その日 2


 じいちゃんは宿屋に旅人を案内しているはずだ。宿屋は森を抜けた先にある。森といっても、まっすぐ歩けば五分もかかることはない小さな森だ。けどそれは昼間の話だ。

 夜の森は様相をすっかりと変えていた。生い茂った草、木の上から聞こえる鳴き声、ゆらゆらと揺れる花でさえも不穏だった。大きさも深さもまったく違う知らない世界の知らない森の中へ入ろうとしているのかもしれない。膝が震えているのが自分でもわかった。

 「……こわい、かえりたい」

 それでも、俺は森のなかを進んだ。ガサガサと草や葉が擦れる音がするたびに、ひきかえして家に戻ってしまいたいという気持ちと、じいちゃんを探さなくちゃという気持ちが浮かんでは消えてを繰り返した。足を止めながらも、少しずつ少しずつ前進した。

 ようやく森の先にうっすらとした光が見えはじめた。

「よかった。宿屋だ」

 俺は興奮して足を速めた。すると、光の方に近づくにつれて木の幹に何か黒いものがいるのが見えた。よくみると誰かが木に身体をもたれかけてすわっている。大きく呼吸をしてときどき苦しそうに唸っている。だんだんとその姿がハッキリとしてきた。

「じいちゃん!」

「……ああ、お前か」

「じいちゃん、大丈夫!?」

 じいちゃんはお腹を抑えながら一言ずつ絞り出すように話した。お腹のあたりに刃物が深く刺さっていた。

 「ナイフが……どうして……」

パニックになって頭が真っ白になったおれを、じいちゃんは抱き寄せた。

「いいか……いいか、時間がないからよく聞くんじゃ。」

じいちゃんは笑いながら言った。すごく苦しいし痛いにきまっているのに。俺を心配させないようにしているんだ。

「七つの街を探すんじゃ」

「七つの街。それって作り話じゃ……」

「七つの街はある。だがその話をしちゃいかん。ワシがお前に話したように話すんじゃ……意味はわかるな?」

 俺は何度もうなずいた。

「トムや、トム坊や……七つの街で先にまっとるぞ」

 俺の頭を撫でたやわらかい手はそれっきり動くことはなかった。


 俺がまだ10歳の頃の話だった。


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