ミッション3:ワンダラー #3
王都はその名の通り、王が存在している。王によって統治され、次いで力を持つ貴族会と王の下へ集った評議会とで秩序を保つ。しかし今は教会がほぼ単独で王の謁見を任されていた。これにより教会が王家に次ぐとされ、事実上貴族会や評議会を上回る発言力を有している。但し、その強大な力は従順に王の前に佇む。
「勇者様、こちらへ」
教戒師に呼ばれた先には王都を一望出来るバルコニーがあった。そこには絢爛な装飾が施されたマントに身を包む王が座り、両側に近衛兵が控える。勇者は王の居室の半ばで立ち止まっていた。もう一度、教戒師が手招く。
「勇者様、もっと王のお側へ」
「またか、なぜだ」
たとえ王の前であっても、いつもと変わらない態度を咎める者はこの場にはいない。なかなか言葉に従わない勇者に、柔和な表情を浮かべた教戒師が柔らかな口調で語りかける。
「あなたは勇者様なのでしょう」
「……そうであれば良いがな」
「では、そのように」
深く染み渡る囁きに、一呼吸置いて勇者が出した答えはあからさまなぐらい苦々しい声だった。それに対する教戒師の返答は他の魔法使いと同じく、ただ受け入れるだけのものだ。わざわざその場にいる意味を見出だせずにいるのだろう。ようやく教戒師の横に並んだ麻袋から見える青い瞳が据わっている。そんな勇者をよそに教戒師から王に向けて報告が行われる。
「報告いたします。ドラゴンとは
「予言書には何と書いてあったか」
「〝さすらい人により つくられた 新たな地を 見いだすであろう〟」
「
「そのようにいたします」
教戒師が恭しく拝命すると、王は頭からすっぽり被ったマントの裾を揺らして満足げに頷いた。それを最後に沈黙が落ちる。
「……もう良いか」
王も含めて誰の動きもなくなった空間で、麻袋から疲れを滲ませる呟きが漏れた。教戒師が微笑んだのを退出の許可であると判断した勇者は早々と立ち去る。その後ろ姿を見送っていた王の様子が徐々に変わっていく。
「予言を、……辿れ、さすらい人の……時が来る。今日は冷えるな。気温は……くもり、もしくは雨……良い天気だ。魔力を持ってきてくれ」
「……教戒師様、終わりにいたしましょう」
「そのように」
「魔力が必要だ。早く魔力を……魔力を集めろ」
先ほどまでの聡明さが消え失せた王の姿に近衛兵が退出を促した。常と変わらない静けさをまとう教戒師が王の居室を後にする。背後で夢遊病じみた王の呟きが小さくなる中、ふと足を止める。居室の出入り口には勇者に置いていかれたアーチが立っていた。
「アーチ、それは?」
「はい、先生」
優しく問いかける教戒師をアーチが『先生』と呼び、フラッシュライトを差し出す。わずかに親しみが込められた呼びかけに、他の魔法使いよりもある程度人間味がある教戒師──改め、これからは先生としよう──は微笑し、フラッシュライトを軽く退けてドミノマスクへ温かな視線を注いだ。
「勇者様も魔法使いとはいえ、別の世界より呼ばれた方。君は教戒師ではないが、声を使った会話に慣れた方が良い」
「……はい、先生」
長い間を置いてアーチはドミノマスク越しの視線を伏せる。感情の乗らない返答を聞き、先生は魔法使いらしからぬ笑みを深めた。
***
ぽたりと液体が滴る音が聞こえ、スナイパーが目を覚ます。あれからどのくらい経ったのだろう。それともかなり遠くへ飛ばされてしまったのか、騒がしかった音はどこからも聞こえない。彼は麗らかな空気の中で少しばかり擦り切れた体を起こし、水滴音に目を向ける。
「ってえ……血ィ!?」
スナイパーは野太い悲鳴を上げた。また赤い水滴がアサルトライフルにぶつかって弾ける。それは腹の傷を押さえるタンクの腕を伝い、肘の先から滴り落ちる血だった。
「え、大丈夫かよ。回復は?」
「さっき使っ…た」
「マジかよ! いや、でもそれ…」
ぐったりと座る巨体の周りには使用済みの回復薬の
「回復すんの遅くね? なんで……立てねえとか?」
差し出された回復缶と携帯食品のチップスを前に、土気色の顔が緩く振られる。スナイパーは渡し損なった回復一式を仕舞うことも出来ず、恐る恐る問いかけるしかなかった。その不安げな表情に何かを言いかけたタンクがむせ、赤い飛沫が飛び散る。それから誤魔化すように逞しい赤髭に覆われた口角を上げた。
[✓] 追跡者とエンカウントする
・負傷したタンクを背負う
・軽装輪装甲車を発見する
経口摂取する必要がある回復を断られたと思ったらしい。スナイパーは慌ててウェアラブルタブレットのディスプレイに手を伸ばす。
「回復ポッドなら……まだリキャスト中!? えぇー、ちょ…ちょい待ち、」
「……ダウンまでは、してない、から…そのうち、動けるようになる」
「や、回復する前にダウンするっしょ、このままだとすっから……あー、くっそ!」
スキルが使用可能になるまでの
「……無理しないで、良いよ」
太い腕を持って固まるスナイパーを労わる声が掛けられた。力を入れて立ち上がろうとした彼の想定は外れ、タンクは座った状態のままだ。
「無、……理じゃねえし! 運べっから、こんくらい…ッ!」
どう見ても無理な体格差を認めず、何度も引っ張るスナイパーを眺めたタンクが密かに力を振り絞って立ち上がる。しかしすぐに男性アバターの足の力は抜け、女性アバターに覆い被さる体勢になった。今にも倒れかかる巨体に押し潰されそうになりながら、太い脚を持ち上げようと回した小さな手は長さも握力も足りていない。背中に押しつけられる大胸筋の感触にスナイパーの表情が変わる。
「うお! でッか……ハッ! お、っぺー?」
行き詰まって身動きが取れない不安が違うところと混線したようだ。危機的状況で活性化させる場所はそこではない。明らかに邪念が過ぎったせいで意識を飛ばすスナイパーを見て、違うことを察したタンクが耳元に顔を寄せる。
「重いだろう」
「お、おおおう! 重ッ、重いな! 規格外のおっ…………おおおっさんとか担いだことねえから!」
可憐な声に気遣われ、意識を取り戻したスナイパーは盛大に自爆した。理性を振り絞って軌道修正した答えが、事実とはいえ女性に言う言葉ではないことに気づいていない。首筋に当たる苦しげな息と背中に当たる温度が彼の焦りを加速させる。
「悪かったね」
「いや、違ッ…重いのは、そ、装備で! そういう意味じゃ…!」
スナイパーは日頃から焦りを感じると周りの状況が読めなくなる。それから不安に陥ると野太い声で騒いだ。ほんの少し落ち着きを保てば、低すぎる声も信頼を得る手段となるはずが持ち腐れているのがスナイパーという人物だ。この性質のせいで女性には避けられ、接触する機会に恵まれずにここまで来た。そんな彼にとって、おそらく人生初の女性との超至近距離に触れ合うイベントなのだろう。背中に密着する巨大な圧力が大胸筋であるのも忘れ、頭の中がおっぱいでいっぱいになったスナイパーは実に冷静さを欠いていた。
「スナイパー、」
「すんっ…ませ…! は、早く行かねえとだよな……っし! 唸れ俺の大胸キ…ッ」
何とか邪念を振り払い、誰に言い聞かせるわけでもなく気合いを入れ直したスナイパーが力を込める。そして規格外の重みに息を詰まらせ、可笑しな体勢でフリーズした。脂汗が吹き出し、キャップからはみ出した髪が乱れてべっとりと肌についている。ギシギシと音が聞こえてきそうなくらいこわばった背中の上でタンクが優しく呼びかける。
「……スナイパー」
「ひょっ、裕……だから! 全ぜ…ぐえっ!」
吐息混じりに耳元で名前を呼ばれ、奇妙な鳴き声を混じらせてスナイパーは必死に答える。しかし幼気なアバターの体は軋み、姿形に合わない汚い声を吐いた。ちなみに先ほどから一歩も進んでいない。おそらくタンクの重量は装具や武器を合わせなくても100kgを超える。彼女の重量の半分にも満たないサイズのスナイパーは衝立てになるだけでも十分よくやっている方だ。タンクもそう思ったのか、再度彼の耳元に顔を寄せた。
「スナイパー、車」
「は、は、…いッ!?」
まるで犬が口を開けて体内の熱を逃がすパンティングだ。スナイパーは荒い呼吸を繰り返し、悲鳴のような声で聞き返す。一歩進むと言うより、数ミリ単位で足をずらすだけで簡単に息は切れていた。タンクは全身を震わせるスナイパーを見つめ、今度はもう少し分かりやすく囁いた。
「向こうに、車を置いた…」
「はっ…むこー、くるま……車?」
限界を突破して可笑しなゾーンに差し掛かっていたスナイパーがほとんど回らない首を無理やり前方に向ける。少し離れたブッシュに、タンクがインベントリから出した軽装輪装甲車が鎮座していた。彼は汗でぐちゃぐちゃになった首筋に焼き切れそうな血管を浮かべ、横隔膜を震わせる。
「はっ、は、早く言って!?」
荒い呼吸に乗せて情けなく裏返った声にタンクが少しだけ笑った。その時、かすかに小枝が割れる音が響いた。
「スナイパー、降ろして…!」
「へ?」
突然の解放感に呆けるスナイパーを通りすがりに殴り倒し、ブッシュから現れた男は意気揚々と巨体の方へと接近する。かたやタンクは動かない体で地面を這いずり、アサルトライフルを引き寄せてリロードを急いだ。必死な様子の男性アバターと気絶した女性アバターを不思議そうに見比べ、エル=リスは笑う。
「テメエらみてえのでも仲間は大事ってか、」
そう言いながら感心したようにエル=リスはまばらな無精髭を掻いた。その顔にタンクは目を見張る。死んでなかったことにも驚きだが、数十分足らずで全ての負傷が消えていた。むしろ数日が過ぎても綺麗に治る見込みはなく、隠すことすら出来ないほどやり合ったはずだ。だがエル=リスの傷は完治したと言うより、初めから何事もなかったかのように見える。タンクたちが回復薬によって元通りの肉体になるのと同じく、傷跡ひとつなくなった顔がゆっくりと下ろされる。
「……気が知れねえな!」
苛立ちを強めたエル=リスの足がタンクの顔面を蹴り飛ばした。一撃で昏倒した彼女の手からアサルトライフルが滑り落ち、辺りに血飛沫と5.56mmの弾薬が散らばった。
***
[✓] LOADING…
火の粉と灰が木の葉の擦れる音と共に流されていく。森の中は事故現場が広がっていた。そこから漂う煙に誘われ、2つの人影が現れた。そのうちのひとりが星条旗のパジャマを海兵隊式に袖まくりした太い腕を上げる。
〈測定完了、周囲二汚染脅威ナシ〉
音声に従って兵士たちがブッシュから立ち上がる。腕を上げていた方は全身が星条旗柄という点を除けば、軍用サングラスで目元を覆いグレージュの豊かな髭を生やした一般的な兵士だ。『I 〝ハート〟 LA』が刺繍されたキャップの鍔を上げて対象物に近づき、一通り眺めてから青白く光るグローブで残骸のフォルムをなぞる。
「あらー、リーパーじゃなかった?」
「うん、チョッパーだ! ブラックホーク……MH-60Lかな? 足跡いっぱい…」
黒焦げの機体はほぼ原型を留めていない。安全反射が光る
「墜落したとこ、密猟者の拠点だったみたいね」
〈ビジョン完了、周囲二生体反応ナシ──あぁ? アーマー野郎じゃねえのか、金目のもん以外要らねーぞ〉
無機質な音声が球体から流れ、途中で巻き舌気味の低い声が混じる。星条旗の兵士は黒焦げのブラックホークの残骸を辿り、点々と散らばる部位と死体をひっくり返していく。どれも生前の様子を知るには難しい状態だ。だが明確に何かが見えている素振りで、一点を見定めると焼け落ちた残骸を覗き込んだ。
「操縦士っぽい死体がない、逃げたか…」
まだ熱が残るコックピットの残骸を軽く叩き、星条旗の兵士が煤を払って立ち上がった。それに合わせたように、茂みに体を突っ込んでいたフォレストワークウェアの兵士も嬉しそうな声を上げる。
「あっ、装甲車ある!」
〈安全ヲ確認──おお、良いじゃねーか。ガソリンはあるか?〉
「えっと、運転できるかな……がんばる!」
崖下に放置された装甲車まで点々と血痕が落ち、その先に凄惨な血溜まりがあった。フォレストワークウェアの兵士がゆるく拳を握り、気の抜ける気合いを入れて血痕を追って崖下を降りていく。上半身の着込み具合からは考えられないほど足元は無防備なサンダルだった。今にも滑落しそうな装備で器用に降りる仲間に続き、星条旗の兵士はブッシュに手を掛ける。少し焦げた草をかき分けるグローブが数回瞬いた。
〈バトラー、警戒ヲ解──ガソリンは抜け、バッテリーと部品もバラして持って来い〉
「んもー、バックパックも限界あるのよ!」
追加注文に文句を言いつつも星条旗の兵士はバックパックからレンチを取り出し、手元で一回転させて一気に装甲車の元まで滑り降りる。すでにフォレストワークウェアの兵士も口元をチェック柄のペールブルーストールで覆い、赤い
〈推奨──ブラックホークもな、カラヒー〉
「ハイハーイ……ハイホー?」
「シルバ!」
どこかで聞いた覚えのある号令に兵士たちは軽やかに応え、お互いにサムズアップする。それが作業開始の合図だった。それからしばらくの間、戦闘の余韻が燻る森の中で整備工場のような音が続いた。
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