35:酩酊

対するロキの方は逃がす気など無いらしい。

それとなく身動ぎすれば、先程絡め取られたままの片手が解けない力で握られる。

お互い床に脚を崩して抱き合った体勢。

この形へ持ち込んだ時点でかなり強引な訳なのだが、飽くまでも無邪気さを装って小さく笑う。


「それにしても、先輩が弱ってるとこ初めて見たわぁ……」

「私が酔ってるの、そんなに面白いかしら」

「可愛いって意味ですよ」

「いや、可愛くはないでしょ……」


日頃は無表情を保つリヴィアンも、朱色の頬で朦朧としてしまう。

少し不機嫌そうにゆっくりとした返答。

そうして意識しながら発音せねば弱々しくなり、あまり下手なことも言えず。



一度目のキスは触れるだけ、二度目は強く。

またも拒絶出来ずに呼吸を奪われた。


唇は心と繋がっているからこそファーストキスは大事だとされる。

そういえば純潔を失った時にジェッソは腰から下にしか用が無かったようなので、この世界ではロキが初めてだ。

酔っ払ってまともに動けない時に、これは危険。

呆けて正常な判断が出来なくなっていると瞬く間に流される。



「……もっと可愛い顔見して、リヴィ先輩」


抱擁とキスを思い出に諦めてもらうのは甘い考え。

そこから先に行きたいと強請られた。

吐息混じりに耳許へ吹き込まれた低い声、剥き出しの脚を撫でる指。

思いがけない艶にリヴィアンの肩が一つ震える。


必死な可愛らしさがあったのは先程までの話。

今は優美で上品な顔立ちが蕩け、初めてロキが情欲を曝け出していた。

潤んだ濃藍の垂れ目を細めて牙の先を覗かせる。


ああ、この少年もそんな表情をするのか。

なんて妖艶に微笑むのだろう。



だとしても、それを向けるのはいつか別の誰かだと思っていたのに。


リヴィアンへの好意に恋が絡んでいることは薄っすら気付いていたが「まだ子供」と思考停止していた。

この年頃にはよくある淡い物だと決め付けて、ロキ自身も大人しいタイプなので何も起きずに過ぎ去ってしまうとばかり。

まさかこんなにも押しの強い行動に移してくるなんて。


隠していた欲望を見せつけられて静かに重い衝撃。

嫌悪感は無く、ただ申し訳ない。

彼は妖精や仔犬などであらず、一人の男だなんて当たり前のことだったのに。



そして時に、印象の反転というものは強い魅力。

知らなかった面により波紋が生まれる。

異性として認識したことで胸がざわめいたのは事実、鼓動で困惑が上書きされそうだった。


何とか上体を起こして膝立ちにまで体勢を直し、閉じた太腿を密かに擦り合わす。

白状すれば、先程から熱が下腹部にまで回ってきている。

甘い雰囲気とキスで滾ってしまった身体の変化にもリヴィアンは少なからずショックを受けていた。

子供だとばかり思っていた相手に欲情するなんて。


また、渇きを満たしてこそ悪役なのだ。

眼前に誘惑があれば大きく揺らいでしまう。



息継ぎしながら、キスを重ねられる度に深くなっていく。

瞼を下ろして包まれる薄闇が心地良かった。

緩んできた唇をなぞるロキの舌は鍵。

差し込まれるまま、開くことを許してしまう。


先程から触れ始めた時は恐る恐る、感触や反応を一つずつ確かめるように。

熱に任せてからは貪るばかりで技巧としては拙い。

前世で踏んできた場数から判断するに、どうやらロキはキスすら未経験。

他人と壁を作っていたなら当然の話か。



お茶会の途中だったので互いの口腔に残っていたサバランとコーヒーの残り香が甘くて堪らず、溢れた唾液も名残惜しげなロキに舐め取られた。

意外と長い濃桃の舌を伸ばして、涎が伝う口許。


「はぁ……っ、甘ぁ……」


またあの蕩けた表情を見せる。

いけない物のようで、どうしようもなく眩しい。



見惚れそうになる隙に、今度こそスカートの中までロキの手が忍び込んできた。

汗ばんだ内腿を伝う指先が下着を探り当てる。


「……ッ!」

「先輩、我慢しないで……酔った所為なら仕方ないんよ」


薄布一枚下の熱は気付かれていた。

リヴィアンが抱える疚しさを丁寧に愛でる声で、欲望の解放を誘う。



これはロキの恋心に正面から向き合ってこなかった罰でもあった。

突き付けられた情欲に、酩酊感は手を差し出して身を任せようとする。

そもそも戸惑いこそあったが決して嫌ではない。


ただし、理性の欠片が条件を一つ。



「……ここじゃ最後までしないって、約束出来る?」

「あらぁ……ここまで来といて、難しいこと言うんねぇ」

「それ以外なら、鎮まるまでは何でもして良いから」

「何でもとか、そんな簡単に言ってまうん?」


この部屋で繋がるのは駄目だ。

ベルンシュタインが鍵を預けたのはロキとリヴィアンに対する信頼あってこそ。

限りなく暗いグレーでも、この一線だけは踏み越えたくない。


「避妊具が無い」という言い訳は使わなかった。

これだけ用意周到、本気で口説く気だったのならロキが持っているかもしれないのだし。

魔法の存在する世界で"彼女"が使える房中術は子を成せないことも可能に出来るが。



さて、ここから先は戯れ合いの時間。


交わすルールは簡単、指と舌で触れるのみ。

ゲームスタートの合図で黒いシャツの襟を緩めた。






情欲の波が引けば、余韻が心地良い怠さ。

後悔しまいと決めたので多少の気まずさは無視して乱れた衣服を直す。


窓から吹き込んだ風に部屋の空気が洗い流される。

汗ばんだ肌を撫でて冷ましてはくれるが、どうにも脱ぎ捨てた下着が張り付いてしまう。

一度灼熱まで上がったからにはまだ足りない。



喉が渇いてコーヒーの存在を思い出したが、放置時間が長過ぎた。

もう氷が溶け切ってグラスの中ですっかり薄い色。

きっと食堂の物よりも水っぽい味だろう。

それでも構わず口を付けようとしたら、ロキに回収されてしまった。


「淹れ直しますね」

「ありがと……でも服着てからで良いわよ」


あちらは何とかベルトを締め直しているが、まだ上半身にはシャツを羽織っただけ。

まだ生硬く幼さの残る身体つきと色濃く残る情事の匂いがアンバランスで目に痛い。

割り切ったつもりでも罪悪感だけは棘を刺す。



二杯目は何故かミルクと砂糖を勝手に足されていた。

これはこれで美味いので文句は無いが。

ロキも同じ物を飲んでいるので、ただお揃いにしたかっただけだろうか。

自分の好みを共用したいというなら可愛らしい。


気が利くことで濡らしたタオルも渡された。

肌の火照りと体液を拭うが、キスする前のように元通りとはいかず。

確かに見た、触れた、味わった。



「これって結局"プレゼントは僕"ってことになるのかしらね」


思いがけない発言に、ロキが吹き出した。

小さな笑いが治まらず震えている。


ふと視線を落とせばサバランを入れていたケーキの箱とおまけのリボン。

夏らしいレモンイエロー、リヴィアンの髪と同系色。

手に取るとロキの背後へ回って「動くな」と指示し、戯れで一掴みの銀髪に蝶々結び。


「貰うわよ、それじゃ改めて宜しくね」

「えっ、先輩、付き合ってくれるってこと?本当?」


そう宣言すると"プレゼント"は丸い目で振り返った。

半ば無理やり事に及んでおいて、今更何なのだ。



「あらまぁ、何でそんな意外そうなのかしら……」

「リヴィ先輩が僕のこと好きなのか、よく分からなかったので」

「親愛とか友愛の意味なら、確かにロキ君のこと好きよ。性愛も加わったのは今さっきだけど」

「あっ、好きって今言うんね……」


またも思いがけない言葉を受けて、今度は照れる。

何だか今日はロキの知らない面を沢山見てしまった。


「僕も、リヴィ先輩が好きです……性愛込みで」

「そうね、思い知らされたわ」


既にリヴィアンは日頃の平静を取り戻し、何を考えているのか読めない目。

もう腹を括った後は揺るがず。

事実、好意自体はこちらも持っていたのだし。


現実的な視点で言えば、友達の延長線上での交際なんてよくある話。

学生同士ならば尚更であろう。


物語の世界で劇的な生死や色恋ばかりを重ねてきたので、すっかり麻痺していた。

惚れていた情夫に殺された前世だってある。

今までの経験と比べてみたら普通かもしれないが、こうした切っ掛けで始めるのも悪くない。


ただ、今生最初で最後の恋とも思っておらず。

いつかは手を離す覚悟の上。



「……で、どこでなら最後までしてえの?」


勿論、約束をロキは忘れてない。

「次」があること前提で条件を呑んだのだから。

飽くまでも場所の問題だというなら明確に答える必要があり、第一それもいつになるやら。



「だって先輩、明日から二週間も居なくなるし……次のこと約束しないと、寂しくて死にそうなんよ」


そう、田舎への旅立ちは明日の朝に迫っていた。

外泊申請も大体の荷造りも済んでおり、もう待つだけの自由時間。


予定を立てていた時は誕生日も一人で気楽に過ごすつもりだったので、夏休みが始まったらすぐ発つつもりだったのだが。

ロキからもう少し勉強に付き合って欲しいと申し出を受けて、例年よりも数日遅れ。

まさか告白を目論んでいたのが本当の理由とは。



「もしフッた後に二週間も離れてたら自然消滅してたかしらね、全部」

「あらまぁ、キッツいこと言うんね……」

「綺麗に忘れて次へ行った方が良いんだから、離れるのはむしろ優しいわよ。それで、私居なくても大丈夫かしら」

「ん……今日のこと思い出せば何日か乗り切れるかと思ったけど、なんか余計に苦しくなりそうだわぁ……」


尻尾を垂らす仔犬の顔で弱音を吐く。

置いて行かないで欲しいと、下がり眉なので悲しみは雄弁に。


こんなことの後では長い長いお預け。

ペットを飼うと旅行が出来ないとはよく言うものだ。

そもそもロキは自分のことなら自分で出来る訳で人として対等に扱うべきなのだが、つい思考の癖。


手紙ぐらいは書くし、土産も持って帰る。

喉の辺りまではそう言おうと準備していたのに。



「ロキ君、一緒に来る?」


気付いた時には、唇から滑り落ちていた誘い。


無意識で形を変えていた言葉にリヴィアン自身が一番驚いていたが、辛うじて動揺を呑む。

そんな虚勢で精一杯、取り消すという選択肢すら頭から抜けていた。


***

R18版は小説家になろうムーンライトにて「悪役専門の死にたがり女優ですが、知らない乙女ゲームで迷走してます」の方に掲載してます。


【R18】悪役専門の死にたがり女優ですが、知らない乙女ゲームで迷走してます

https://novel18.syosetu.com/n1787iv/

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