ミッション4:PvP #3

 何の策も無いままスナイパーは前線へと突入した。彼のUIであるウェアラブルタブレットにグラップルの巻き戻る音が真っ赤に燃える炎の轟きにかき消される。


「うお、酸素薄ッ……タンク! どこ…げっふ!」


 あまりの空気の薄さにスナイパーは目を回した。新しい酸素を求めて炎が渦巻き、燃焼で奪われた分を取り戻すように暴風が荒れ狂う。火災の勢いで呼吸はままならず、継続ダメージDOTHPゲージヘルス・ポイントを削ぎ、そこにいるだけでも危機的状況と言えた。赤く染まる視界の中でスナイパーはHUDに目を凝らし、前も後ろも分からない中を一歩ずつ進んでいく。


「アァン! やっぱり強ーい!」


 よく通る愉快な声が轟音の中に響いた。勢いよく振り返ったスナイパーの深緑の目に、炎の中でカランビットナイフを抜くタンクが映る。太い腕が星条旗マンを羽交い締めにし、見事なナイフキルを決めていた。


「そっ…そっちか!」


 慌てて方向を変えるスナイパーを横目で確認し、タンクは冷静に敵対プレイヤーを地面に放り出す。スタミナ切れが見えない相手とは思えないくらい呆気なく勝負は着いた。血まみれの首を押さえながら地面に横たわる星条旗マンは死にかけだ。どこから見ても反撃する力はもう残されてないように思える。だが星条旗マンは満足そうに笑っていた。その様子にタンクは眉をひそめ、可憐な声を張り上げる。


「スナイパー、戻って!」

「何! 聞こえねえ……ってえ!?」


 激しく燃える炎に伴って吹き荒ぶ熱風が全ての音を飲み込み、警告は届かなかった。噴き出す汗を拭いながら炎の中を進んでいた足元で不吉な音が鳴り、土埃を巻き上げてベアトラップが現れた。鋭い刃がスナイパーの足に食い込み、野太い悲鳴を聞いた星条旗マンが笑みを深める。


「ビンゴ! マナーちゃん、ヤッちゃ…って」


 心底嬉しそうな声にソードオフショットガンを向けるも、とうに瀕死だった星条旗マンのアバターが消えていく。満面の笑みが消える直前、彼のグローブに埋め込まれた球体が光った。それと連動してタンクたちの足を拘束しているベアトラップが発光する。LEDライト部分に亀裂が入り、開口した隙間から砲口が飛び出した。


「来るよ、備えて!」

「まっ……は!? なんで、くっそ…ッ」


 炎に阻まれて聞こえないはずの起動音がけたたましく鳴り響く。正確な状況判断より本能的な危険を感じたスナイパーが不穏な挙動を見せるベアトラップを外そうと慌てふためく。それを炎越しに見たタンクは耳の裏に指先を這わせる。彼女の巨体を包み込むほのかな光のエフェクトが発生し、ライトマシンガンの銃口がスナイパーに向けられた。


[✓] ダウンを回避する

 ・パーク:ラストスタンド発動中に炸裂弾を撃ち落とす(任意)

 ・スキル:自己回復(セルフリカバリー)を使用する


 ベアトラップは見た目よりもかなりハイスペックなテクノロジーで作られた代物のようだ。突き出た砲口から無数の炸裂弾が発射された。まるで蜂の巣を突いたような対人兵器に向け、全弾を撃ち尽くす勢いでライトマシンガンのトリガーが引かれる。


「ちょ、フレンドリーファイアあだだだ…ッ」

「余裕ないんだ、耐えな!」

「や、そっ…んな無茶言うなって!」


 炸裂弾による攻撃は防御力を引き上げたタンクですら、満身創痍になるほどの火力だ。彼女が撃ち漏らした炸裂弾と流れ弾に襲われ、スナイパーのHPゲージは簡単に失われていく。もはやタンクと炸裂弾のどちらに襲われているのか分からない。面白いくらい減っていくHPに合わせて、彼の装備がひとつひとつ弾けていった。


「やべ……も、無……理…」

「ッ…スナイパー!」


 最後の炸裂弾が撃ち落とされるまで、スナイパーは被弾を耐え切ることが出来なかった。全てのHPと服が弾け飛び、全裸が崩れ落ちる。タンクはひどく動揺した。彼女はライトマシンガンを放り投げ、リミッターの外れた力で自らの足を捕らえるベアトラップを破壊して駆け寄る。かすかに震える大きな手が触れる寸前、力無く横たわる全裸が淡い光を放った。


「い゙っ……でえぇええ!!!」

「……あんた、」

「っぶな! セルフリカバリー無かったらマジ死んでた」


 どこかで述べた通り、狙撃手スナイパーの役職は集中攻撃を受けやすい。そのため、生き残りに特化したスキルを保持することが基本だ。特に死亡時に装備アイテムを落としてしまうゲーム仕様では、一回戦につき一度だけダウン瀕死状態を回避出来る自己回復セルフリカバリーは必須と言っても良い。

 今まで以上に野太い──汚い声を張り上げて飛び起きたスナイパーのHPは全回復し、幼気な体には傷も服も何も無かった。傍らには所持品が詰まったミリタリーボックスが転がる。全裸であること以外は、いつも通りの彼を眺めてタンクは小さく息を吐く。


「そう……次から役割ポジション、交換しようか?」

「へ? あ、あー…そっちずっと前衛だもんな、悪ィ! 次は……あ、」


 冗談を不平と勘違いした野太い声が不意に途切れた。タンクの厳つい髭面はしかめられ、さすがに疲労の色が見える。彼女は巨体を屈めてしゃがみ込み、スナイパーの細い足に食い込むベアトラップを外していた。つまり全裸の女性アバターの前で男性アバターが屈んだ状況だ。いろいろな危険性を見出したスナイパーが焦り出す。


「ちょ! ちょっ、ちょい待ち……すぐ装備すっから…」


 今のタンクが男性アバターとはいえ、中身は女性プレイヤーだ。女性の前で女性アバターの下着姿を見せつける事案をとうとうスナイパーも自覚したらしい。その場に放置されていたミリタリーボックスを漁り、急いでUIを操作して服を装備していく。早くも戦闘終了の空気が流れるが、まだ前線の炎は鎮火する様子を見せない。すでに継続ダメージDOTを受ける火力はないと言っても、依然として炎が──している。

 彼らの周りで燃える一角が揺らめき、ゆっくりと起き上がった。一帯から分離した火柱を中心に風の流れが変わり、急速に炎が回転を早めて赤から青へと変わっていく。そして青白いリングとなって消えた後、そこに煤けたフォレストワークウェアが立っていた。


「……え?」


 安全反射を輝かせる人物の登場に野太い声と可憐な声が重なる。グレネードランチャーを構えた敵対プレイヤーはこの時を待っていた。あれからずっと炎の中に倒れ、タンクとスナイパーが揃うタイミングを窺っていた。必要以上に回っていた炎は全て、この敵対プレイヤーが撒いたものだ。炎の中であれば、気づかれることはない。現に今まで気づかれなかった。


「あいつ……なんで、生きて…」

「いくよー、ファイアインザ〝オ〟ール!」


 森林作業員が舌足らずな発音で爆発を告げ、グレネードランチャーを発砲した。炎で安全反射がきらめく様をスナイパーは見つめることしか出来なかった。


[✓] 仲間の死亡を見届ける

 ・投擲武器:EMP(電磁パルス)グレネードを使用する(任意)

 ・パーク:バンカーシールドで擲弾を受け止める(任意)


 不測の事態をスナイパーはまだ受け入れられていない。呆然とする彼が自覚していない誤算があった。

 FPSプレイヤーにはつい撃ってしまいたくなる目標がある。赤いドラム缶やジェリカンだ。視界に入ったそれらをFPSプレイヤーは条件反射で狙う習性を持つ。いつから、なぜそこに置かれているのかは問題にならない。エネミーが赤い目標物の近くを通過する際、多くのFPSプレイヤーがトリガーを引いてしまうだろう。エネミーが引火性の投擲物を持っていれば、なおさら確率は高くなる。分かりやすく掲げられた火炎瓶は最もな一例だ。全てが一網打尽にするための前座だった。

 放物線を描くグレネードランチャーの擲弾と入れ違いにタンクがEMP電磁パルスグレネードを投げる。そのまま伸ばされた腕にバリスティック・シールドを形成し、スナイパーを庇うように立ち塞がった。


「くっ…!」


 グレネードランチャーの衝撃を受け止めたタンクから短い呻き声が上がる。ほとんど死にかけも同然で、彼女の残り少ないHPゲージは点滅していた。全身を焼かれた巨体が振り向きざまに膝をつく。そして厳つい顔に柔らかい笑みを浮かべ、黒焦げの大きな手でスナイパーの顔を優しく掴んだ。


「スナイパー…逃げな」

「……タンク?」


 囁かれた言葉の意味を汲み取れず、スナイパーはただ呟いた。不安げに深緑の目を揺らす女性アバターの顔の真横で、焼け焦げた太い腕からバリスティック・シールドが崩れ落ちる。それと同時にどこからか飛んできたハチェットがタンクの背中に突き刺さった。


「……走…って」


 血と共に最期の言葉を吐き出したタンクが消滅していく。最期の時ですら、彼女の言葉は端的で呆気ないものだった。存在感のあった巨体が跡形もなく消えるのに合わせて炎が弱まり、大量の灰が舞い始める。それが炭化したバリスティック・シールドの残骸と血まみれのハチェットの上へ静かに降り積もった。今にも灰で埋もれそうなそれらと、スナイパーの顔に残された真っ黒い手形だけがタンクの存在していた痕跡だった。


「イッタタタァ! マナーちゃん止められたらグローブ固まっちゃうのねー」

「うん、EMPいたい……すごいね!」


 降りしきる灰に紛れて賑やかな2つの人影が近づく。颯爽と登場した星条旗マンと森林作業員はグローブをはめた手を開閉し、激しい攻撃を与えてきた人物とは思えない気安さでスナイパーに話しかける。


「んまっ、1人ずつ殺れたし引き分けでもイイかし…ら?」


 灰まみれのスナイパーはすっかり戦意を喪失していた。いつもの彼であれば即座に出てくるであろう余計な一言も今は何も出てこない。小刻みに揺れる深緑の目から涙がこぼれ、煤で黒く汚れた女性アバターの頬を流れていく。


「あらあらあら、泣いちゃってる?」

「わ、わっ、ごめんね! えっと、どこいたい?」

「痛いとこだらけでしょ! んもぅ、ネイトったらやりすぎィーヒヒヒッ!」

「ごめんなさい、すぐ治します!」


 森林作業員が拙い喋り方で謝罪しながら、チェック柄のペールブルーストールに包まれたケミカルスティックを差し出す。その隣で星条旗マンが今にも倒れそうなくらい仰け反り、海食崖全体に響き渡るほどの笑い声を上げる。敵対プレイヤーの表情に悪意は見られず、単にゲームを楽しんでいるようだった。その言動に耐えきれなかったか、スナイパーは歯を食いしばり充血した目で睨みつける。


「なんで……お前ら、なんでっ…死んでねえんだよ!」


 スナイパーは野太すぎる怒号を放ち、差し出されたストールを思い切り払い除ける。ケミカルスティックが飛んでいき、少し離れた地面に当たって割れた。行き場を失ったグリーンの粒子が風に流される中、バランスを崩した森林作業員が座り込んだまま首を傾げる。


「あれ? 男の人?」

「殺しましょ」


 ひと時の猶予も無く決断は下された。星条旗マンのマチェットがスナイパーの首元に突きつけられる。これで完全に反撃する機会は失われた。彼は震える手で黒い灰を握りしめ、与えられる最期の衝撃を覚悟して目を閉じた。

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