ミッション2:コンタクト #3

 薄暗い森に澄んだ朝日が差し込む。タンクは駐屯地から必要な物資を集め、ビバークで一時の休息を得ていた。その側で気絶するように眠りに落ちたスナイパーは、朝日が登るまで一度も目を開けることはなかった。呑気な寝息の合間に盛大なくしゃみが発せられる。彼は寝袋代わりに被せられたパラシュートからはみ出し、朝特有の肌寒さに震えていた。タンクがぐしゃぐしゃになったパラシュートに手を伸ばすと本能的に暖かさを求めたスナイパーが擦り寄り──、飛び起きた。


「おはよう」

「お、おは……へぶっしょい!」


 可憐な声による朝の挨拶にスナイパーは戸惑い、寝ぼけた頭をフル回転させている。わずかにヘーゼル色の目を緩めた厳つい顔が苦笑し、縋りついてきた手を軽く振りほどいて一晩中行っていた火の番に戻った。タンクのゴーグルは取り払われ、強靭や屈強という言葉が似合う髭面の素顔が火に照らされる。額に走る大きめの傷や左頬の全体に広がる火傷痕が厳つさに磨きを掛けていた。それをスナイパーは何をするでもなく眺め、ふと思い出したようにパラシュートの下を覗く。


[✓] 荷物を共有する

 ・タンクから提供された装備を再設定する

 ・タンクから提供された食料を食べる


 そこには眠る前と変わらない、ぼろぼろの布切れを着た女性アバターの体があった。身に沁みるのは冬に差し掛かった朝の寒さだけではなさそうだ。ぐずぐすとする鼻を擦り、彼はうなだれる。


「やべえ……何も守れてない…」

「これで良かったら着なよ」

「え…あ、お…おう?」


 不意に布の擦れる音が聞こえ、スナイパーの目の前に逞しい腕が差し出される。暖かそうな素材で出来た衣服と防具だった。タンクと装備を交互に見比べ、スナイパーは感謝でも謝罪でもない言葉をこぼした。いつも野太い声で騒ぐ男にしては弱々しい返答だ。すでにタンクはアルミ製のメスティンを火にかけて別の作業に移っている。

 しばらく火が弾ける音を聞いていたスナイパーは言われたことを理解し、息を潜めてタブレットのUIを操作する。彼の装備がパーカーと厚手のジャケット、足首近くまで覆い尽くす防寒性の高いスポーツインナーの上に半ズボンへと変わった。最後によれたショルダーホルスターが解除され、ジャケットの下にプレートキャリア防弾ベストが再装備される。元々男性アバターのサイズだったはずの装備は体格差を無視して女性アバターにフィットした。布面積が増えたスナイパーの表情は明るい。暖かさと防御力を兼ね備えて安心感に包まれた彼の前に、今度は焦げついたメスティンが差し出される。


「レーションだけど、食べられる?」

「……すんません」


 用意周到なタンクから温かなメスティンを受け取ったスナイパーが「レーション?」と首を傾げる。湯気が立つお湯の中にふやけた干し肉が浮かんでいた。そのまま指を使って食べるタンクに倣い、彼は慣れない手つきで肉を口へと運ぶ。ぎこちなく顎を動かすと白い息が漏れた。


[✓] 情報を共有する

 ・アバターについて釈明する

 ・タンクの正体を知る


 ところでFPS(ファーストパーソン・シューティング)ゲームは視野こそ一人称だが、アバターと意識を共有する機能はなく、ましてや痛みを感じることもない。とは言え、被弾するたびに「痛い」と騒ぐことはある。それは一緒にプレイしている仲間へ被弾をいち早く伝えるための手段であり、ゲームに集中すればするほど顕著になるただの癖だ。本当に体感することはない。それは分かっていても、どこかモヤの掛かった頭は不可解さを受け入れている。そんな現象を考える中、温かい肉を咀嚼するスナイパーが沈黙を破った。


「あー、のさ……これってゲームだよな?」

「さあね」

「今、何のミッションやってんのか分かんねえんですけど…」

「そう」


 昨日から有耶無耶になっていた問題にタンクは肩をすくめる。あまりに素っ気ない返答にスナイパーは動揺した。会話が終了した敗因があるなら、察されること前提で「へえ、そうなんだね」としか言いようのない質問を振ってしまったせいだろう。


「そ、そういやヘリ実装されてたんだな! ドローンも、PvPモード対人戦で使えるとかやべえことになりそ…」

「あんた、不安になると口数が多くなるタイプ?」

「へ?」


 下火になった木炭をかき混ぜながら、タンクは致命傷にもなりかねない一言を放った。必死で口を動かしていたスナイパーは情報が上手く処理出来ず、間の抜けた顔を晒している。どこか遠く、森の奥深くから獣の鳴き声が聞こえた。彼は気にも留めていないが、野太い声は朝方の静かな森によく響く。


「別ゲームのプレイヤーでもマッチングするみたいだね。よろしく、PvP対人プレイヤーさん」

「え…あ、はい……別の、ゲーム?」

「直に慣れるよ」

「お、おう?」


 急に「別のゲーム」のプレイヤーであることを示唆されても理解出来ないと思う。クロスプレイを越えて、全く別のシステムを持ったゲーム同士が交差クロスすることは通常ではあり得ない。もちろん彼らも改造データで遊んでいた記憶はないはすだ。それこそ言及すべき事態だが、それよりもスナイパーには解明しないといけないことが残っていた。何か言いたげに落ち着きなく体を揺らし、厳つい顔を見つめては口ごもる。何度か繰り返し行われる不審な動きに、先に音を上げたのはタンクだった。


「何がそんなに気になる?」

「や、そりゃ……気にならない方がおかしくね?」


 わずかに震える声でスナイパーは主張した。ワイルドな赤毛の坊主頭に喉元まで伸びるチリチリの赤髭、片眉を上げる様は威圧感しかない。しかし屈強な巨体から発せられる声は、彼の日常ではほとんど聞くことがない可憐な音域だ。アバターになった体や現在の状況が全く分からないことも、この衝撃に比べれば些細な問題だった。無言で睨まれる圧力に心が挫けたか、慌ててスナイパーが付け加える。


「いや、女の人みたいな声だなーって……お、怒んなよ? アバターとのギャップがすげえってだけであははは!」

「……あんた、自分のこと言ってる?」

「は、は? 俺は別に……ハッ!」


 森に響き渡る野太い空笑いが止まった。タンクの怪訝そうな視線を追い、スナイパーは自身のアバターを省みる。すっかり頭から抜け落ちていた情報が視界に飛び込み、途端に取り乱した。


「こここれは違ッ……わねえけど、アレだ! ゲーム中に野郎の尻とか見たくなかったっつか、まあFPSでアバターの尻とか見れねえけどさ……って言うか普通に女子の装備の方が可愛いの多くね? って感じで……マジでそういうんじゃねえよ? ガチで違うからな!? やっぱ何時間も見るもんだし……あ、この見た目だけどリコイルは制御出来っから! そこは余裕だから!」

「それは分かる」


 おそらく最初の数行ほどで内容が頭に入らなかったのだろう。タンクは最後の「リコイル」だけに反応して頷く。ここまでで最長の釈明だった。とは言っても、スナイパーもまた楽しい時に笑い、テンションが上がれば騒ぎ、嫌なことが続けば多少口調が荒くなるくらいの一般的なゲーマーだ。今は女性アバターとなっているが、心身ともに健康的な特筆する特徴が少ない20代前半の男性である。


「あーっと、つまりですね……可愛い女アバターの中身が女子なわけないじゃん!?」


 誤解が生じないよう、ささやかな胸を張ってスナイパーは宣言した。支離滅裂な説明は彼なりの誠意の表れだ。一際野太い声で放たれた頭の悪い理論にタンクは少しだけ目を丸くした後、あぐらをかいた膝に肘を乗せて頬杖をつく。


「へえ? なら、こっちだってそうだよ」

「……ほあ?」


 タンクはいたずらが成功したような表情で口角を上げている。どこからどう見ても厳つい男の顔には変わりないが、〝彼女〟の笑い方はとても柔らかいものだった。


[✓] 駐屯地から脱出する

 ・中型多目的ヘリコプターのドアガンを使用する

 ・インジケーター情報を提供する


 突きつけられた素性にスナイパーの理解が追いつく前に、突如発生した砂嵐がビバークを吹き飛ばした。タンクは素早くゴーグルを装備し、砂嵐で視界を塞がれたスナイパーの腕を掴んで抱き寄せる。全身黒尽くめの魔法使いが砂嵐の中心に立っていた。


「ッ…早かったね。逃げるよ!」


 集中的な竜巻の中でタンクが2人分の荷物とスナイパーを担ぐ。すでに辺りは魔法使いに包囲されていた。口も目もろくに開けないほどの砂嵐だ。ブラックホークによく似た中型多目的ヘリコプターの座席に投げられるまで、スナイパーは何が起きているの分かっていなかった。


「うっぺっぺッ! おえ、砂利ィ…!」

「離陸する。機銃掃射は任せるよ」

「機銃……そうしゃ?」

「そこのドアガン」

「あ、はい」


 タンクが航空機用ノイズキャンセリングヘッドホンを渡すついでに開け放たれた入口を指差した。スナイパーは砂利と戯れるのを止め、急いでドア側に設置された機関銃ミニガンのグリップを握る。離陸態勢になったブラックホークのメインローターが緩りと回り、周囲の土埃を舞い上げながら上昇していく。少し離れた地上で渦巻く砂の竜巻に混じり、魔法使いが薄っすらと見えた。


「エネミーどこだ……あれか!」


 ブラックホークが上昇する揺れで不安定になる足を踏ん張り、目標に向かってドアガンのトリガーを引く。デリンカーローターが回り、手前から奥へ土柱を立てて弾が飛んだ。数名の魔法使いが銃弾を浴びて膝をつき、砂の竜巻の中に消えていった。


「んん? これって当たってんの?」

「何か来る」


 手応えの無さにスナイパーが首を傾げ、機銃掃射の手を止めた。嫌な予感がした。先ほどから離陸に伴う突風にしてはやけに大量の土埃が舞い上がっていた。それを不思議に思っているうちに砂の濃度は増していき、彼らの乗るブラックホークを覆い始める。ドアガンがある方の開いた扉を境い目にして、濃密な砂で機体がコーティングされる現象にスナイパーはつい手を伸ばした。


「なっ……砂ァ!?」


 静電気に触れた時よりも、明らかに強い電撃を食らったスナイパーが反対側の搭乗席まで吹き飛んだ。扉に頭をぶつけ、元気にのたうち回る。雷を伴った砂と土埃が機体全体を包み込んでいた。まるで雷雲の真っ只中に迷い込んだような光景だ。タンクは計器を睨み、操縦桿を握る力を強めて搭乗席へと視線を向ける。


「スナイパー、インジケーターでエネミーの位置は分かる?」

「痛えぇ……っい、位置? 向こう…だと、思っ」

「そう、掴まって」


 スナイパーがインジケーターにあるエネミーマーカーの方角を指差した。そこへ向かってブラックホークから数発の対空ミサイルが発射され、砂嵐の中を突き破っていく。しかし予想以上に分厚い砂の層に阻まれ、軌道を見失ったミサイル同士が衝突した。渦巻く砂塵に連鎖した爆発が迫り、タンクが強引に操縦桿を引いた。急激に角度を変えたブラックホークのメインローターが炎を払いのけ、開きっぱなしの扉から熱風が吹き込んだ。


「このまま突っ切るよ」

「うおっぷ…ぷッ! ちょっ、ちょい待ち……なあ、これってやべえんじゃ…!」


 程よく焦げたスナイパーが操縦席に転がり込み、覚悟を決めた横顔を見て脂汗を流す。かろうじて誘爆を脱したブラックホークを狙って、さらに数本の竜巻が発生していた。無茶な操縦で急上昇するほど破損率も上昇し、激しく揺れる機体の中で計器のアラートが鳴り響く。だが次の瞬間、機体を取り囲む竜巻が嘘のように掻き消えた。突然クリアとなった視界に気持ちの良い快晴が広がる。


「え、今の……なんかイベントだった?」

「……さあね」


 多少軋みはするものの、ブラックホークの破損率はまだ操縦不能というほどではない。タンクはそっと操縦桿を握り直し、晴れ渡った青空へ向かって戦線離脱していく。無事に逃亡を成功させた彼らはもう気づくことはないが、遥か後方で爆風の中からひとりの魔法使いが立ち上がった。魔法使いは足にワイヤーを絡ませたまま、体に突き刺さった破片を無造作に引き抜く。それはブラックホークを着陸させた直後に、タンクが「念のため」と言って設置したグレネードの罠ブービートラップだった。血まみれの魔法使いの近くに、他の魔法使いが集まる。そしてよく晴れた青空の下、煙を出して飛び去っていくブラックホークを見上げた。

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