23:魔性

これで断罪劇により起きた煩わしい諸々が一段落。

もう「ヴィヴィア」と自分を呼ぶ者も居らず、ここに居るのは月華園のピアニストである狐薊。


しかし正直なところ、今は噂の魔獣のインパクトが大きくて感傷など掻き消えてしまった。


単純に強面の巨漢というだけで迫力満点。

そしてあの時は飽くまで小娘向きに装っていただけにしても、軽く崩した態度は気さくで然りげない仕草にも品の良さが滲んでいたのは意外。

猫を被るにしても、そもそも正しいマナーを知っているからこそ出来ること。


魔獣なんて物騒な呼ばれ方をされていようと血統や育ちの良さは言わずもがな、傑物揃いなライト家の人間であり次期伯爵。

容姿だけでなく強者の風格には圧倒された。

血の匂いが濃く野卑な乱暴者を想像して、勝手に怯えていたヴィヴィアは偏見を深く恥じる。


では、こうした相手を敵に回したらどうなるか。


そんなもの考えるだけで実に恐ろしい。

纏わる噂の真偽は相変わらず不明だが、逆鱗に触れた結果とするなら腑に落ちる。

当然の話、本能だけの野生動物よりも頭脳明晰な魔物の方がよほど脅威だろう。



促されるまま席を外したヴィヴィアだったが、特にやることや予定もあらず。

夜の住人達は暇さえあれば昼寝など部屋の中で過ごす者が多いので、明るいうちの寮はあまり人が出入りしない。


リビングで話し合いをしているので何となく居辛い気がして、店内へピアノの練習に出向くことにする。

面会の話を聞いて昨日から少なからずずっと緊張していたもので気疲れしてしまった。

退席した手前、レピドと顔を合わせるのは出来れば遠慮したい。


張り詰めていたものが解け好きなことに没頭して、やっと調子を取り戻したところ。

その間、小一時間程になるだろうか。



だというのに、二度目は早々で突然に。


再び見かけたのは長い渡り廊下から。

ここの場合は屋根や柱だけの簡素な造りでなく、壁で固められているので寒さを物ともしない。

そろそろ寮に戻ろうかと歩いている時に、ふと見やった窓の外。


何か大きな黒い塊があるかと思えば、まだレピドが居たので驚いてしまった。



どうやら先程ヴィヴィアを前にしていた時よりも猫は留守か、せいぜい羽織るくらい。

渡り廊下と向かいの壁に背を預け、庭で煙草を咥える姿。

寮での喫煙は自室のみというルールになっているので、こちらの来客が吸いたい場合はこうして庭に追いやられるのだ。

それは花街の若頭であっても同じこと。


太陽が高く燦々と晴れた空とはいえ、風が冷えた初冬の野外。

ロングコートを身に付けているのだが、ファーの所為か毛皮に見えてますます獣めいている。

窮屈そうだった襟は今や胸元まで緩めており、やはりその肌には刺青が広がっているらしい。



この渡り廊下から壁まではちょっとした距離、あちらからヴィヴィアは気付くまい。

というのもレピドの視線は隣へ注がれている為。


壁に背を向ける人影はもう一つ、側近だというノエ。


肢体こそグラマラスだが、身長は平均より少し上程度の筈。

巨漢のレピドと並ぶと小さく見えてしまう。

側近というか正確には護衛と聞くが、やはり彼を守れる程の武闘派だとはとても信じ難かった。

音楽家として生きるつもりだったヴィヴィアにとっては、どうしても初対面での歌声から受けたイメージが強くて想像つかない。



それにしても、二人共こんな表情もするのか。


眼光鋭く隙のないレピドと、どこか影があるノエ。

今は柔らかく解けて素顔を晒していた。


どちらも悠々とした態度は相変わらずだが、不遜さよりもリラックスしている雰囲気を感じる。

外敵の入ってこられない巣で、獣が安心して腹を見せているような。

時折覗かせる笑みも自然な柔らかさ。


何より、絡まる眼差しがお互いに優しい。

確かな信頼関係といえばそうであろうが、隠しきれない甘さが混じっている。



決して鈍くないヴィヴィアは察した。

主と側近というのは本当でも、それだけでは二人にとって言葉足らずなのだろう。


あれは明らかに恋人や夫婦の空気感だ。


ここから会話は聞こえず、あからさまに身体を寄せ合っている訳でもなし。

だからこそ雰囲気だけで読み取れてしまう。



しばらく考え込んでいたもので、気付くのが遅れた。

光溢れる庭と対になって影の濃い廊下。

そこに隠れるようにして佇んでいたのはヴィヴィアだけでなかった。


彼女よりも少し先に鈍く光るアッシュシルバーの長い髪。

ノエの忠実なる奴隷、雪椿。


自分の主人が他の男性と共にしている姿を見て、その心中は如何に。

苛立ちなのか、哀しみなのか、耳に通されたラベンダー色のリボンを忙しなく弄る指先。

雪椿の表情はいつも通り穏やかなようだが、それだけに却ってヴィヴィアは怖かった。



寮に戻りたいところだが、雪椿の横を通らねばならないので気まずい。

あちらを向いているうちにもう一度店でピアノの練習に行こうか。


「いや、気ぃ使わんでえよ」


回れ右した瞬間、初めて声を掛けられて肩が跳ねた。

驚かせるタイミングとするなら完璧。



思わず口を開きかけたものの、その先、返す言葉が喉で迷子になる。

こんなおかしな状況に直面したことなど初めて。

ありふれた色恋沙汰のトラブルですら分からないのに。


そもそもの話、ヴィヴィアは彼らのことをよく知らないのだ。


レピドとノエが恋仲であることは暫定的。

ノエと雪椿の主従関係は事実だろうが、もしかしたらショーだけのものという可能性も。

蜘蛛蘭だって白蓮や他の歌姫とデュエットを組んだり、緊縛師としてはМ嬢を吊り上げたりするが飽くまでも舞台の上だけの関係とのことだし。



「あんなぁ、狐薊さん……"先にノエさんと付き合ってたんは僕の方だった"って言ったら信じる?」


だというのに、何故そうも易々と爆弾を投げつけて来るのか。



少ない知識で頑張って消化と理解をしようとしていたヴィヴィアには酷である。

雪椿は相変わらず柔らかく微笑んでいるが、腹の底が見えなくて気味が悪い。


「雪椿さん、サディストの方の才能もあると思いますわ……」

「ああ、そうねぇ、よく言われるんよ」


今ここで弱味を見せてはいけないという直感。


意地でも動揺は顔に出さず、背筋のざわめきに負けず。

呑み込むことで矜持を保った。





「単なる片思いとかで体の関係持ってない相手に対して"寝取られた"と言わないのは勿論だけど、既に別れた後の相手に対しても同じよ……」


それに対して、ノエの返答は遠回し。


どういう意味かと一瞬戸惑ってしまったが、考えてみればすぐ読み取れる。

雪椿と付き合ったことがあるのは事実。

しかし別れた後にレピドと関係を持ったので、決して裏切りではないと。



これは開店前、身支度を整えながら女性用控室にて。

周りには他の嬢達も居るのだが、別に聞かれても問題ないとノエはその場で口を割った。

というか、もしかしたら単に周知の事実なのかもしれない。


本来なら色恋沙汰に踏み込むのは不躾、加えて煩わしいことになると知っているのだが。

結局ヴィヴィアはお節介な性分が抑えられなかった。


こうした話を出来るくらいなので月華園の中でノエとは打ち解けている方。

ヴィヴィアと年の近い者も居るが、彼女は8歳上でしっとり艶やかな大人。

ちなみに蜘蛛蘭とも同い年らしい。


意外と口調や受け答えが柔らかく、つい話しやすさに甘えてこちらが喋り過ぎてしまうくらいだった。

色恋沙汰に免疫のないヴィヴィアが女性同士として交友関係を持つには頼もしいが、もし男性だったら一方的に深く溺れてしまいそうな危うさはある。


そう思うと、雪椿のことは欠片だけなら理解出来た。

心を奪われてしまった成れの果ての姿が彼か。



冷たいほど落ち着いた容姿と物腰により、ヴィヴィアは学園や社交界でいつも大人としての振る舞いを求められてきた。

王妃候補であったなら尚更の話。

だからこそ付けられた「黒薔薇」という二つ名。


成人しているといえども最年少となる場。

本物の大人達に囲まれている今、皆からは年下として個人として正当に扱われていた。

故に過度の期待はされず、それとなく守られている実感。

そして同時に、自分は所詮小娘に過ぎないことも。


居心地が良い理由はこれもあった。

母が亡くなって以来、今までトワ以外に気を許せる大人が居なかったのだ。



さて、そろそろ話を戻そうか。


あの時に雪椿から若干嫌な物を感じ取ったが、それはヴィヴィア個人に敵意などを向けた訳ではないと。

事情を知らない彼女に対してせいぜい悪戯心。


「ユキ君は嘘吐かないけど、肝心な部分を黙ってるタイプだから」


「レピド様」に「ユキ君」の呼び名。

後者の方が親密そうに感じるが、果たして真相は。



「馴れ初めとか惚気が聞きたいなら、ご質問どうぞ?」


そんなことを堂々たる姿勢で不意に投げて来たものだから、つい困惑してしまう。

何が知りたいかはヴィヴィアに任せ、それに対してノエが答える形の方が良いだろうと。

開店までの戯れ気紛れ、今だけの特別限定サービス。



貴族として王妃候補として、昔からヴィヴィアは自分を厳しく律してきたつもり。

昼間、雪椿と廊下で対面した時もそれで乗り切った。


しかしノエを前にすると、隠そうとしていた言葉や気持ちが誘い出される感覚に見舞われる。

不思議と、彼女にはそういうところがあった。

こちらのことなど何でもお見通しとばかりの黒い目。

無理に暴かれるというよりも、自分から曝け出してしまいたくなるのだ。



大袈裟に捉えてしまったが、これはただの恋愛話。

気になることがあるのは事実ではあるし。


好奇心に流されず、言葉を選びつつ、質問を始めた。



結局、レピドとは恋仲という見解で良いのだろうか?


「そうね、キツネさんくらいの年からの付き合いになるかしら……雇用としては主従関係だけど、レピド様はパートナーとしてはなるべく対等であろうとしてる人よ。だから長く付き合っていられる訳だけど」



ご結婚の予定は?


「正直、お互いにそういう願望ないのよね……まずレピド様は誰が相手でも夫や父親には向かないとご自分で仰っているし、私も妻や母親とか考えられないから。

でも結婚を契約としての面で考えるならその方が得だし、レピド様が当主になったら周りが更に煩くなるから流石に観念しましょうかって話し合ってるわ」


めでたい話の筈だが、そんな偽装結婚のような受け止め方で良いのだろうか。

恋仲だというのに甘さの欠片もなし。


とはいえ、そもそも結婚とはそういうもの。


仮に平民同士なら自由に誰とでも結ばれるなんて訳でもあらず。

多かれ少なかれどうあっても面倒事は付き纏い、契約であるという点も同じことなのだ。



身分が高ければ尚更の話で、大抵の場合ディアマン王国の貴族は子供の頃や学生のうちに婚約者が決まっているものである。

分家とはいえ公爵家の血統、次期伯爵家の当主で三十代のレピドがいまだに独身の理由はノエの存在だったか。

「魔獣」の二つ名で恐れられていたり、花街の管理という特殊な家柄の所為もあるだろうが。


同じ血縁でも美女揃いの姉達は求婚が絶えなかったというが嫁に迎えることと、魔獣のつがいとして一人でライト家に入ることは訳が違う。

大事に箱庭で育てられたご令嬢ほど壁が高過ぎる。


それでも、あのライト家との繋がりなんて野心のある者ほど欲しがるものだろうに。


貴族の結婚は何よりも打算が第一。

娘の気持ちなど無視して、生贄紛いに差し出す親だって中には居るのだ。

ヴィヴィアの父がそうだったように。

実母や義母もまた、そうしてナイト公爵家へ嫁がされてきたように。


「ああ……何しろレピド様のお相手なんて、人質に取られても自力で何とか出来る女性でもないと。"女の命が惜しかったら大人しく投降することだな"って場面を一度でも経験したら、結果的に助かったとしても普通の女性なら全部放り出して死ぬ気で逃げて行くわ」


なるほど、欲だけで安易に近付くと痛い目を見る訳か。

それこそ命が幾つあっても足りない。

では、その「自力で何とか出来る」ノエといえば。


「とても端ないけど……私の場合、毎回とてもワクワクしてしまうのよ」


付け加えられた一言は黒い目を潤ませて、吐息混じり。

まるで熱い情交を思い出すかのような。


頭が追い付かず密かな冷や汗が伝うが、すぐにヴィヴィアは考え直す。

忘れかけていたが、ノエもまた異界の生き物。

何らかの特殊嗜好を抱えているのだ。

理解は出来ずとも嫌悪感を露わにするのはご法度、ここはそういう場所。



ところで、側近の上に仮にも婚約者だというのに今こうして離れていても良いのだろうか。

護衛なら常に寄り添っているものなのでは。


「仕事で呼ばれたら勿論レピド様の方を優先するけど、月華園に居る以上は用心棒と歌姫に徹するわよ。当然だけど、彼の護衛って何も私一人じゃないし。

それと流石にね、毎日いつでも行動を共にするなんてレピド様も私もお互いに嫌なのよ……恋仲として対等である以上、干渉し合わない自分の時間は絶対に必要だから」


ここまで聞いた印象、レピドとノエの関係は何とも乾いているようだ。


とはいえ荒れている訳でも無機質な訳でもない。

サラリと滑らかな手触りをした表面。

内側はどうか知らないが、それは当人達だけが分かっていれば良いこと。



レピドとノエの事情は大雑把ながら把握した。

ところで本題はここから先であり、雪椿の方といえば。


「同じ学校だったから半年付き合って別れて、大人になってから月華園で再会して……で、今に至るわ」


これまた説明としては軽すぎないか。


或いは、ノエにとってはその程度なのやら。

かつて薄荷とカミィが言っていたことを思い出す。

「飛び級で医師免許を取れる程の逸材だというのに、ノエの奴隷になりたくて月華園に来た」と。


雪椿にとってノエはファム・ファタールなのかもしれない。

魅入られたら最後、破滅に導かれる魔性の女性。

かといってファム・ファタール本人にその意図はあらず、男性は一方的に振り回されているだけ。


雪椿本人もまた幸福なのかもしれないが。

ショーで見せた、あの満ち足りた表情を思い出す。



SМ自体そういう面が強い世界。

サディストSマゾヒストМに酷いことをしているように見えて、その責めは望み通りのもの。

むしろマスターМに対してスレイブSが奉仕しているのがSМの実情という場合すら。


初心者ながら、身を置いてから数日のうちでヴィヴィアも理解してきた。

知識として頭だけでなく空気で。


そうして適応したからこそ今も呼吸が出来ている。

でなければ、とっくに窒息している頃だ。

この居心地の良い異界、違う生き物として体が作り変わっていく感覚は悪くない。

ガラスケースの黒薔薇でなく、不可思議な花々の咲く園で狐薊として根差すことを選んだのだから。



「それと、ユキ君のことはレピド様も知ってるわよ。昔付き合ってたことから全部」


そこはヴィヴィアも気になっていたこと。

先手を打たれてしまっては、まるで心を読まれていたかのような気恥ずかしさが少々。

とはいえ、この関係をレピドは良しとしているのか。


「私も訊いてみたけど、反対にレピド様からは"女王様が奴隷を持つことに他人の許可は必要なのか?"って疑問に思われてたわ……」


嫉妬以前の問題、相手にされてないのか。

もしくは認識自体が違うとしたら噛み砕くのは骨、割り切るしかあるまい。

とりあえず魔獣の度量が広いことだけは分かった。



ああ、もう時間切れだ。


各々が違う衣装を纏っても、身支度の最後は素顔を包み隠す仮面。

名前も顔も本性を偽って繋がりを持つ。

それでも、その糸は決して紛い物ではあらず。


間もなく開園時刻。

黒革で着飾った花々は客を迎え入れる。




第三者は首を突っ込むべきでなく、これ以上は野暮。

放っておけば雑草のように育ちそうな好奇心は鋏で容赦なく刈り取ってしまおう。

時に身を滅ぼす物だと分かっているから。


そう、ヴィヴィアは知らなくて良い。


「嘘は吐かない、しかし肝心な部分は黙っている」とは言った彼女自身もまた該当すると。

ノエ、レピド、雪椿、彼らに絡まる糸や紡がれた物の大きさ。

ここから先には別の物語があることを。

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