25:事変

一度目の人生はファンに殺された舞台女優だった。


"彼女"はここから神だか悪魔だかに魂を拾われて以来、どんな人生であっても秘められた自我として存在している。

実のところ、本当はあの世界も自分の存在もまた誰かの創作物だったかもしれないが。


様々な物語の中で悪役を演じては、劇的な死ばかり繰り返しているのだ。

ついそんなことも考えてしまう。



ある時は神獣の加護を失い処刑された聖女。

ある時は房中術に長けた娼婦。

ある時は昔の仲間に討たれた闇墜ち魔法少女。

ある時は裏社会の違法な銃の密造人兼、狙撃手。

ある時はデスゲームに巻き込まれた医学生。


どれだけ波乱万丈だったかはお察しだろう。


一つの役を終える度に肉体は滅んでも、記憶を持ったまま再び違う世界に降り立つ。

大罪を重ね、進む道には血の跡を引き摺り、どこまで続くか見えない旅路。


平穏は望まずに、どれもこれも太く短く綺麗に燃え尽きたつもり。

今までの人生は別に悔いはあらず。

むしろ最高のタイミングで散ってきたと自負している。


死こそが一番のスポットライトの場面。

それを浴びる為に生き、意義のある終着点でなくては命の意味がないのだ。



「人生は舞台、人は役者」


最初の人生から変わらない座右の銘。

だから"私"は物語が最も面白くなる選択肢を取ろう。


時にトラブルを起こしても損しかなくても。

覚悟も美学も自覚も抱えた上で突き進み、破滅も笑って受け入れる。

無様に狼狽えたり命乞いなどするものか。


女優であり続けることこそが矜持。


そして一回目の人生から知っていた。

悪役とは、実に楽しいと。




「おはようございます、■■さん」


死を迎えた後も世界を侵略する前も、いつもこの奈落で目覚める。

あれから何日か何年か、時間の間隔は曖昧。



呼び声は主である神だか悪魔だかなどではなく、いつも渡される花束などは他者もここに居るという証。

昔から「綺羅びやかな舞台下には怨念の魔物が潜む」とはよく言われていること。

開いた目を凝らせば、自分と同じく俳優や女優達の魂が仄白い薄明かりとして木の柱の空間を照らしていた。

真っ暗闇でなく周囲を見ることが出来るのはその為か。


そう、こうした役目を負っているのは何も自分一人だけではないのだ。


何も分からない始めの頃、言わばデビューでは先輩と組んで潜入したこともあった。

役者達の魂が集うここは、劇団や芸能事務所のようなものと考えることにする。

皆それぞれ違う物語へと旅立つ前と後、束の間の素顔。


現実世界ではなく皆が死者である為、ここでは生理的な欲求から全て解放されて自由。

見える、聞こえる、それ以外の感覚は曖昧。

鬱々たる奈落でも嫌な気分が起こらずに、誰もが穏やかに過ごしている。

また肉体を持つことを考えると、煩わしくなる程に。



加えて、容姿に対する劣等感も持たずに済む。

魂だけなら生前の外見なんてもはや意味をなさず、奈落で出逢える者はもう顔立ちがうまく認識出来ないのだ。


代わりにアイデンティティの証として、皆それぞれどんな世界でも身に着ける物は決めている。

どういう訳かこれだけは知覚することが出来るので、お互いに本名とそれを記号としていた。


例えばサメジマという女優はどの世界でも水色のマニキュアを選んでいた。

艶々した爪は魚の鱗に似ていて人魚を思わせる。

最も目にする自分のパーツは顔よりも手なので、この色を見ると安心すると言う。


例えばカミオという俳優は必ずラピスラズリの装飾品を着け、死ぬ時は世辞の句を詠んでいた。

彼はどんな世界であってもBLにしてしまい、泥臭いヤンキー抗争物で全員と関係を持ってハーレムを築いたこともあるそうだ。


知ることで世界は無限に広がっていく。

こんな陰気な場所からでも。



それにしても、名を呼ばれたということは出番か。


閉じ込められている訳ではなく、奈落にも出入り口はある。

仲間達と軽く別れの挨拶を交わすのも慣れたもので、真っ直ぐに通路へと抜けた。


暗かろうと自分もまた発光しているので、周囲がどうなっているか見渡すことは出来た。

石造りの壁に、木のすのこを並べられた床。

相変わらず無機質な冷気と埃っぽい匂いがしている。


天国にしても地獄にしても、もっと神秘的な場所だと信じていたかった。

何と言うか、あまりにも質素で笑ってしまう。



そうして次元でも歪んでいるのか無限を思わせるような長い長い通路にも終わりがあった。

肉体がないので足の疲れはないが、行けども行けども果てが見えなければ飽き飽きしてきた頃。

この先に辿り着くのは次の舞台に通ずる扉、異世界への出入り口。


つまりは、成り代わる登場人物の心の中。


高熱や頭部打撲などで登場人物が死にかけている時、魂は肉体から離れかける。

そこで別の誰かと通じてしまうのだ。



とはいえ、こうしてご丁寧に説明があるのは"役者"として神だか悪魔だかに選ばれて奈落に集められた魂だけらしい。

あの世へ行く前に迷い込んでしまった魂の場合は真っ暗な空間に放り込まれ、理由も分からずいきなり扉に出てしまう。

手には人生で最も馴染み深い物を持ったまま。


転生者の場合なら、こんな手間の掛かる儀式めいた物を挟まない。

神は魂を綺麗に洗って次へ生まれ変わらせるものという。

前世を思い出すとは、落とした筈のシミが蘇って布全体に影響を及ぼしてしまうことに等しい。



役者と迷子の場合、実に残酷な儀式を経て登場人物と擦り変わる。


演劇とは競争社会であり、だからこそ「奈落に魔物」なんて話が生まれた。

舞台に立てなかった者達の泥々と煮詰まった怨念。


率直に言えば、肉体の所有権は戦いに勝った方。


入室した瞬間、これは誰かに教えられる訳もなく理解すること。

生存本能なればどんな者でも夜叉と化す。

料理人であろうと、大事な包丁で相手を滅多刺しにするだろう。


そうして仮死状態の登場人物に間違いなく死んだことを理解させれば、負けた魂はあの世へ流れる。

「シナリオと登場人物の中身が違うなら、本来の人格はどこへ行ってしまったのか?」という疑問の答え。

当然だ、殺されて魂ごと入れ替ったのだから。



ただ一言で表せば、彼ら彼女らは代役なのだ。


登場人物が何らかの事情で舞台に立ち続けることが出来なくなった時、こうして現れる。

身体を奪い、物語を塗り替え、違う結末へ導く為に。



"彼女"が手に取るのは扉の前にあった銃。

蹴破るや否や先手必勝、躊躇いなく住人の頭を撃ち抜いた。


久々であろうとも銃器の扱いならば慣れている。

元、密造人でしたから。

更に優秀な狙撃手でもあったので、厳しい訓練を積んだ経験もある。



卑怯であろうとも、彼ら彼女らはシナリオの壊し屋。

迷子は縁深い物を持っての入室だが、役者の場合なら置かれているのは殺傷力の高い凶器。

神だか悪魔だかの手を使って潜入しているのだから、勿論負け知らず。


ただし、いわゆるチートというものは入室前に与えられるアイテムのみ。

世界に入り込んだ後は持ち込めず特別な力などあらず、全て自分一人で何とかしなければならない。

助けてくれるのはこれまでの記憶や経験。



さて、それではご遺体の確認を。


ここに居る者は仮死状態に陥った当時でなく、本来の物語で登場する姿をしている。

倒れているのは大雑把に見て二十代らしき女性。

適度に太っているなら若く見えるものだというが、ドレスに押し込んだ身体付きは随分な肥満体。

レモン色の淡い金髪に、そばかすの浮いた丸い顔。


決して不細工ではないにしても、体型で損をさせられている印象。

ヒロインの愛らしさを引き立てる為に悪役が不器量として描かれることは多い。

ただし、こんな頭に風穴の開いた血濡れの遺体では正確な美醜など判断出来ないが。

仮に絶世の美女だとしても酷いものである。



扉の前に置かれていたアイテムは凶器ともう一つ、真っ白な台本。

読むには登場人物の血液が必要。

掬い取った真紅を垂らせば、役の変更を感知して文字が浮き出てくる仕組み。

ああ、これで中身をやっと確認できる。


まず表紙に並んでいるのは、乙女ゲーム「キミ色宝石に秘密のキスを」のタイトル。


こんなにも血の色が満ちる中、なんて不似合いな甘ったるい響きか。

見聞きするのも全く初めてで知らない作品だが、次の役割なら大体の察しがついた。

この女性はいわゆる悪役令嬢だろう、どうせ。


乙女ゲームの世界なら、悪役のやるべきことは決まっている。

もはやテンプレート化しているくらい。


前回のように転生者がシナリオから外れたので物語をどんな形であれ収拾する為に送り込まれることもあるが、こういう時はむしろ逆に当たる。

転生者か迷子のヒロインがゲーム通りに事を進めようとするので、そのままでは破滅させられてしまう悪役はどうにかして回避すれば良いのだ。

逆ハーを目論んでいる場合なら、一人でも攻略対象の心を完全に奪えば勝ち。



何故なんて、そんなの「この方が面白い」に尽きる。


そうして続けた先に何があるのか、神だか悪魔だかすらもどうだって良い。

破壊者に道理なんて求めるだけ無駄。

死んでも治らない気狂いだからこそ、こんなことに喜び勇んで身を投じるのだ。



何より便宜上で「台本」と呼んでいるが、ここに書かれているのは創作物としての世界の全てである。


まず自分の演じる人物だけでなく他のキャラクター設定、ストーリーに台詞、本来の流れからどう変わってしまったのかという問題点から導くべきエンディング、それこそ表から裏まで。

これは異世界に持ち込めないので、この場で流し読みするだけで一字一句違わず勝手に頭へ刻み込まれる。


不可思議ではあるが、これは普通の冊子などではなく死体の血液を吸い取って文字を形作るような代物だ。

なんて恐ろしく、酷く悪趣味なのだろうか。



とは思っても、これが無ければ動きようがない。

同じ役、同じ脚本であっても演じるには個性が出るもの。

物語を作るプログラムが存在するとはいえ、その世界の人々は生き物なので不測の事態も起こる。

こちらとしては指令として与えられた最終目的さえ果たせれば良いので、機転を利かせてアドリブ頼りで進むことも多々あると承知の上。


台本を手に取れば、指先に染み付いた真紅まで一滴たりとも残さず取り込まれていく。

こうして遺体の横で悠々とページを捲り始めた。


そうなのだ。

至っていつも通りだった、ここまでは。



台本によれば「キミ色宝石に秘密のキスを」通称「キミヒミ」。

舞台は20世紀初頭のヨーロッパ風異世界である、ディアマン王国。

全体的に国民は食うに困らない生活をしており平和、貧民街と呼べるような場所も無い。

現代日本並に清潔で衛生の概念もあり水も豊富。


よくある剣と魔法のファンタジーかとも思いきや、ここでも魔女狩りが行われた為に廃れてしまった過去の文明らしい。

今ではお伽噺くらいにしか登場しないが、魔法を使える者は危険視対象なので正体を隠してひっそりと暮らしている。

それに彼ら彼女らは決して万能という訳でなく、占いや薬作りなど扱える魔法は一人につき一種類のみ。

遺物である魔導具が並の人間の手に渡ってしまうことも。


そしてタイトルに「宝石」とあった通り、この国では地名も国民の名までも鉱石に関連していた。

貴族は姓名で一つの鉱石、平民は姓だけが鉱石と同じ。

登場人物の名前などに規則性があることは創作物ではありがち。



世界観の設定はその辺りにして、この女性はリヴィアン・レイラ・テクタイト。


早速、予想通り「悪役令嬢」の単語が並ぶ。

誕生日7月25日、身長162cm、CV.野上美空、そこはどうでも良いか。

没落したグラス男爵家の一人娘。

十年ほど前、両親と乗っていた馬車の事故に巻き込まれて一人だけ生き残り……



眠りは現実と非現実、此岸と彼岸の境目。


ふと、彷徨っていた意識が捕獲されたのは突然のことだった。

不味いと即座に直感するが、どうにも抗えない。

強力に急激に、引っ張り上げられていく。



まだ途中なのに、ちょっと待ってよ、何なの?






「目を覚まして下さい!リヴィアンお嬢様!」


知らない天井、それは当たり前。

肉体の重みと痛みを伴って、覚醒した場所は真っ白なベッドだった。



動けないので少しばかり苦しく、呼吸の度に薬臭さが胸に満ちてくる。

これは判る、病院独特の匂いか。

今しがた起きろと大声で呼び掛けていたのは、傍らに付き添っていた中年女性。

こちらが息を吹き返したのを見て、悲鳴と共に「生きていた!」と喧しく病室を飛び出て行く。

すぐに人が集まり、何やら騒がしくなってきた。


暫くしてから白衣に眼鏡、医者らしき男性がこちらに向けて何か説明を始めた。

とある有名ゲームの冒頭「良いですか、落ち着いて聞いて下さい」の場面によく似ている。



しかし、今の"彼女"には一つも聞こえていなかった。

こんなにも足の爪先まで冷え切ったのは、役者になってから初めてかもしれない。

正直なところ再び気絶してしまいそうだ。


全身が氷になったことを感じながら、切れた唇で最初の一声は世界に落ちる。


「嘘でしょ、こんなことある……?」


そういった台詞は無く、全くのアドリブ。

否、そんなところまでページに辿り着けなかったというべきか。



何しろ、台本をほとんど読まないままで見知らぬ舞台に放り出されてしまったのだ。

こんなにも由々しき事態が他にあろうか。


もしもし誰か、舞台袖で見ていたら助けてくれません?

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