FPS to RPG

こおぷ

OPENING CHAPTER

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 冷たい風にそよぐ葉をタクティカルグローブの手が払う。ストックの頬つけの位置を再調整し、伏せた姿勢でライフルスコープのレティクルレンジファインダーを見つめる。戦場を駆ける敵は、全身を迷彩ポンチョで覆う存在にまだ気づいていない。この場所で何発撃てるか、静かにトリガーを引く。


「……エネミーダウン」


 バレットM82の硝煙と低い声が風に消えるとストックを肩から外し、片腕を付きながら足を引き寄せて移動の準備をする。分厚いゴーグルに隠された目は、次の目標を捉えていた。

 これが彼の見ている光景、いわばFPS(ファーストパーソンシューティング)と呼ばれる一人称視点だ。二脚バイポッドを閉じるために伸ばした腕へ振動が伝わる。丘陵の地面が大きく揺れ動き、続けて生温い風と大量の土砂が波のごとく打ち寄せた。


「ぅおえっぷッ!?」

『失礼しました、スナイパー』


 ヘッドセットに落ち着いた女性の合成音声の通信が届いた。スナイパーは野太い声と砂利を口から吐き出し、フードの中まで入った土を払い退ける。クリアになったゴーグル越しに10メートルにほど近い──正確には全高7.4メートルの二脚型兵器が大地を滑走するのが見えた。腕はなく代わりに4対のガンランチャーが備えられ、そこからミサイルが射出される。弾頭の着弾地点に土砂の柱と爆音が立ち上った。


『活動範囲の縮小まで残り80秒』


 聞き逃してはいけない重要な情報だった。急激に丘陵が隆起し、不安定になる足場でスナイパーは慌てて体を起こす。地割れから劣化したコンクリートが覗き、そこから市街地が出現した。今まで伏せていた地面も見る見る高度を上げ、年代物のアパルトメントの最上階へと変わる。


「はあ、マジで……マジか、マジかよ!? あッの野郎、何階建て生やしてんだ!」


 スナイパーは呆然と足元の怪奇を見下ろし、屋上から鉄骨製の非常階段に飛び込んだ。時折、足をもつれさせて駆け降りる間もアパルトメントの上昇は止まる気配がない。そこへ鋭いランディングライトが差し込み、冷静な女性の合成音声と応答する少年のような高い声が続く。


現在地マーカーを確認しました。ドライバー、Ready?』

『いいよ、やって!』

『スナイパー、グラップル射出を要請します。到達までカウント5・4・3…』

「は……はい!?」

『うるさい、早くやれ!』

「お、おう!」


 HUD(ヘッドアップディスプレイ)のマーカーへ向けて、左腕に備え付けられたウェアラブルタブレットからグラップルが射出された。二脚型兵器は戦闘機へ可変し、アパルトメント沿いに旋回しながら急上昇する。前進翼から排出されたケーブルが腕のごとく伸び、数本がアンカーとして建物に突き刺さると同時に残りがジップラインを掴む。スナイパーの眼前で無数のガラス片が砕け散り、生身の体に空気抵抗がかかった。


『ドッキング成功しました。Warning警告、ミサイルが接近中──離脱します』

「腕ッ…ちぎ、ちぎれるって!」

『うるさいの、うるさい! ねえ、まだ出れない!?』

『高射砲の範囲外までおよそ──…ミサイル警報解除されました』


 スナイパーの悶絶をよそに爆撃が続き、なかなか解除されないミサイルアラートにドライバーが焦れ、再度戦闘機が対地ミサイルを投下し掛けた時だった。一足遅れて爆煙が上がり、沈黙した高射砲陣地の土埃の中から騎乗した西部開拓時代のガンマンが颯爽と現れた。爆風に飛ばされないようテンガロンハットを片手で押さえ、反対の手でウィンチェスターM66イエローボーイを振り回している。


『パピィ〜! お姉さんの活躍見てくれた〜?』

『ぼくのことパピィって呼ぶな! ちゃんと手綱も持って、危ないよ!』

『オマガッ、お姉さんのこと……心配してる!? パピィ激優キュート〜!』

『変なの、変なこと言うな!』

「ぐっ…おえぇええ!」


 アピールを続けながら器用に馬を乗りこなすガンマンにドライバーから真っ当な指摘が飛ぶ中、凄まじい速度に着氷状態となったスナイパーがえずく。一向に融解しない着氷は、まるで意志を持っているかのような動きで戦闘機全体に広がっていた。


Engage交戦中、敵対者を感知──回避を実行します』


 さらに速度を上げた戦闘機の背後で円錐状の雲が凝縮し、緩やかにアンドロイドへと形を変える。金色のエネルギージェット噴射をたなびかせる背部のユニットから赤外線誘導対空ミサイルが放たれた。戦闘機が地上すれすれに急降下し回避を試みる。それを見たガンマンは一気に馬の速度を上げ、前進翼に投げ縄を投げた。


『パピィ、捕まえた!』

『ばか! 何してる!』


 スナイパーとは反対側の翼を捉えたガンマンが得意げに笑う。両翼に荷物をぶら下げ、低空飛行を余儀なくされた戦闘機のドライバーからは非難が上がった。なおもドッグファイトを仕掛けるアンドロイドが錐揉み状に急接近し、金色に光り輝くアサルトスピアでジップラインを焼き切る。

 スナイパーは上空数メートルの位置から落下し、隆起する大地を転がり続けた。くぼみに衝突して停止するまで、人としての形が残ったのが不思議なほどのスピードだった。今にも召されそうな震える手が懐から缶を取り出す。プルタブを開ける小気味良い音が鳴り、口への目測を誤った液体が顔一面に降り注ぐ。


「は、ぅげっほ! おえ…!」


 気管に入った液体でむせるも、たちどころに肉体の傷が回復していく。しかし息つく暇もなく、せっかく癒えた体に白燐はくりんが降りかかる。スナイパーは慌ただしく起き上がり、中華鍋を被って空を見上げた。フレア弾をばら撒く戦闘機が通りすぎ、後方から隊列を組んだ第二次世界大戦中の爆撃機が焼夷弾しょういだんを投下していった。空爆の炎に中華鍋がよく焼けた直後、起伏だらけとなった地上にアンドロイドがゆっくりと着陸する。


「やっと2人きりになれましたね」

「いや、本当……そういうの、結構ですんで…」


 得体の知れない敵から目をつけられていたとスナイパーは察した。焼け焦げた中華鍋で前方をガードし、小回りが利くハンドガンへ武器を切り替える。アンドロイドの素体に金色の光が走った。それがアンドロイドなりの感情表現であると理解した時には、すでに閃光は目の前まで迫っていた。


「スナイパーくん、大丈夫ですか!? アンドロイドさん…わ、わたしが相手になります!」


 激しい衝突音にたおやかな声が混じった。スナイパーの前方でフード付きマントニスデールがふわりと舞い上がる。強化外骨格アーマーがエネルギー波のシールドを展開させて敵との距離を広げていた。アンドロイドは弾き飛ばされた体勢を立て直し、エネルギーシールドにアサルトスピアを突き立てる。


「おや、あなたは……僕を欲しがってくれるんですか? 嬉しいな」

「えぇ、……え? あの、わたし…もうパーティがフルで、その…ごめんなさい!」

「それは残念だ。ではデートだけでも構いませんよ?」

「対人戦でしたら……はい、もちろん!」

「すんません、お互い理解出来てんなら良いけどさ……」


 和やかな会話に入れないまま、中華鍋を構えてスナイパーは困惑する。規格外の戦いが始まる予感がした。アンドロイドから氷の結晶が放出され、瞬く間に分身となってスナイパーたちを取り囲んでいく。それに対してエネルギーチャージを始めた強化外骨格アーマーが空中に浮かび、高らかに掲げた腕から紫色の閃光を散らす。


「それじゃ、始めましょう!」

「ええ、喜んで」

「人類には早すぎるんすよ!」


 紫色の閃光をまとった岩が放たれた瞬間、数体のアンドロイドの前に氷の壁がそびえ立つ。電撃の岩と氷の壁が衝突し、眩い光と効果音がスナイパーの目と耳を襲った。苛烈なエフェクト対戦から逃げる足は徐々に止まり、被弾を恐れて盾として被った中華鍋以上に空気が重くなる。


「エフェクトうるさ…ッ! 動き、速えし……お、重ッ!」

『えっと、大丈夫? おれ、いく?』


 動かない体に焦れるスナイパーのインカムへ柔らかなウィスパーボイスが届いた。だが提案に応答するよりも早く、続けざまに鉛玉のような通信が被せられる。


『ご自慢のグラップルがあるんだから、お一人様になっても頑張れるでしょ〜』

「おまっ…どんだけ俺にローンサバイバーさせたいんだよ!」

『ロンリーサバイバーの間違いじゃない?』

「……あのさ、マジ普通に心折りにくんの止めてくんね!?」


 スナイパーに対照的な通信を送った兵士たちは炎に囲まれ、煙が視界を遮る激戦地にいた。両兵士とも軍用パワードスーツを着込み、ひとりはチェック柄のペールブルーストールを巻いている。もうひとりはショッキングピンクの星柄のバックパックを背負い、『I 〝ハート〟 LA』と刺繍されたキャップを被っていた。菱形戦車を遮蔽物にして銃撃中の彼らにボリュームの下がった野太い通信が続く。


『あー、でも近く居んなら……』

「ふーん? 芋のくせにオレたちと合流したかったりする?」

『なんか問題あんのかよ? 今どこらへん?』

「うん? お花、くれるの?」


 バックパックの兵士が銃撃戦の片手間に辛口の通信を送る側で、ストールの兵士はヴェクターサブマシンガンを撃つ手を止めた。いつからか彼らの周りに一輪の花を持つ小さな子どもが立っていた。次第に銃声が鳴り止み、硝煙が晴れていく。不審に思ったバックパックの兵士が通信を切り上げ、花に手を伸ばしかけたストールの兵士を引き止める。


「うん、ありがとおっ……わっ、わ?」

「こーら、知らない子から受け取っちゃダーメ!」

「そっか! お名前なんですか……えっと、おれのマスク、何かついてる?」


 子どもたちが一斉にストールの兵士を指差した。片腕で仲間を押さえながら退路を探していたバックパックの兵士は体を強張らせ、ブルパップ式アサルトライフルから切り替えたUZIを撃ち込む。しかし〝子ども〟であるからか、思うように弾は通らない。一時的に消失するだけで、リロードのたびに不気味な包囲網は拡大していく。


「あっ、おれからかな? あのね、」

『え、もしかして敵とコミュニケーション図ってんの? 今、戦闘中だよな!?』

「んもぅ、こんなに囲まれちゃって人気者さん!」


 ストールの兵士が閃いたとばかりに自己紹介を始め、スナイパーは不可解さに耐えきれずインカム越しに野太い声を荒げた。緊急事態を前にバックパックの兵士も攻撃が通らないと知りつつ、楽しげにUZIのフルオート連射を続ける。それを菱形戦車の中から呑気に眺めていた3人目──ヘリクルー用フライトスーツを着た男が搭乗室から身を乗り出す。


「良いじゃねーか、こいつでも可愛がってやれ」

「わあ、ステン短機関銃だ! いいの?」

「おお、行くぞ」


 フライトヘルメットのバイザーに隠されてない部分、短めの髭に囲まれた口元をニヤつかせてフライトスーツの男が出発を告げた。ストールの兵士の興味が移ったのを確認して、バックパックの兵士も菱形戦車に乗り上げる。


「ハーイ、無敵属性ちゃんたち! マークVのお通りよ!」

『いや、古ッ! 走った方が早えんじゃ…』

「がんばる!」


 ステン短機関銃の連射が始まり、歩みの遅いキャタピラの軋む音がインカムに届く。それに伴って聞こえる何かを踏み潰す音はヘッドセットからのものか、それとも周囲の市街地を破壊する装輪戦車であるのかは判別が難しい。


「おい、何しでかしてんだ! レーティング上がっぞ!?」

『芋ったらホント息の無駄遣い……そんなにゴアゴアしたいのね。じゃ、座標送ってあ・げ・るゥーヒッヒッヒッ!』

「まるごと規制されますよ!?」

『ったく…よく回る舌だな、クソ芋野郎。てめーは1ショット3キルぐらいキメてろ』

「伝説になれと!?」


 スナイパーの叫びを最後に緊張感のない通信が途切れた。意図的に切られたのかは分からない。少なくとも時間が残されていないのは確かだろう。無駄話をしている間にロストゾーンは急速に範囲を広げ、あらゆる国と時代が混在した戦場が火花放電エレクトリック・スパークの波に飲み込まれるのが目視出来る。

 スナイパーは脊髄反射でグラップルを飛ばした。次々に構築されては破壊されていく戦場を確認する余裕はなく、辺りが南島特有の湿度を含んだ空気に変わったことも気づかずに飛び回る。鬱蒼とした密林へ突入した時、次の移動地点を失ったグラップルが空をかいた。


「スナイパー!」


 可憐な呼び声と共に現れたオフロードバイクが落下するスナイパーを受け止めた。心の準備もなく後部に乗せられ、本能的な危険を察した手がギリースーツにしがみつく。それを機にポンチョとギリースーツを乗せたバイクはスピードを上げ、近代的な銃撃戦や時代遅れのゲリラ戦が展開される密林をくぐり抜ける。そして大破した装軌車両に乗り上げた後、砲撃の爆炎に後押しされる形で豪快なジャンプを決めてトーチカに着地した。


「この辺で良いね、スナイパー」

「……お、おおおう」

「抑えるから、先に行きな」

「な、何言ってんだ……もうエリアが、」

「あんたはジップがあるだろう? 私は後で合流するよ」

「それって……死亡フラグって言うんすけど!?」

「走れ!」


 ギリースーツはバイクに跨ったまま5.56mm軽機関銃ライトマシンガンを構えた。可憐な声で号令が飛ぶと弾幕射撃が始まる。有無を言わさぬ背中を見て、スナイパーはよろよろと立ち上がり駆け出した。ふらつく足がしっかりと大地を蹴る頃には、逞しすぎるライトマシンガンとバイクのエンジン音は聞こえなくなっていた。


「うお…っぶねえ!」


 突如発生した地面の断裂に土嚢が積み重なり、塹壕トレンチに変化していく中を小銃を持った兵士たちが走り抜ける。途切れない往来にスナイパーは横断を躊躇し、グラップルで頭上を通りすぎる無人攻撃機を捉えた。それによって大きく跳躍した彼は軽々と塹壕を飛び越え、そして幻想的な花畑に転がり落ちる。


「へ?」


 つい今まで轟いていた砲撃音は静まり、遠くからかすかな蹄鉄の音が響く。戦場にあるとは思えないほど美しい花畑の中心では、中折れ帽を被ったスリーピースの男がブロックノイズまみれで硬直していた。同じく迷い込んだ負傷兵たちが花畑の美しさにため息を吐く一方、明らかな異変を目の当たりにしたスナイパーは警戒する。


「花咲いてるステージはろくなことねえんだよ……ヒィッ!」


 不気味な花畑の中で小さな影にぶつかり、反射的にスナイパーは飛び退いた。目測も図らずに射出したグラップルが引っかかった場所は倒壊しかけた教会の尖塔だ。そこにぶら下がってから小さな影の正体が子どもだと気づき、彼は状況を忘れて食い入る。子どもたちは愛らしい微笑みを浮かべて、負傷兵たちへ一輪の花を差し出していた。


「あ、可愛……は? 消えっ……はあ!?」


 花を受け取った負傷兵の手から順に光の粒子へと分解されていき、あっという間に跡形もなく消滅した。ひどく幻想的なホラーシーンだった。宙吊り状態の体を震わせたスナイパーは退路を探すが、一面の花畑に今以上の高い建物はなかった。どこからか近づく蹄鉄音と女性の声が彼の焦りを増長させる。


「も〜……も〜…」

「ちょ、嘘だろ? 貴重なロリ枠がホラーとか聞っ……聞いてねえし!」

「お〜…いも〜…ったら、おっ芋〜!」

「これだから花咲いてっとこは、アレだって言って…!」

「お芋、お芋! お芋、聞こえてる?」

「だから、どいつもこいつも芋芋うるさ……ハッ!」


 スナイパーは聞き覚えがある呼びかけの連続に不満を漏らし、次の瞬間、勢いよく顔を上げる。ガンマンが馬に跨り、教会の尖塔の上から彼を見下ろしていた。


「おおお前生きてたの!? マジ助かった……悪ィけど、こっから引き上げ、」

「マジウケるロンリーサバイバー、お芋育ちすぎだから! ね、マイパピィ見なかった?」

「OK、人選ミスった!」


 スナイパーの決死の頼みは底抜けに明るく、そして呆気なくあしらわれた。だが余裕そうなガンマンとは違い、相棒の馬の方は不穏な状況が分かっているのか大きな蹄鉄音を鳴らす。その音に誘われ、ようやく尖塔の下に広がる花畑に目を向けたガンマンが表情を変える。


「ヘイ、お芋! この子たち……」

「そうだよ、やっと気づいてくれた!? 今ガチで俺ら危機なんだよ!」

「イージーイージー! 任せて〜」


 危機を訴える声が軽く流され、花畑の異常状態を前にしたブラウンの瞳が輝きを増していく。スナイパーが心強い台詞に安堵したのもつかの間、比較的安全な足場からガンマンが飛び降りた。


「や、なんで降り…て、」

「こ〜んなプリティフラワー持ってるゴージャス美少女なんだから……絶対ボーイだよね!」

「うっわ、ごく自然に法則捻じ曲げてきた……どう見ても美少女じゃん! さすがにそこは譲れねえよ!?」

「ノンノン! 激ヤバボーイに間違いない系だよ! お姉さんの目は誤魔化せないから!」

「ただの願望じゃねえか! お前マジ、射程範囲アウトガールだよな!」


 すかさず訂正を入れるスナイパーの必死さから、こんな状況でなければ突き詰めて話し合う必要性があるのだろう心境が伝わる。少女か少年か、彼らは趣味の範囲こそ近しいがどうやら味方ではなかったようだ。ガンマンは馬から降りるとテンガロンハットを脱帽し、少女に見えるひとりの少年の前で恭しく跪く。


「ん〜! ボーイ超スウィート! サンキュー、メルシー、グラシア……ス…」

「なあ、聞けって……お前ッその花離せ、捨てろ! マジでアウトになっ……ヒェッ!」


 スナイパーの制止も虚しく、花を受け取ったガンマンが光の粒子となって空中に消えていった。歓喜に満ちた顔が完全に消滅すると、次はお前だと言わんばかりに微笑みが向けられる。もはや足元は子どもで埋め尽くされ、逃げ場も足場も見当たらなかった。可愛らしい少女か少年たちがコマ送りで近づく様は純粋な恐怖だ。


「まっ…待て、落ち着け……落ち着いて話そう、な? そんな可愛い顔されても……だっ、騙されねえかんな!?」


 もう十分絆されている気もするが、いろいろな意味で限界を迎えたスナイパーは四方八方に目を配る。それから唐突にグラップルに繋がる左腕に右腕を添え、振り子の要領で勢いをつけて体ごとジップラインを揺らし始める。振り幅が大きくなるにつれて全身を支えている左腕が捻じれたが、この場から逃れる方法は他になかった。


「ここまで来て……マジ、ふざけんな……ってえぇ! 服っ、弾け飛ぶ奴の、気持ち汲んで……ガチで、頼む……からさァ!!!」


 最大の揺れになったところでグラップルを解除する。どこに向けるわけでもない懇願を吐き散らしてスナイパーが飛んだ。花を持つ子どもたちが笑みを浮かべ、頭上を飛び越えていく彼を目で追う。ほんの一瞬の跳躍は、全ての子どもを飛び越えるまでスローモーションにも思える長さだった。ほとんど動かない左腕と無事な方の右腕を動かし、どうにかバランスを取った体が危うくも着地を決める。


「うぉおおおおやった! ぜん…ッ」


 危機を脱した喜びにスナイパーは雄叫びを上げ、着地点から一歩踏み出す。足の下で不吉な音が鳴った。彼の踏んでいた地雷が起爆し、爆風によって土埃と花びらが舞い散る。地雷の爆発煙が晴れた跡地には誰の姿も見えず、それから間もなくして花畑はロストゾーンに飲み込まれた。


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 ***


 海食崖が続く海原を一隻の蒸気船が進んでいた。船から煙は一切出ておらず、また帆をコントロールする船員すら見られない。その代わり雑用を行っているらしいプレートアーマーの騎士が甲板上を忙しなく行き交い、片隅には特徴的なヘッドギアで目元を隠した騎士平服の青年たちが座っている。彼らの傍らには肌の露出が全くない黒いドレス姿も直立不動で佇み、異質な雰囲気が出来上がっていた。その一角で青い光が移動する地図を読む青年に向かって、小さな震え声が掛けられる。


「……隊長、質問があります」

「何だ?」

「エルフの森まででしたら、以前建てた『塔』が……どうして船を出したのですか?」

「聖騎士隊と魔法使いのどちらも守備隊と同行せよ、と王がお決めになられた」

「……そう、ですか」

「直に着く。船は守備隊にまかせて君は休め」

「……ありがとうございます」


 隊長がプレートアーマーの『守備隊』に合図を送り、入れ替わりに口を押さえた『聖騎士隊』が船室へ向かった。その数歩後ろを、コルセットで締め上げたドレス姿の黒装束が高いヒールで音もなくついて行く。上半身は長いフェイスベールで覆われ、わずかに口元しか見えない。依然として甲板では強烈な風と波が打ちつけ、通常であれば体勢を崩しているところだ。だが隊長の隣に佇む黒装束もまたそよ風を受けているかのような穏やかさだった。


「アーチ、何を見ている」


 不意に声がした方向へ隊長が顔を上げる。視線の先で、頭部に麻袋を被った男が黒装束の手元を覗き込んでいた。麻袋の男からアーチと呼ばれた黒装束の手には一冊の本があり、風にめくられていたページが不自然に動きを止める。


「〝汝、剣の導きにより 魔王の支配から この世を救う 選ばれし勇者〟」

「予言書を読めとは言っていない」

「はい、勇者様」

「俺はウェイカーだ。お前も短剣の使者と呼ばれたいのか」

「はい、勇者様」


 ウェイカーと名乗る『勇者』がアーチのことを『短剣の使者』と呼ぶも、何の感情も乗っていないハスキーボイスが返されるだけだった。会話が暗礁に乗り上げ、勇者が困ったように色黒の太い首を掻く。その時、船が揺れた。


「……勇者様が、魔法使いに……触れている?」


 驚愕と羨望が入り混じる声が甲板から上がった。ひっそりと佇んでいた黒装束たち──『魔法使い』が一斉に勇者へと意識を向ける。急激な船の揺れに魔法使いが体勢を崩すことはなかった。咄嗟にアーチの腰を抱き込んでいた勇者も気づいたのだろう、少しだけ名残惜しそうに手を離す。また船が揺れた。途端に固まっていた場が動き出し、隊長が緊張した面持ちで勇者に近づく。


「勇者様……お怪我はありませんか」

「何のことだ」


 外傷がないことに聖騎士隊と守備隊がひどく狼狽する。勇者は麻袋にひとつだけ開いた穴から青い瞳を覗かせ、アーチの胸元に下がった短剣を見つめていた。

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