ミッション1:マッチング #2

 強烈な光が集束していき、そこから勇者が現れる。焼け焦げた匂いが充満していた。彼は匂いに誘われて足元に目をやり、煤けた円陣──スマイリーフェイスを撫でる。


「塔……いや、転移の罠か」


 勇者は色黒の指先についた煤を擦り落として辺りを見回す。今にも崩れ落ちそうな通路、ほとんど床が抜け落ちた部屋の天井部はむき出しだ。かつては荘厳だった面影があるだけで、まともに歩ける場所があるかどうかさえ怪しい。室内全体が弾け飛んだような形跡もあり、通路には装飾品が散乱している。その中に剣斧と盾を見つけ、残骸に近づく。そこには転送される直前、彼の足に当たったフラッシュライトもあった。


「武器、」


 フラッシュライトを拾い上げ、軽く構えて武器のように振るう。豪腕によってフラッシュライトからバッテリーが飛び出し、カラカラと音を立てて転がっていった。


「……としては使えんな」


 フラッシュライトを懐にしまい、バッテリーを追いかける。勇者の無遠慮な足取りにひび割れた石造りの通路が軋んだ。しかし彼は危なげなく不安定な足場を進み、石柱の側に落ちていたバッテリーを拾い上げる。その直後、かすかな足音に吐息が混じるのを察知して警戒態勢に入った。


「アーチか?」


 返事はなかった。一度太い首筋を掻き、思い直したように歩き出す。気配へ近づくにつれて複数の呼吸音が聞こえてきた。通路の一角から柔和な動きで現れたのは、魔物らしい銀色の体に複数の人間が不自然に融合した〝何か〟だった。


「これは……何だ」


 思わず声を上げた勇者に反応して、魔物を構成する人間の目が一斉に動いた。個々の部位が奇妙に蠢き、腐れて濁った眼球が小刻みに震える。

 城内全体が振動していた。瞬く間に周囲が崩落し始め、どこかへ誘導されるような一本道が形成されていく。勇者は麻袋の下から鋭く狙いを定め、すかさず盾を構え直して駆け出す。重い一撃に魔物が叩き払われ、崩落した溝へと落ちていった。


 ***


 スナイパーにとっては瞬きの間に、また電気が消えた程度の感覚だろう。アバターの姿に意識がそれたほんの一瞬だった。


「は? 停電……いや、狭ッ!」


 スナイパーは移動したことも認識出来ないうちに膨張した姿見に取り込まれ、人ひとりが立つにやっとな薄暗いスペースに閉じ込められていた。


[✓] 不明な場所を調査する

 ・内部構造を調べる

 ・装備品を調べる

 ・防御力を調べる(警告:虫表現あり)


 薄暗い中を手探りで確かめる。先ほど目覚めた時のような完璧な暗闇ではない。スナイパーを包み込む柔らかい壁からは薄っすらと光が漏れていた。波打つ壁を無遠慮に両手で引き伸ばすと、ぷるんとした弾力から液体が滲み出し、タクティカルグローブがほのかに濡れる。


「うお、あったけえ……何これ、胃袋?」


 胃袋の感触を知っているらしいスナイパーが生温かい弾力を揉みしだく。水気を含んだ破裂音が鳴り、それと同時に飛び出した何かが彼の腕に触れる。何かは見た目だけでも不快感を伴うサイズの節足を使い、より温かな熱を求めて被膜から皮膚に移動していく。その感触に痒みを覚えたスナイパーが狭い空間で腕を掻いた。


「かゆ……むむむ虫ィ! なんでッ…は!? 足まる出しじゃねえか、バカかよ!」


 あっという間に無数の節足動物が全身に広がった。弾力性のある被膜から続々と虫があふれ出し、防弾の性能がほぼ無いチェストリグと腹部が見えるほど短いノースリーブを下り、ローライズのホットパンツから伸びた頼りない生足を伝って足首までも覆い尽くす。

 あまりにも防御力がなかった。一応、対象区分レーティングの都合上ホットパンツにはスパッツがしっかり付いていたが、防御力が低いことには変わりない。一人称FPS視点のゲームでは自身のアバターがほとんど見られないという致命的な欠陥に気づくまで、スナイパーは露出の高い服に課金し、消耗品の防具も露出度重視で厳選していた。つまり虫の感触から逃れられない状況は余すところなく、全て彼自身の成果だった。


[✓] 外部とコンタクトを図る

 ・プライマリウェポン(メインアーム)を使用する

 ・投擲とうてき武器:焼夷弾しょういだんを使用する


 膨張した姿見は巨大な卵鞘らんしょうだった。ちなみに卵鞘を画像検索することはおすすめしない。アバターの体温を受けて羽化する様子だけでも十分に最悪な光景だが、虫を払おうと暴れたせいで、ただでさえ狭い内部が激しく収縮した。途端に身動きが取れなくなった体を虫が這い回る。体内にまで入り込もうとする動きを察して、慌てて閉じた口が横隔膜を押されて強制的にこじ開けられる。

 あまりの締めつけにスナイパーが白目をむいた時、しっとりと濡れる膜の向こう側で発砲音がした。銃弾に当たった卵鞘が盛大に波打ち、さらに横隔膜が圧迫される。


「ぐえぇえ! ちょ、ガチで内臓…飛び出ッ……うおぇ! まっ…だ、誰か、いっ…居んの!?」


 スナイパーを飲み込んでいる卵鞘に何者かが攻撃を加えていた。銃撃を受けた箇所が少しだけたわみ、小さな穴が空いた。そのことに気づいた彼は被膜に潰される顔面を動かし、外部に向けて力の限り叫んだ。しかし次第に薄くなっていく卵鞘を銃弾が貫通する。彼は被膜との間で虫が潰れる感触にも構ってられないくらい被弾していた。


「あだだだ! 待っ…あ、出られそ……あッだ! や、ちょっ…一旦撃つの止めっ…止めろ!」


 スナイパーは被弾率の増加に耐えきれず、本来の目的を忘れて怒声を放った。絶え間なかった銃撃が止み、内部の収縮も緩んだ。彼は圧迫から解放されて深呼吸を繰り返し、脳に十分な酸素が行き渡ったところで重大なことに直面する。銃撃が止まったことにより、卵鞘の穴が修復し始めていた。


「あぁあ嘘です! すんません! 帰んないで……え、マジどっか行った? ここまでやっといて!? うっそ、あとちょい……もうちょいだってッ!」


 外部の誰かへ向けて謝り倒しては耳を澄ませるが、気配はかき消えていた。せっかく銃撃で空いた穴もすっかり塞がっている。そんな絶望的な状況に何を思ったか、急いでUIを操作したスナイパーは大口径のセミオート式対物用狙撃銃スナイパーライフルバレットM82を取り出した。明らかにキャパオーバーな内部にマズルブレーキが引っかかり、破れた被膜から謎の液体が噴射する。銃床ストックを肩に当てようと試みるも、体に密着した状態ではいろいろなところが足りていない。彼は足の脛にバイポッドをぶつけながら装填し、太ももで銃身バレルを挟んだ姿勢でトリガーに指を掛ける。


「ッつぅう……おまっ、マジ覚悟しろよ! このバレットM82で一撃だかんな!?」


 どうやら直に銃撃を食らい、対物用ライフルの威力であれば卵鞘を破壊出来ると思ったようだ。不慣れな体勢で構えたせいで反動リコイルが肩を打ち砕き、衝撃で弾帯から焼夷弾が滑り落ちた。ストックが顔面に当たらなかった点は良かったとはいえ、得られた効果は足元の被膜に小さな穴が空いただけ──ではなかった。外部の誰かがバレットM82の発砲音に気づいた。痛みに呻くスナイパーの耳に銃声が届く。


「ぐおぉお……ハッ! 気づい……あだだだだだッ!」


 銃撃が再開するとスナイパーの野太い悲鳴も復活した。銃撃はセミオートからバースト、そしてフルオートへと変化していく。銃撃の主は連射しながら移動し、卵鞘の柔らかそうな箇所を探している。しばらく周囲を往復していた銃撃が足元近くに差し掛かるとバレットM82の一撃で空いた穴に銃弾が掠め、スナイパー自身が落としたことに気づかなかった焼夷弾に命中した。


「あああ熱ッうぅ! なんで焼夷弾、……ヒィッ!?」


 焼夷弾の炎から逃れるためか、一気に卵鞘が膨張した。水銀のような内部が炎に照らされ、びっしりと蠢く銀色の虫とスナイパーが燃える様がよく見える。卵鞘が燃えれば燃えるほど耳をつんざく悲鳴を上げる虫──の魔物が爆発する恐怖映像は、とてもじゃないが見ていられないものだった。


[✓] エネミーから脱出する

 ・HP(ヘルス・ポイント)ゲージを確認する


 焼夷弾にのたうち回るスナイパーのHPゲージヘルス・ポイントが減少していく。当たり前だが炎のダメージに加え、燃焼による酸素不足だ。ダメージを受けるペースに合わせて呼吸は途切れがちになり、すでに砕け散ったチェストリグの下に残された衣服も焼け落ちる寸前だった。


「やっべ! 嘘だろ、こんなんで全裸……み…水ッ!」


 焼夷弾に水を掛けるという発想が出るほど、混乱したスナイパーがズボンのジッパーを下ろす。水を求めた手が何かしらを取り出そうとして空振りした。そこに触り慣れたものはなく、思考が止まっている。もしかするともう脳が酸素欠乏に陥っているのかも知れない。まずそれが選択肢に入る時点でひどく冷静さを欠いていた。

 もはや窒息死か焼死のどちらが先か。深緑の目に諦めの色が浮かんだ次の瞬間、膨張しきった卵鞘とスナイパーの全装備が爆発四散した。


「……は、はーん? 服が弾け飛ぶってこういう感じ……なん…」


 虫の魔物が焼夷弾の炎に巻かれて弾け飛んでいく。ともすれば美しい花火にも見える光景だ。見事脱出に成功したことを祝うような爆発の中で、一機のアサルト付きマルチコプタードローンがホバリングしていた。まだ全身が燻るスナイパーの周りを器用に旋回し、備え付けられたカメラで観察している。しかし彼の朦朧とした意識は違うところにあった。

 スナイパーのゲームは体力の減少に合わせて装備が無くなる。課金した衣服だけは砕け散った後も所持品インベントリへと元通りに収まるが、使用中の装備品はダメージと共に壊れていき、瀕死状態ダウンに近づくほど全裸になる。主に対人コンテンツ向けのHP残量を直感的に知らしめるシステム仕様だ。

 こうして下着だけを残し、全裸になったスナイパーは今はなきジッパー部分に物悲しげな手を添える形でうずくまった。


 ***


[✓] LOADING…


 城内が揺れる。断続的に砲撃を受けているような揺れだ。一本の通路を残して周囲が崩落していた。辺りでは地響きが起こるたびに通路から魔物が落下し、悲鳴が響き渡る。天井部のむき出しの梁の上でギリースーツがドローンコントローラーを操作していた。また城内が揺れる振動でパラパラと落ちた土埃がモニターに降り積もる。


(Low Battery)


 ドローンコントローラーが充電残量低下の点滅を繰り返す。モニターには爆発炎上し続ける卵鞘と、尻を突き出した妙な体勢で倒れる焼け焦げたスナイパーが映っていた。強まる揺れに土埃が舞い上がり、ギリースーツが咳き込む。ドローンコントローラーがかき消え、HUDに接続切れの文字が浮かんだ。


(Lost Connection)


 足音が聞こえてきた。ギリースーツはカランビットナイフを取り出し、梁にうつ伏せる。手繰り寄せた廃材と重なり合い、ギリースーツの姿が見えなくなった。


「アーチ!」


 一本道の通路の奥から重い足音が近づく。古びたアーマーの端々に獣皮をぶら下げた野生的な『勇者』だ。右腕に巨大な剣斧を担いで左腕に盾を持ち、背中には簡素な弓矢を括り付け、その頭部は麻袋をすっぽりと被っている。ギリースーツはカランビットナイフを握る力を強めた。


「アーチ、聞こえていたら返事をしろ! 聖騎士、どこだ!」


 勇者は力強い声を張り上げ、ついでとばかりに行く手を阻む魔物を盾と剣斧で叩き落としていく。そうして容赦なく障害物を払い除け、先を急ぐ足が不意に立ち止まった。その真上の梁に潜むギリースーツは呼吸を止める。感知されただけで矛先を向けられそうな雰囲気だった。


「……気のせいか?」


 麻袋のほつれがチクチクと刺さる首元を掻いて勇者が歩き出す。完全に姿が見えなくなったのを見届けてから、ギリースーツは詰めていた息を吐いた。カランビットナイフをインベントリに収めながら起き上がり、一体化していた廃材をギリースーツから振り払う。それからドローンの位置を示すHUDのマーカーへ目を向け、斜め右上にあるID一覧まで視線を移す。マッチングリストのローディングが終了し、スナイパーのIDが挿入される。それを確認したギリースーツは崩れかけた梁から一本道へと飛び降りた。

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