞しい赤髭と規格外の巨体には及ばないまでも、ふさふさの髭を持つ筋肉ダルマとやたらとスタイルの良さが際立つ煤まみれの長身が歩いていた。


「イイ一撃ね、まだ頚椎ぐらぐらしちゃう! オレはハントニク・アタッカー、気軽にハンツって呼んじゃって!」

「はじめまして、グルナ……えっと、グレネット・バックアップです。ネイトでもいいよ!」


 フレンドリーファイアを受けてリスポーンしたにしてはご機嫌な自己紹介だ。彼らは余程死に慣れているのだろう。星条旗マン改めハントニクが頭をぐらつかせて『I 〝ハート〟 LA』のキャップを脱帽した。今までキャップの中に収まっていたのが不思議なくらい長いグレージュの髪が風になびく。次いで森林作業員改めグレネットも目深に被ったフォレストジャケットのフードを取り払い、安全反射と同じく眩しいミリタリーカットのプラチナブロンドを晒した。どちらの人物も一見して派手だが、よく見ても目立つ要素しかない。


「チームへようこそ、良い試合だったよ」


 元敵対プレイヤー現チームメイトの自己紹介に、タンクもまたOPS-COREヘルメットを脱帽して歓迎する。激しい戦闘を繰り広げたとは思えないほど和やかな空気が流れた。


[✓] 対人戦クリア報酬:鉛玉を受け取る


 新しいマッチング相手は多少派手さはあるものの、タンクのタフガイアバターより威圧感は少ない。むしろ彼らの星条旗一式とフォレストワークウェアにサンダルというめちゃくちゃな姿は親しみやすささえ感じられる。とは言え、散々な目に合わされたスナイパーは元敵対プレイヤーを受け入れる心の準備が出来ていなかった。不安に揺れる深緑の目がタンクを見上げ、そっと念を押す。


「タンク、本当に良いのかよ? ガチでチーターだったらやべえんじゃ…」

「心配ないよ。あの戦い方はチーターじゃない」

「お、おう……もしかして暴力で友情深める界隈のご出身とかでした…?」


 警戒する細い肩をタンクが優しく叩く。肉体言語に基づく安全を保証されたスナイパーは顔を引きつらせ、いつもの余計な一言をこぼした。もちろん彼の言い分は本気に捉えられるつもりのない冗談だったが、想定外のところから驚きの声が上がる。


「えっ、そうなの? すごいところ、あるんだね……どこある? おれ、知ってる国かな?」

「へ? あ、いや…」


 遮光レンズとウォーペイントでよく見えないグレネットの表情は真剣そのものだ。言葉通りに受け取られてしまい、スナイパーは面食らった。その一部始終を黙って見つめていたハントニクが笑みを深める。


「あらー、そんなにオレたち強かった? 褒めてくれて嬉しっ、アリガトー!」

「いや、そこまでは言ってなくね…ッ!?」


 すかさず振り向いたスナイパーの鼻先に銃口があった。普段のハントニクはハチェット&マチェットをサイドアームとして愛用している。しかし元々セットされているセカンダリウェポンは──バックパックと同じショッキングピンクのスキンが適用された──6インチのコンバットマグナムだ。まず全身星条旗柄という稀有な格好の方に目がいくため、常にレッグホルスターに納められた存在に気づける者はほとんどいない。その忘れられがちなコンバットマグナムのハンマーが起こコックされる。


「死んで」


 友好的な笑みを消したハントニクから低い声が発せられ、海食崖に乾いた発砲音が響く。油断しきったスナイパーはもとより、残りの2人ですら止められる隙はなかった。


 ***


 森を包んでいた水の膜が蒸気となって消えていく。『さすらい人』であるFPSプレイヤーの戦い振りを見届けたエルフたちが炎に飲まれかけた海食崖の確認へと散っていった。タンクたちがPvP対人戦に入る直前、ハントニクとグレネットが帝国船を破壊したことで結果的にエルフの森は守られた。これによりエルフと教会の繋がりが明るみになることはなく、そして帝国船の乗組員が王都民やそれに準ずる人間だったことも、この場にいる誰もが知ることはない。ただ死亡したはずのFPSプレイヤーが平然と帰還したことだけが目に見える情報の全てだ。


「ヤツら死に返ったぞ! 師匠よお、召喚者にも亡者が居るのか?」

「彼らは勇者様が呼んださすらい人、以前の者とは違う」


 瞳孔を全開にしているエル=リスをたしなめながらも、エルダーはFPSプレイヤーに懐かしむような眼差しを注ぐ。およそ200年前、一夜にして焦土化した『大帝国』──後に『オールド・バトルフィールド』と呼ばれる地から生還した人間を思い出しているのだろうか。当時と重なる光景を前に、心ここにあらずなエルダーを見上げたエル=リスが立ち上がる。


「教会が言ってるだけで、前みたいなもんだろう?」


 そう言いながら白いローブに積もる灰を払うエル=リスの手つきは優しかったが、フードの中を覗き込む眼光は鋭い。エルダーは深く青い瞳を揺らした。何と言って良いのか迷い、悩んでいるようにも見える。その深刻な表情に向かってエル=リスは挑発的に笑んだ。


「腕が鳴るな!」


 彼の日に焼けすぎて荒れた手のひらには、宝石さながらに鈍く光る弾丸の山があった。どうやら拾い集めることに成功したようだ。得意げに差し出されたそれをエルダーは理解出来ないといった様子で見つめる。


「愚かなる弟子よ、エルフに時はない。私たちは見届けるのみ」

「おう、今度こそ死なねえからしっかり見てろよ!」

「……耳も頭も悪くしたか」

「なんだあラス、大事なもんだろう。割れちまうぞ?」


 エルダーは差し出された弾丸を受け取らず、その手に持った石板で赤茶けた頭を小突いた。然程強さを感じない打撃ではあったが、それにしてもエル=リスは石板の強度の方を心配するだけで全く堪えていない。エルダーの口からは吐息が漏れ、それが風に乗って大量に舞い散る灰と共に遠くへ流されていった。

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