CHAPTER 1
ミッション1:マッチング #1
廃城の
「魔王城までの送りの塔が失われています」
「警護していた守備隊と連絡がつきません」
「跳ね橋、城門、門衛棟に異常はありません」
今聖騎士隊が報告している『送りの塔』は、先端に宝石が付けられた身の丈ほどの『杖』だ。彼らが数日掛けて船を乗り継ぎ、『魔王城』にたどり着くまでの道中に立てて来たものだった。それの警護を任せた守備隊と連絡が途絶えた。魔王城以外の塔が所在不明となった報告を受けて、隊長は隣に控える魔法使いへ問いかける。
「魔法使い、塔の行方は分かるか」
「はい、魔力はあります」
「……君たちは引き続き塔を守れ、残りは偵察に向かおう」
魔法使いからは簡潔で難解な答えが返ってきた。それ以上会話は続かず、深く被ったベールが風で揺れる。わずかに難しい表情を浮かべた隊長が頷き、指示を送ると皆心得たように隊列を組んだ。その理解出来ない状況に説明を求めたのは勇者だ。
「何が起こっている」
「こちらに来るまでに建てた送りの塔と連絡が取れなくなりました」
「それは……帰りはまた徒歩になるということか」
「ご安心ください。魔王城は帰還するに十分な
『チャーム』と呼ばれる魔力は見えないが、当たり前のように問題はないと隊長は告げるのみで話を終えてしまった。居心地が悪そうな勇者が視線をそらした先で、アーチが立ち尽くす。
「ああ、構わんが……アーチ、何か居るのか?」
光を帯びた短剣がアーチの胸元で浮き上がる。呼びかけが聞こえていないのか、無言で短剣を押さえて歩み始める。石造りがむき出しになった礼拝堂を滑るように進み、足音は聞こえない。フェイスベールに覆われた表情は読めず、どこかを見ているような気配だけがあった。
「短剣の使者様もドラゴンの落し子、魔法使いです。参りましょう、勇者様」
「……意味が分からんぞ」
アーチの行動を『ドラゴンの落とし子』とだけ補足して隊長は出発を促した。納得がいかないまま隊列に組み込まれ、勇者は歩き出すしかなかった。
***
「全裸!」
野太い叫び声を張り上げてスナイパーは目覚めた。そこは本当に目を開けているのかどうかも分からないほどの暗さだ。完璧な暗闇の中で彼は手足をバタつかせて起き上がる。
「いや、床さッぶ!」
口をついて出た言葉が闇の中に溶けた。冷たい床で目覚めたらしいスナイパーが体をさすり、周囲を見回す気配がする。暖を取るための摩擦音以外、耳には痛いくらいの静けさが広がっていた。
「え、何……寝落ち?」
おそらくスナイパーはゲームをしていた直近の記憶しかない。現在地も現状に至った経緯も検討がつかず、あやふやな頭は何かを忘れた欠落感を抱える。それは目覚める直前まではっきりと覚えていた夢が急速に輪郭を失くしていくような感覚だ。暗闇で衣服の擦れる音が響く。
「んな半パン着てっから寒ィ……服、着てるよな。はあぁ、マジ危なかっ…た?」
改めて「全裸」でないことに安堵し、自身が発した言葉に疑問を抱いている。どこかすっきりしない様子のスナイパーが身動ぎするたびに装備の当たる音が鳴り、それが徐々に尻を掻く音へと変わった。だが彼の油断し切った行動は、ありがたくも完璧な暗闇によって遮られた。
[✓] 不明な場所を探索する
・フラッシュライトを点ける
・セカンダリウェポン(サイドアーム)を構える
・ログインIDを確認する
スナイパーは「電気…スイッチ…」と独り言を呟き、腰の装具から取り出したフラッシュライトとセカンダリウェポンの9mmハンドガンを構える。通常の彼であれば絶対に取らない行動だが、当然であるかのように体は動いた。ハンドガンと共に構えたフラッシュライトの光で足元から奥を照らして回る。そこは崩落した石や木が散乱した古い室内だった。
「おーい、バグ? ロード中? これって落ちてんの?」
一歩踏み出すごとに、静寂で反響する足音の大きさにビクつく。不安げな野太い声を震わせ、返答を期待していない呼びかけで気を紛らわせている。しかし何かが蠢く気配を察知してしまい、咄嗟に
「っぶな、誰か居んのかよ…」
早まる心臓の鼓動が聞こえてきそうだ。フラッシュライトの明かりが足元を照らしている。しばらく息を潜めて進行方向に動きが見られないことを確かめ、なるべく壁際に寄って探索を再開する。たどり着いた先はどこかの廃城の通路だ。足元を照らしていたフラッシュライトを上げて薄暗い周囲を見回す。
「誰も……居ねえよな?」
扉の残骸が通路に点々と落ちていた。踏みつけて音を立ててしまわないよう、壁際に沿って遅い足取りで進む。ハンドガンを持つ手にフラッシュライトを固定した形で、肩を壁に擦りつけて進んでいる状態だ。制限された上半身を収まり悪く揺らし、重そうな左腕を内側に捻る。フラッシュライトを持つ左腕に備え付けられた〝グラップル搭載型ウェアラブルタブレット〟のディスプレイが点灯し、彼の目に強烈な光が直撃した。
「うお、まぶし! このッ…自動ディスプレイ、」
暗闇の中でこうこうと光るUI(ユーザーインターフェイス)に目を細め、スナイパーは無意識に右手を動かす。そこにコントローラーはなく、ハンドガンとタクティカルグローブが擦れたことに一瞬動きを止める。それから近くにあった壁にもたれ掛かり、ハンドガンを持ったまま小指でタブレットを操作した。
「あーっと、何してんだ…なんだ……システム環境設定? うっわ、バグってんじゃん。マジかよ、再起動……え、ログアウトどこだ」
装備やステータス画面は無事だった。しかし肝心のシステムメニューがほぼ壊れて文字化けしている。システム異常に焦り、スナイパーは辺りを見回す。視界に浮かぶHUD(ヘッドアップディスプレイ)には白いHP(ヘルス・ポイント)ゲージとAido Sniper(アイドウ・スナイパー)のIDが表示されていた。
「俺の、ID? こんなんだっけ……ってマップも死んでるし、アプデか?」
スナイパーのIDの下でマッチング待機中のアイコンがぐるぐると回る。インジケーターのミニマップは現在地を示すだけで機能していない。もはや使い物にならないシステムの現状に、彼は気休めにしかならない可能性を口にした。
[✓] エネミーを排除する
・セカンダリウェポン(サイドアーム)を使用する
寒い通路で暖かさから離れがたいのか、スナイパーはフラッシュライトとハンドガンを構えてほのかに熱を放つ壁に擦り寄る。まだ彼はHUD上部中央に表示されたコンパスが正常に動作していることに気づいていない。そこに赤い点がふわりと浮き上がり、壁が緩やかに動いた。呼吸するような上下運動に合わせ、顔に生温い空気が当たる。恐る恐るフラッシュライトを向けるとこぼれ落ちそうな眼球の集合体が痙攣していた。
スナイパーは声にならない野太い悲鳴を上げて足をもつれさせる。飛び退いた先で勢いよく何かにぶつかり、転んだはずみで落としたフラッシュライトが回転しながら滑っていった。エンカウントしたことを示すように次々と通路の明かりが灯っていく間、彼は尻もちをついたままなりふり構わずハンドガンを撃ち続けた。
「えぇー……普通にキッショ…」
スナイパーが暖を取っていた壁は人間が融合して出来た銀色の物体だった。しばらく放心していた彼はエネミーの死骸が完全に消えた後、詰めていた息を吐いて脱力する。重みを受けた背後の物体から水気のある破裂音が鳴り、彼の肩に液体が滴った。
「だから、急なホラー展開は、のぞっ…望んでないんすけど!?」
肩を濡らす液体を払い除け、慌てて振り返る。そこには膨張した鏡面から謎の液体が滴り落ちる大きな姿見があった。
[✓] アバターを確認する
いくらか湾曲してはいるものの、美しく磨かれた鏡面にスナイパーが身に覚えのない──覚えしかない姿がはっきりと映し出される。頭に被ったキャップから一房垂れる栗毛の長い髪、深い緑色の大きな目を持ったベビーフェイスの女性が居た。彼がゲーム内のキャラクタークリエイトで幼気な可愛らしい顔を目指して作ったアバターだ。その趣味が最大限に反映された女性アバターを目の当たりにして、彼の脳は全面的に理解を拒んだ。
「は? おっぱい?」
まるで知性を感じない野太い声が響く。こんな展開で接触することを望んだとは思えないが、まろみを帯びたラインについ目がいくのは本能だ。スナイパーは顎を引いて視線を下げ、
***
聖騎士隊が持つロッドの光が魔王城内を照らす。荒廃した通路では無数の銀色の生物が徘徊し、侵入者に見向きもせず同じ挙動を繰り返していた。
「魔王城が原因とは聞いていたが、魔物にまで病が拡がっているとは…」
一見すると大型の蜘蛛にも見える『魔物』を見て、思わずといったように聖騎士が呟いた。その言葉に魔物へ目を向けた勇者が首を傾げる。
「あれが……病か?」
「はい、死に至る病ではありませんが……時を失えば、いずれ生きる力を見失います。もし私たちが病に陥った時は勇者様のお力で癒しをお願いします」
「……癒しの魔法など、俺は知らんぞ」
「起こることは起こります。ご心配なさらず」
隊長の不可解な返答に勇者が眉間にしわを寄せた時だ。先導する聖騎士の隣を歩いていた魔法使いが立ち止まった。次々に城内の明かりが灯り、他の魔法使いも静止する。アーチの胸元にある短剣が強烈な光を放ち、それに誘われるように魔物の複眼が勇者たちに狙いを定めた。
「明かりが……魔王城が目覚めた! 魔法使い、武器を出してくれ!」
聖騎士隊が魔法使いを呼んだ。何も持ってなかった彼らの手に水や土、どこからか生えてきた蔦が集まる。それが瞬く間に長剣や鎚、弓や鞭へと変化していき、まさに魔法武器といった形状を成した。蔦の鞭が魔物の動きを止め、鉱物や岩石の長剣や鎚が攻撃を加える。その傍らで結晶化した水の矢が走り、ロッドから放たれた電撃が魔物に突き刺さった。激しい交戦を開始した聖騎士隊とは対照的に魔法使いは微動だに──いや、唯一アーチだけがゆっくりと歩みを進めている。
「アーチ…アーチ! おい、隊長とやら…奴だけが予言書を持てるのだろう? なぜ放っておく」
「魔法使いは役目があります。この場でお待ちください」
「お前たちの言っていることは意味が分からんぞ!」
「どうかご理解を」
聖騎士隊が戦闘を開始した時点で、渦巻く風に閉じ込められた勇者の叫びは届かない。今にも飛び立ちそうな勢いで揺れる短剣に引かれ、アーチはどこかへ向かっている。それを隊長に訴えたところで諭されるだけだった。業を煮やした勇者は背中に括り付けていた
「いいや、俺も出る!」
「勇者様!?」
剣斧が思い切り振り下ろされ、魔物との接触を阻む風を叩き斬った。一気に飛び出した勇者が不揃いに並んだ刺々しい刃先で複数の魔物を串刺す。それから手首を返し、振り向きざまに壁へと振り払う。叩き付けた魔物が跡形もなく消滅するのを勇者は確認もせず、アーチの後を追った。隊長が呆気に取られる側で、魔法使いは口を開く。
「時の音が来ます」
「……魔法使い?」
魔法使いの口からラジオのチューニングのような音が鳴り響く。それが不意に途切れ、次に人々の悲鳴と激しい衝突音に混じって一際クリアな音が流れた。
『いやはや、君の変わらない好奇心には恐怖すら覚えるよ』
『君ぃ、俺たちのこと狂人だと思ってるだろぉ……相手は対人ビルドだ。攻略勢なんて秒でなぶり殺しさ! 僕はぁ弱いんだよぉ?』
『これからどうするんだい』
『この罠作るのにぃ、50時間掛かったんだよぉ!
『面白い案ではあるけれども、突破されてしまった場合の対策はあるのかい』
『もう来てるぅ? 嫌ぁこわーい…私の城へようこそぉ! あなたたちが合わされば、明日への扉は…あぎゃぁ! お母さぁん! お母さーん! お母さんが1つになったあっひゃっひゃ!』
『何てことだ、常軌を逸していると言うべきか』
『ひゃっひゃ、何言っちゃってるのぉ……どうせ使うくせに』
『……君は私を責めないのだね』
『可愛いこと聞くねぇ……お前、誰だよ』
老成した口調の少年らしき声と間延びした喋り方の青年の会話だった。青年は情緒不安定であるのか、時折同一人物とは思えない敵意を滲ませた。明確な情報はほとんど得られず、盗み聞きを指摘されるような後味の悪さを残して会話は終了した。しかし魔法使いの口から流れる不協和音は止まらない。魔王城内の振動に合わせ、次第に大きくなる地鳴りと音が重なっていく。
「勇者様、後ろです!」
「何だ…っ!?」
魔物を叩き伏せながらアーチを追っていた勇者が隊長の呼びかけに振り返った。聖騎士隊と勇者の間を分断するように亀裂が入り、そこからいくつもの鋭い回転刃が突出する。その中で一番大きな回転刃の罠に勇者は剣斧を突き立てた。進行を阻まれた回転刃がガリガリと音を立て、火の粉を散らす。
「魔法使い、槍を!」
巨大な回転刃と拮抗する勇者を狙って魔物が飛びかかった。魔法使いが騒音をかき鳴らす口を閉じると足元に散らばった破片や土埃が巻き上がる。それが隊長の手へと集まり、竜巻の槍が放たれた。一直線に飛んだ槍が勇者に到達する寸前、軌道を変えて魔物を貫く。そのまま石壁へと突き刺さり、魔物ごと風に流されて消えていった。だが息を吐く暇もなく、魔王城全体が大きく揺れ始め、重い音を響かせながら壁や床が組み変わる。勇者と聖騎士隊たちの居る場所も分断され、見る見るうちに距離が離れていく。
「っ…土の騎士!」
「はい! 魔法使い、足場を!」
「そのように」
「隊長、勇者様の上です!」
「魔法使い、勇者様に防壁を……魔法使い!」
隊長の一声で聖騎士が魔法使いを呼んだ途端、大量の木の根と鉱石が張り巡らされる。それに対応するかのように回転刃が数を増やした。無数の回転刃は通路全体を縦横無尽に走り回り、城内の動きを阻む木の根と鉱石を粉砕する。その中を聖騎士隊が駆け回り、時折魔法使いを呼んでは色とりどりの攻撃で魔物と罠を蹴散らした。
ひどく手間の掛かる戦い方だった。聖騎士隊の呼びかけに応える以外、魔法使いが積極的に動くことはない。動くにしても最小限の動きで、魔物や罠の攻撃から聖騎士隊を庇って前へ出る時だけだ。隊長が呼んだ魔法使いもまた身を挺して棘鉄球を防ぎ、膝をついていた。あまりに奇妙な動向は勇者の目に余ったのだろう。
「俺に構うな、魔法使いを下がらせろ! 死んでしまうぞ!」
「……出来ません」
勇者の強い指摘に隊長が口を結んだ。だがすぐに首を振り、近くに転がっていた燭台を拾い上げる。そして回転刃が走り回る城内を一気に駆け抜け、勇者を飛び越えてから背後に着地した。それと同時に真上から降ってきた鉄枠を燭台で押さえ付ける。無数の棘が並んだ扉ほどの大きさの鉄枠は、両側から侵入者を挟み込んで串刺しにする罠だった。
「どういう、ことだ!」
「勇者様、私たちは魔法使いに触れられません。どうか、……ご理解を」
「何だっ……それは、」
右手に持つ剣斧で巨大な回転刃を押さえたまま、左腕に備えられた盾を掲げて勇者が唸る。燭台で罠の重みに耐える隊長の声が震えていた。それと同じくらい剣斧を握る勇者の手も震える。膨れ上がった屈強な筋肉から湯気が吹き出し、通路中に広がった。まるで霧が立ち込めるように視界が霞んでいく。魔物と罠の対処をしていた聖騎士隊が困惑の表情を浮かべた。
「お前たちの、言っていることは……意味が、分からん!」
渾身の叫びが通路に響き渡った瞬間、白い霧が大爆発を起こした。通路を縦横無尽に横断していた罠や魔物、近くで衝撃波を浴びた隊長を含め、少し離れた場所にいた聖騎士隊や魔法使いまでもが爆風に吹き飛んだ。一瞬のことだった。罠が停止したか、それとも壊れてしまったか。魔王城内の動きが止まった。魔物は全て消し飛び、霧が晴れた中を折れ曲がった回転刃が転がっていく。聖騎士隊は唖然とし、魔法使いはかろうじて立っていた。力技を発揮し終え、座り込んだ勇者の足にどこからか転がって来た〝フラッシュライト〟が当たる。
「勇者、様…!」
その時、焦ったようなハスキーボイスが聞こえた。勇者を中心に円陣が発生し、そこから強烈な光が瞬く。光の中へと滲む輪郭に向かってアーチが手を伸ばす。いつもの反応の薄さからは想像出来ない姿に麻袋から覗く青い瞳が見開いた。
「アーチ、お前……走れたのか」
その一言を最後に円陣が強い光を放ち、急速に収縮した。先ほどまで勇者が居た場所は焼け焦げた円陣だけが残され、アーチは手を伸ばした状態で立ち止まる。この場に居る誰もが知る由もないが、煤けた円陣は目元を塗り潰された〝スマイリーフェイス〟の形をしていた。
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