26:種蒔

悪役令嬢リヴィアン・レイラ・グラスに成り代わってから数日が経過した。


寒過ぎると思えば、窓の向こうでは雪が降り積もって内も外も静寂一色。

シーツに横たわっていると自分も雪野原に埋もれている気分になり、こう何もかも白くては憂鬱になる。


折れた手足が酷く痛んでは動けず考え事も纏まらず、これだから肉体を持つことは煩わしい。

ギプスや包帯が解けるまで大人しく病室のベッドで回復を待つばかり。

台本を読むことが出来るのは世界に降り立つ前のみ。

何度眠ってもあの場所に戻れることはなく、分かっているとはいえ目覚めるたびに重い溜息。



あの時に大騒ぎしていた中年女性はリヴィアン付きの侍女、ペリコ。

赤ん坊の頃から世話を焼いてベタベタと甘やかしていた、何と言うか過干渉な母親ような存在。


娘のように思っていた少女が命に関わる大怪我をしたのだから、必死で呼び掛けるのも当然の話。

けれどペリコが愛していた本物のリヴィアンはもう居ない、殺してしまったのだ。

「生きていて良かった」と何も知らずに泣きながら喜ばれては少なからず罪悪感も。

それはそれとして彼女の所為で台本が途中になってしまったのだから、接する際はこちらも根深い恨みを隠しつつ。



さて、状況を整頓させてもらおう。


本物のリヴィアンが持っていた記憶の方は問題なく引き継がれたので、事故前までのことは読み取れる。

完全に真っ白だった場合はいっそのことショックによる記憶喪失を装う手もあったが問題なし。


それによれば現在のリヴィアンは14歳の少女。

一言で表わせば、甘やかされた箱入り娘。


ペリコは勿論、一人娘ということもあってか両親からも大事に大事にと育てられてきた。

何しろ、まともに叱られた経験すらない。

そうして出来上がるのは頭が子供のまま成長しないモンスターである。

学校に通っていたこともあったが、問題を起こした時に謝罪は保護者だけで済ませて退学。

それ以来、家庭教師を雇って屋敷から出ずに溺愛される生活。



加えて「女の子はぽっちゃりしているくらいが可愛い」とペリコが山盛りに食べさせるので、フォアグラ化した結果がこの体型だった。

適度な脂肪は事故の際クッションになる。

物語で登場する姿の方はどう見ても二十代で相当な肥満体型だった。

身体が大きければその分だけダメージを受けやすいが、比べて今は小太り程度。


数日前に乗っていた馬車は大破して凄惨な有り様。

同席していた両親は即死でも、リヴィアン一人だけ生き残れたのはこの脂肪のお陰だった。

台本にあった「十年ほど前の馬車による事故」という記述が、正にこの出来事を指すようだ。


即ち、真の物語が動き出すとしたら約十年後か。

そのくらいは簡単に推測出来ること。

ただし、何も分からないまま歩むには与えられた猶予が長過ぎる。

本来ならヒロインが登場するまでに準備しておく事柄はそれだけ多かったのではないだろうか。



相違点は年齢や体型だけでなく、もう一つ。

記されていた役名は「リヴィアン・レイラ・テクタイト」だったが、まだグラス姓。


その謎は思っていたよりも早く解けた。

両親を失い身寄りが無くなったことで、あれから「親戚であるテクタイト子爵家の養女に」という話を持ち掛けられたのだ。

怖い思いをした後に一人きりで他所の家に入るのはさぞ心細かろうと、その場合はペリコごと面倒を見るとのこと。


あれはテクタイト家からの招待を受け馬車で向かう途中、雪による路面凍結での事故だった。

良い人だとか同情だとかは間違いないだろうが、責任感や罪悪感あっての申し出か。



登場人物の名前に鉱石が付く設定は台本で読んだが、あの記述は更に続いていた。

曰く、国民の誰もが自分の名前である鉱石と同じ色の髪や目をしているそうだ。

正しくは、例えば「代々赤毛や赤い目を持って生まれてくる家はルビーを意味する姓を名乗っている」など由来あっての名なのだが。


彼女の名前の元となったリビアングラスといえば、明るいレモンイエロー。

同様に透き通るような淡い金髪から、両親が一人娘に授けた名でもある。

くしゃくしゃ癖っ毛で、ほとんどトウモロコシの髭に近いが。



ここで鉱石の方についても説明させてもらうと、リビアングラスとは隕石衝突による熱で溶けて再び固まった天然ガラス。


本来リビア砂漠で発見されることでの命名なのだが、この世界ではリヴィアンという学者に因んでのことになっているので綴りが違う。

異世界を舞台にした創作物ではよくあること。

現実との矛盾点は何かしら別の理由が付けられている。


鉱石にはそれぞれ不可思議な力があり、リビアングラスの効果は再生と復活、カルマの浄化。

前世の業から魂を解放して進むべき道を示すと言われている。


「……皮肉にも程があるわ」


思わず溢れてしまった苦々しい笑いが傷に響く。

鉱石なんて数多く存在しているのに、寄りによってというべきか。



ところで、こうして生まれた石は他にも存在する。

美しい緑のモルダバイトに、真っ黒なチベタンテクタイト。

それは親戚であり養女の話を持ってきたテクタイト家の令息の名だった。

もともと「テクタイト」とは隕石衝突で生まれる天然ガラスの石全般のことを指し、こちらは本来ならチベットで発見されたことからの命名。


先日の見舞いで会ったチベタン・テクタイトは、ヨーロッパ風のこの国であまり見ないエキゾチックな風貌の少年だった。

ベリーショートの黒髪に浅黒い肌、凛々しい顔立ちで体格が良い。

性格も硬派で誠実、女子供に優しい好青年。

幼馴染でもあるリヴィアンに対しても気遣いが温か。


記憶を覗かせてもらうと、本物のリヴィアンは子供の頃からチベタンに片思いしていた。

身近な大人ばかりの閉じた環境で育ち、同年代の知り合いといえば彼のみ。

そんな相手がこれだけの美形ならば無理もあるまい。



整った容姿かつ悪役令嬢の片思い相手。

彼は攻略対象として見ても、ほぼ間違いない。


それなら養女の話は受けるべきか。


目を離さずに監視していれば彼の前にヒロインは自分から現れるだろう。

いつかの未来、きっと十年後辺りまでには。

それまで大人しく時を待てば良い。


東洋にルーツを持つテクタイト家は貿易を生業にしており、この国でもそこから伝わった品々や文化が注目されているのでなかなか儲けている。

本来の時間軸のリヴィアンを見るに、ドレスを着て悠々とした生活は送れそうだ。



怠惰がそう囁くも、湧き上がるのは泥々の淀み。


そうはいくかと動く方の手を伸ばす。

ベッド脇のテーブル、ラベンダーティーのカップを乱雑に掴み取った。


淹れてもらってから暫く経ってしまったので身体を温めてくれないが、一気飲みするには程良い温度。

深く呼吸すると、慣れ親しんだハーブの香りと苦みが蘇る。

湿らせた唇と舌で少しは動かしやすかろう。


「拙者、親方と申すは!お立会いの中にご存知のお方もござりましょうが!」


唱え出すはお馴染みの発声練習、外郎売。



「お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて……青物町を登りへおいでなさ、るれば……っ」


最初はスタートダッシュの勢いで押し切ったが、徐々に息が切れてきた。

元から滑舌は良い方でもないようで縺れ出す。


この世界に降り立ってから、碌に身体を使わず過ごしていたのだ。

錆付いていたのは何も手足だけでない。

それまで要求や会話は声を落とすような、ぽつりぽつりだけで済ませていた。

急に動き出そうとしても、逸る気持ちに追い付けず。



「ホホ敬って……ういろうハ、いらっしゃりマセヌかッ!」


それでも外郎売は止まらずに。

高低も安定せず途中で嗄れる声、裏返り、がなり立てるにも近い最後だった。

この身体では初めてとはいえ、我ながら酷いもの。


ただ、溜まっていた鬱屈だけは晴れた。


単なる発声練習なら、ゆっくり小さな声で事足りる。

肩で息をするような苦しさを味わう必要なし。

これは肺の空気を全て吐き、靄を追い出すことが目的だった。



なんと厭わしいことか、肉体の不調は思考までも鈍らせる。

弱気になるのも悩むのもそろそろ飽きた。


乙女ゲームの悪役令嬢なんて使命は決まっている。

要するに「ヒロインが一人勝ちするシナリオを打ち壊し、自らは破滅しないように務めろ」というのが大まかなところであろう。

最重要人物が誰なのか、どんなことが待っているのか分からないのは痛い。

とはいえ、とりあえず降り掛かる火の粉は容赦なく全て払わせてもらうつもり。


処刑も微笑んで受け入れたくせに、何故かって?

意義があるのなら構わない、しかし納得行かぬつまらない死に方だけは絶対に嫌だ。

この世界での命は一つしか無いのだから。


人を殺めてまで、この舞台に立っているのだ。

こちらにはリヴィアンの身体を簡単に死なせない責任がある。


勝手気儘に暴れ回り、散々苦しめてきた主人公達に討ち滅ぼされるのは最高の引き際。

今まではそういう役割を請け負ってきた。

けれどヒロインが悪女を踏み台にしてハッピーエンドを目指そうとするのならば、その野望を打ち砕くのも愉快である。

決して自分が幸せになりたい訳ではない。

ただアドリブで踏み外れたシナリオがどんな物語を描くのか見てみたい、それだけを楽しみに。



それまで静かに時を待つだけなんて考えるだけで嫌気が差し、まるで性分に合わぬ。

生温い環境で退屈な十年を過ごす気など無かった。


身を守る為の種は勝手に撒かせてもらう。

どれが実を結ぶか分からないので、それも複数の方が良いだろうか。

何を置いてもまず手足を治すのが先だが、肉体改造の必要も。

手強くても動きを鈍らせる脂肪は落とさねば。



顔を上げろ、背筋を伸ばせ。

悪役としての心構え、自覚、美学を持て。


誰かの冷酷無比な敵として立ちはだかる為に。





こうして耐えるばかりの数ヶ月は鈍い足取りで過ぎる。

全てを呑み込む雪も消え去って、花に変わり、やがて太陽が全てを輝かせる真夏を迎えた。


陽射しは灼けそうに強いが、日本のように湿気を帯びた暑さでないだけ呼吸しやすい。

15歳を迎えたリヴィアンは療養とリハビリを済ませ、地に立てば落ちた影は色濃く。

切り傷打撲に至るまで痕は残らず至って健康。

まだ目標には遠いが幾分か痩せて、自分の身体として馴染んだ実感もある。



動けるようになってからやるべきことは決めていた。


まず運命と環境を変えるところから。

手始めに、養女の話は丁重に断らせてもらった。


18歳が成人の国なのでほんの三年だが、それまでの後見人だけはテクタイト子爵家を頼ることにして。

密かにチベタンを監視対象としても、物語を掴む糸口と近過ぎては恐らく破滅も呼び込んでしまう。

ただし、完全には手放さない。

距離は付かず離れず、この程度が丁度良いだろう。



グラス男爵家は何も無い山奥の田舎。

父親は腕の良い猟師でもあり豊かな自然を愛していたが、正直なところ生活には不便な地。

リヴィアン一人で管理するのは手に余る為、畳んだ家を財に変えて両親の遺産と合わせることにした。


十中八九で訪れる破滅がどんな形かすら分からないのだ。

金は使えるカードとして大きい。

何が起ころうと無かろうと、備えておくに限る。


ペリコには手当と紹介状を渡し、今までの礼と別れを告げた。

基本的に彼女は良い人であり、深い愛情もある、しかし過干渉は枷としてお互いにとって不幸になってしまう。

あのままフォアグラとしての食生活を続けていたら、本来のリヴィアンと同じく肥満体型の道を辿るのは明白。

加えて、中身が別人であることを悟られては厄介故に離れなければならない。



それならどうやって生活するのかというと、もう次の住処は決まっている。


グラス男爵家のある山を下りてライト公爵領に位置する、孤児院付属のシーライト学園に中等部三年として編入することとなった。

この世界の仕組みを知るには勉強せねば。


初等部から高等部まで備わっており、孤児院だけでなく近隣の様々な家庭から子供が通っているので幅広い生徒が集まっている。

賑わった街ではあるが立地は外れの静かな場所。

校訓が「美徳の精神を養う」とされているのは悪役として耳に痛いところだが。


元から学ぶことは喜びなので苦にならなかった。

真面目というより好奇心と知識欲の強さに起因するので、だからこそ異世界巡りを楽しめている訳である。



この時に選び取った種は最善と行かずとも、間違ってはいなかっただろうか。


十年後のリヴィアンに尋ねてみれば、きっと黙って曖昧に笑うだけ。

そう、どうしてこうなったやら。

長い眠りと殻を破り、芽が出て、蕾は膨らんだ。

月を浴びる花を咲かせる為に。

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