ミッション3:ワンダラー #1

 『王都』は『ドラゴンの落し子』と呼ばれる魔法使いの魔力で発展を遂げた国であり、魔力によって安全な生活が保証される。それにより王都では魔力に変わるエネルギーの発展が認められず、結果的に魔法使いが所属する『教会』の影響力は絶大となっていた。その絶大な力を保有する立場、とされる『評議会』が雁首を揃えて会議を開いている。


「して、魔王城へ出した守備隊は見つかったのか」

「全てが燻る火と灰の山となり、今も数多の騎士の行方が知れず……」

「……原因は分からぬと?」

「生き残りから話を聞いていますが……敵の姿を見た者はおりません」


 守備隊が円卓に座った評議会に取り囲まれ、プレートアーマーの焼け焦げた経緯を苦々しく報告している。今行われている議題は、魔王城までの道中に配備した守備隊が消えたことに対する原因追及だ。


「魔法使いと聖騎士隊はどうした」

「無事に魔王城へ到達したとも聞きますが、それ以降は分かりません」

「やはり守備隊に外の警護をやらせるのは力不足だったのだ」


 どこからか飛んできた野次に評議会がざわめいた。誰が発言したのかまでは分からない。正確に分からないことが彼らにとって都合が良いのだろう。評議会内に悲観的な空気が広がったところで、守備隊は背筋を正してつけ加える。


「お待ちください! 海食崖付近の海で待機していた守備騎士から、魔法使いを見たとの報告もあります!」

「海食崖には上陸しない手筈では無かったか?」

「ドラゴンに誓って偽りはなく! 魔物か……『帝国』の機械のようなものと戦う魔法使いを見たと、」

「それが真であるなら、魔王城の浄化はどうなったのだ」

「魔法使いをくださればもっとお役に立てます! ですから、どうか我々にも…っ」

「もう良い、下がれ」


 評議会の誰かが呆れたように手を払う。それに伴い、円卓の中央に立たされていた守備隊が評議会室の外へと押しやられる。扉の向こう側はひどい臭いが立ち込め、黒く焼け焦げた何かが数体並んでいた。それは評議会にも見えたはずだが、彼らの意識はもう別のところにあった。


「海食崖で戦うなど、あそこはエルフの不可侵条約地帯ではないか……教会は何を隠している」

「そんな馬鹿な話があるものか、教会が何かを隠せるわけがない!」

「ならば、なぜ教戒師きょうかいしは説明に来ない?」

「呼んでどうなると言うのだ。あの教戒師、いくら聞いても『そのように』としか言わないではないか」

「魔法使いは独断で動けぬよう戒められている。正しい命令をしなくては、魔法使いは扱えぬぞ」

「然り、教会は王家の命令にしか従わぬ。教会を疑うことは王を疑うこと、しかと心得よ」


 評議会は議論し合っているが、責任を負うことに敏感な人間が行う会議だ。四つの湾曲したテーブルを寄せ集めて出来た不完全な円卓では、その見た目通りどこかが欠けて何が決まるわけでもない。


「王に疑いはないが……いつまで王との謁見を許されないのだ。予言書の勇者など、頻繁に出入りしているらしいではないか」

「然様、問題は勇者だ。あの者が現れてから、教会はどうもおかしい。此度の守備隊が壊滅させられたのも、予言書の勇者に原因があるのでは……」

「しかし、あの勇者……かの病を癒すとされる者なのだろう? 現に教会は治療をしている」

「勇者とやらが何を成したと言う。魔法使いが祈る側で立っているだけとの噂もあるのだぞ!」


 教会に対して懐疑的な見方をする評議会の一言で、話題は勇者まで飛び火した。それをきっかけに教会を擁護する発言をした者がほくそ笑む。あからさまに何かを企んでいるような表情だ。周囲もそれを知りながら素知らぬ口振りで会話が続く。


「教会が何をしているか知るのみであらば、海食崖へ参ることに何の問題があろうか」

「ふむ、ドラゴンの加護を受ける身であられても王もお年であるからな。教会の管理は重荷とも言えよう」


 別々のように見えて、『教会派』も『懐疑派』も同類なのだろう。結局は問題を解決することにさして興味はなく、目論見を通すための正当性と隙を窺っていただけだ。そこかしこで話される密談が大きくなり、誰が何を言っているか上手く判別がつかなくなったところで本音が飛び出す。


「それならば、あの魔導船をお貸しください。城壁に群がるあれらを使いましょう」

「おぉ、それは良い! 王都に群がる者がなくなれば、評議会の評価も上がる。王もお喜びになるであろう」

「お任せください。必ずや教会より戦果を上げさせます」

「では早々に貴族会にも話を通しておきましょう。我らが教会よりも能力が上であることを示せば、貴族会もこちら側につくはず」


 評議会内で『貴族会』への感心が高まる。喜々としてこれからを算段する円卓を見て、評議会の中でも古株らしき老年が満足そうに頷いた。それを見た隣の高年が頷きを返す。


「教会にこれ以上力を持ってもらっては困るのだよ」

「そうですな、あの罪人共めが……我らに主権を戻さねば」


 冒頭でも述べたように王都は教会が絶大な影響力を持つ魔法国家だ。だが教会は王家にしか従わず、そもそも魔法使いは独断の行動を規制されている。この会議で議論されたのは、その強大な影響力を誰が所有するかということだ。こうしてつまらない会議──第一回海食崖会議とでも記しておこう──は幕を閉じた。


 ***


 長身揃いの魔法使いの中でも、特に背の高い男性がいた。クラシカルなスーツの上にまとうコルセットの裾は引きずるほど長く、男女問わず似たシルエットの魔法使いと同様に黒一色だ。しかし男性は魔法使い特有のフェイスベールをしておらず、長い桃色の髪とやや年を重ねた柔和な顔を晒している。『祈りの間』の血に濡れた床を歩く足元も、他の魔法使いとは違ってヒールはない。


「……教戒師様」


 『教戒師』と呼ばれた桃色の髪の男性が聖騎士へ近づく。肋骨が折れているらしく息苦しげに脇腹を押さえている。魔王城で勇者と行動を共にしていた聖騎士隊のひとりだ。

 あの後、勇者たちは魔王城から『送りの塔』と呼ばれる転送装置トランスポーターで教会に帰還していた。予定より早い帰還はまだ公にはなっていない。彼らは帰還して以来、教会に隔離状態だった。


「魔王城の……魔力は、」

「予言書の通り、事は成されます」


 深く温かな声が返され、聖騎士は安堵の息をもらす。教戒師からあふれ出した淡い光が聖騎士を包み込んだ。次第に荒い呼吸が安定し、小刻みに震えていた体の動きが止まった。

 これが魔法使いによる治療だった。これと言って特別な動作も呪文もなく、魔法使いや聖騎士隊にとって珍しくも無い日常だ。祈りの間では、度々このような治療が行われていた。


「慈悲深きお方、ドラゴンのご加護を」


 聖騎士は教戒師に感謝を述べて祈りの間を出て行った。魔王城から帰還した後も、負傷した聖騎士や魔法使いが入れ替わり立ち代りやってきた。次の負傷者へ向かった足が首筋を押さえて震える聖騎士の前で止まる。


「この傷は」


 聖騎士の首筋には〝クロスボウ〟の〝ボルト〟が突き刺さっていた。教戒師が興味深そうにボルトに指を這わせ、首筋を押さえる手を外す。嗚咽が聞こえなくなった。手早くボルトを抜き取り、意識を失くした聖騎士を撫でると裂傷が塞がった。教戒師が近くに控える魔法使いへ血まみれのボルトを手渡し、顔を上げて虚空を見つめる。


「〝天から舞い降りる さすらい人〟」

「はい、風の子どもが海食崖へ」


 教戒師は魔法使いの無感情な報告に頷き、また歩き出す。次に立ち止まったのは、負傷した足を投げ出して座る魔法使いの前だ。長身の上背を屈めて覆いかぶさるように押さえつけ、血まみれのドレスを捲って中のズボンを引き裂く。それから魔法使いの口を片手で塞ぎ、血で汚れる射創に躊躇いなく指を差し込んだ。ひどく痛むのだろう、魔法使いが口を塞ぐ手に噛みついた。少しだけ教戒師は顔をしかめ、裂傷部分に入れた指をゆっくりと引き抜く。


魔力チャームを要しない、前時代の武器……」


 教戒師が手を退けて立ち上がると淡く光り、同時に魔法使いの創傷が蠢き塞っていった。彼は何事もなく立ち去る魔法使いを見届け、傷口から取り出した血で滑る鉄の塊──〝弾丸〟に視線を落とす。


「……体内の魔力で防げるのは、一度限り」


 教戒師は色の褪せた目を閉じ、弾丸の感触を確かめるように握り締める。祈りの間が静寂に包まれた直後、慌ただしい足音が響き渡った。


「教戒師様! 魔法使いに癒しを…っ」


 隊長が焦った様子で教戒師に近づく。その傍らには片足にワイヤーが絡まった魔法使いが立っていた。全身が血にまみれ、ところどころが焼け焦げている。完全に静止していた教戒師が目を開けた。


「風の騎士様、海食崖はどうでしたか」

「魔力が足りず、遅れを取りました。どうかご慈悲を…!」


 隊長は魔法使いに触れないよう努めながらも、心配そうに近くで懇願した。教戒師は緩やかに顔をほころばせ、もう一度静かに問いかける。


「さすらい人様は、どちらへ」

「っ…失礼しました。さすらい人様はエルフの森の方へ」


 隊長の報告を聞き、教戒師が血まみれの魔法使いの足を見下ろす。途端に生じた風によってワイヤーが切断され、血飛沫と共に飛び散る。その残骸に視線を落とした魔法使いが薄く口を開いた。


「空より、さすらい人様は地に導かれます」

「では、エルフに任せましょう」


 教戒師からまた淡い光が漏れ出し、傷だらけだった魔法使いが回復していく。それを見守っていた隊長が深刻そうな気配を漂わせる。


「教戒師様、魔力に……陰りはありませんか」

「尽きるとも、高位なるお姿に至れることは全ての魔法使いウィッチャーの望みです」

「……はい」

「ですが、まだ呼ばれる時ではありません。私の魔力とドラゴンのご加護をあなたに」

「慈悲深きお方、教戒師様……ドラゴンのご加護を!」


 隊長が淡い光と言葉に満たされ、胸を撫で下ろした。教戒師は高い位置にある目じりにしわを寄せて、穏やかな微笑みを深めた。


 ***


 祈りの間の仄暗い入り口付近で置物と化していた影がのっそりと動いた。スナイパー曰く、シロクマのような勇者だ。祈りの間を出てすぐの階段を上がり、中庭に出たところで目についた台座に腰を下ろす。時刻は昼を回った頃だろうか、明るい日差しが差し込んでいる。

 彼は心地よい空気を吸い込み、握り締めていた色黒の手を開く。刃物による細かい傷が自然に癒えていくのが見えた。魔王城で爆発に巻き込まれたにしては考えられないほど無傷──短剣を受け止めた時の傷以外、目立った怪我はない。


「死ぬ者と知りながら、なぜ助ける」


 すっかり元通りとなった分厚い手に傷み切った籠手を巻き直しながら、近づく気配に対して視線もくれずに問いかける。気配は答えをくれなかったが、勇者は構わずに続けた。


「予言では……俺は死ぬのだろう?」

「成すべきことを見失っている方、起こることは起こります」

「またそれか」


 『成すべきことを見失っている』とアーチに指摘された通り、勇者に予定はなかった。王都へ帰還してから行く場所も目的もなく、ただ座っていただけだ。教会の考えが分からないばかりか、この国の基本的なことすらろくに知らない様子の青い瞳はいつも困惑に満ちている。実質、予言書に命を握られていると言っても良い状態だ。彼が分かるものは戦いであり、それ以外にやるべきことが思いつかないのだろう。魔王城で剣斧を振り回し、魔物と対峙した時は生き生きとして見えた。


「あれは本当に魔物だったのか」


 口をついて出た疑問が中庭に吹く冷涼な風に流され、アーチの擦り切れたフェイスベールがはためく。勇者と対峙した魔物は人間が溶けて混ざり合い、一体の生物として成り立っていた。彼が知らない形状の〝銃口〟から複数の眼球が覗き、その皮膚は無数の刃物である〝コンバットナイフ〟が鱗のように重なり合う。一塊りに融合した部位から苦悩や悲鳴が聞こえてきそうな魔物だった。


「アーチ、」


 応えがないことに痺れを切らし、魔法使いの名を呼ぶ。中庭に吹く風でフェイスベールが揺れ、勇者の黒々とした短髪も柔らかくなびいた。何か思い悩むような表情を貼りつけ、強い意志を滲ませた青い瞳でアーチを見上げる。


「アーチ、いい加減それを何とかしろ」


 魔物や予言書よりも、今まさに勇者が気になったことはそれだったか。彼の視線はぼろぼろのフェイスベールに注がれている。勇者が無遠慮に剥ぎ取ったフェイスベールは、瓦礫から掬い上げられた時にはぼろ切れと化していた。もはや用途を成さず、かろうじて頭に引っかかった状態だ。普段はベールに隠されている部分がむき出しになった姿を勇者は渋い顔で見ている。魔王城から教会に戻る際も、祈りの間で治療が始まる時も、彼は得体の知れない魔法使いという生き物を観察していた。反応のないアーチを見て一層眉をひそめ、硬い声で再度問い直す。


「聞いているのか」


 わずかにアーチの気配が動いた。出方を窺う勇者の目の前でフェイスベールが音もなく腐り落ちる。ほとんどあらわだったアーチの頭部から最後の障害物がなくなり、温度を感じられない銀色の視線が勇者を射抜く。しかし、すぐにこめかみ付近からその黒髪とよく似た細く黒い糸状の何かが這い出し、瞬く間に織り上がった黒い布が月光と同じ色の瞳を覆い隠す。それは繊細な装飾が施された黒いドミノマスクだった。思ってもいなかった反応を受けて、勇者は呆気に取られた。


「そういう意味では、……無い」


 真正面に立つアーチはいつもと変わらぬ粛然とした態度で佇み、もう何の意志も感じられない。魔法使いと話し合いが成り立たないのは、この数ヶ月で勇者が学んだことだ。これ以上の変化は見込めないと早々に諦め、苦い表情を浮かべて装備に手を掛ける。


「また黙りなのは構わんが、目障りだ。これでも着ていろ」


 白い獣皮の羽織りを脱いだ拍子に懐からフラッシュライトが滑り落ちた。勇者が魔王城で拾ってから忘れ去っていたものだ。あの時と同じように音を立てて転がっていき、今回はアーチの足先にぶつかって止まる。ドミノマスクに隠された瞳がフラッシュライトを見つめ、そっと拾い上げた。そのまま祈りの間へ通じる扉に向かう後ろ姿はすでに勇者の存在を認識しておらず、行き場を失った獣皮の羽織りが悲しく揺れる。


「魔法使いは……一体、何を考えている」


 傷ひとつない青白い背中が扉の奥へと消えていった。完璧に無視される形になり、もはや怒る気力も無くした勇者は羽織りを肩に戻すついでに喉元を掻く。太い指先が無精髭に当たり、ようやく頭部の麻袋が脱げていることに気づいたようだった。

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