22:面会
ヴィヴィアも元公爵令嬢、加えて王妃候補だっただけあり現国王にも何度か謁見した。
しかしある意味、今はそれ以上に緊張している。
顔合わせする場所は寮のリビング。
きちんとした応接室もあるのだが、食事時でなければ空いている広間の方が堅苦しくなくて良いだろうとこちらになった。
というのも、まともに対面するには恐ろしい相手。
「魔獣」の二つ名を持つ次期ライト伯爵家当主は、身の丈2mの噂通り巨漢だった。
ここまで屈強な男性を見るのは生まれて初めて。
年の頃は三十代前半か、無造作な黒髪で彫りが深い顔立ち。
野性的な鋭い目と薄い唇に牙が目を引き、なるほど猛獣じみた印象だった。
ただ悠々と椅子に掛けているだけで威圧感がある。
黒い中折帽に、スーツの上からでも分かる筋骨隆々とした身体付き。
流石に窮屈なのか襟を緩めているのだが、その太い首筋から覗く刺青はあまり見ないようにしていた。
刺青なら蜘蛛蘭で見慣れてはいても、彼のような色気よりも見てはいけない物としての禍々しさが強い。
しかし彼から何か危害を加えられた訳でもなし、怯えてばかりも失礼。
今日はわざわざ挨拶に来てくれたのであって、噂や風貌がどうあれ無関係なのだ。
何より、二つ名で勝手に判断されるなどヴィヴィア自身が嫌っていることではないかと反省する。
静かな深呼吸の後、まず許しを得てから一言。
「お初にお目に掛かりますわ。元ナイト公爵家のヴィヴィア、今は月華園のピアニストを務める"狐薊"と申します」
「ご丁寧にどうも、お嬢さん。俺はライト伯爵家当主ステラ・ライト四子の四、レピド・ライトだ」
真っ直ぐ見据えられながら、貫禄のある低い声で「お嬢さん」なんて呼ばれて妙な気分だ。
いざこうして向き合ってみると確かな強者の風格。
この花街の次期支配者である魔獣からすれば、もうただの小娘に過ぎないヴィヴィアは実に狐程度の存在であろう。
レピドの母親であるステラ・ライト女伯爵は社交界で何度か見かけたことがある。
花街の領主だけに、さぞ噎せ返るように妖艶かといえばそんなことはない。
孫を持つ身ながら「一等星」の二つ名に相応しく、成熟した美しさの貴婦人だった。
ちなみにレピドの上は三人の姉、それぞれタイプが違えどいずれも劣らぬ強かな美女揃い。
今や身を固めているが、若い頃は求婚が絶えなかったというのは有名な話。
ただ見目麗しいだけの花々であらず、薄暗い面を持つ一族という毒や棘を知りながらも虫は誘われる。
反面、独り身で末子の長男はそうした華やかな場にあまり顔を出さず現地の仕事に追われる身。
だからこそというべきか噂ばかりが大きく育ち、滅多に遭遇しない伝説のモンスターめいている。
爵位は成人に達した若いうちに継ぐ場合が多いが、ライト伯爵家は先代であり桁違いの傑物だったリナ・ライトの時代が長かった。
その為に遅れてしまったものの、ここに居るレピドが当主になるのももう秒読みと言われている。
だからこそ、こうしてステラでなく彼が挨拶に訪れたのだろう。
偶然に偶然が重なった結果だが、中立的な立場から言ってもヴィヴィアが身を寄せるには騒動へ何も関与していないライト公爵家の下が最も適切。
貴族が集まる王立ディアマン・ブラン学園で行われた断罪劇の場、何しろこの家の者は職員まで含めて誰も居なかったのだ。
代々ライト家や血縁者の令息令嬢は皆揃ってアレキサンド・ライト記念学館へ進学することになっている為である。
ディアマン王国のみならず周辺国の教育機関にまで多大なる貢献を果たした先祖の偉人に因んで建てられた、国内五大名門校の一つ。
今のところヴィヴィアに汚名が着せられたままという問題はまだ何も解決していないので、少人数の関係者を除き事実は内密にされるようだが。
それで良い、公になればライト公爵家にも迷惑が掛かってしまうだろうし。
ただし仮に明かされたところで、絶対に月華園までは辿り着けやしないが。
一部をこうして分家に任せるくらいなのでライト公爵領自体は実に広大。
そんな中でヴィヴィアを探そうとしても無理な話だ。
あれ以来、外出時にも欠かさず変装しているので尚更「ダークグリーンの髪の少女」など見つからない。
「レピド様、女の子相手なので魔獣は引っ込めて下さいね」
「大丈夫だ狐薊、怖くない」
何も二人きりという訳ではなく、この場には付き添い人も居た。
ヴィヴィアの傍らにはトワ、レピドにはノエ。
身分の高い相手であり花街のNo.2という上の立場にも関わらず、随分と砕けた口調である。
ノエがレピドの側近という初耳から一日経過。
そこは呑み込んだものの、用心棒というのは流石に驚いた。
酒はトラブルが付き物なので月華園にも体格の良い黒服が何人か居るのだが、彼女も腕が立つと。
透明な声を持つ歌姫としての印象が強く信じがたい。
それでも実際の荒事には遭遇したくないので、戦闘力を目の当たりにする日が来ないことを願う。
トワもレピドとは学生時代から顔馴染みであり、店の件もあって細く長くの付き合いらしい。
固くなっているのはヴィヴィア一人だけと気付くと、つい己を恥じてしまう。
噂の魔獣と向き合ってみて気圧されたのは事実。
けれど現にこの目で見てみなければ、知り得なかった意外な面も。
というのも、テーブルの上は何とも和やか。
皿に盛られている素朴なドーナツはレピドの手土産。
ここを訪問する時に持参する定番で、彼も気に入っているらしい。
ヴィヴィアも味わってみると、しっかり固めの生地でシナモンが効いた一品。
それから湯気を立てる人数分の紅茶。
口を付ける前、レピドはカップにミルクと蜂蜜を注いでいた。
黒革手袋の無骨な指に細いティースプーンはますます華奢に見える。
いかにも肉に齧り付く姿が似合いそうだが、どうやら魔獣は甘党らしい。
これも偏見だったのでヴィヴィアは密かに反省した。
さて、本題に入ろうか。
鞄を持つノエにレピドが合図して、数枚の紙を広げさせればテーブルの空気が変わる。
これはヴィヴィア本人が記入と捺印をして数日前に預けておいた書類。
後の手続きは全て代わりに済ませてくれたようだ。
「お嬢さんを分籍してライト公爵領に本籍を移すことを記した書類の写しと、ナイト公爵家からの手紙な」
「はい……確かに、受け取りましたわ。お手数お掛けして大変申し訳ありません」
頭を下げてから恭しく受け取ったヴィヴィアだったが、内容を検めるには勇気が一握り必要。
まるで凄まじく不味い液体を飲み干す前によく似た気持ち。
覚悟を決めて手紙を開き、まず流し読みしてみる。
父から最後のメッセージは暴言でも書き殴られているかと思えば、実に簡素で事務的な文面のみ。
安心したような、これっきりで終わるのは虚しさが残るような。
ナイト公爵家には現在当主を務める父とロードの母である正妻、そして三人の兄。
彼らとヴィヴィアを産んだ実母は妾で、早くに亡くなっている。
ヴィヴィアから見て、この家は酷く曲がっていた。
姉妹で王妃候補として選ばれても昔から王太子が心に決めているのは次女の方。
どんなに優秀でも価値がない長女は実家で冷遇されており、ディアマン・ブランに入学してからの五年は長期休暇でもほぼ帰らず過ごしていた。
身分に関係なく生徒が等しく平等に扱われるだけ、軍隊じみた学園の方がまだ良かったのだ。
それに、ピアノから離れるなんてもう考えられなくなっていたことだし。
教養の一つでしかない為、実家では好きに弾かせてもらえない。
そして単刀直入に言えば、いつまでも少女のように振る舞う正妻のこともヴィヴィアは何となく不気味で最も苦手だった。
言動が痛々しい所為だけではない。
実の娘や継子に対するのは心からの愛に違いないらしいが、親からの物としてはどこか歪。
幼い頃は実母から真っ当な愛を注がれていた実感があるからこそ、彼女は気付いていたのだ。
正直だからこそ態度に出てしまいそうだが流石に悪いので、なるべく関わらない方が吉とそれとなく避けてきた。
姉として接してきたつもりのロードからも、あの断罪劇でどうやら嫌われていたと判明したことだし。
悲しくないといえば嘘になるが、呆れの方が強いのでダメージはそれほどあらず。
ヴィヴィアよりも、彼女に敵意を剥き出しにしていた王太子の方を選んだというだけのこと。
ロードは家族から可愛がられてはいたが、考えてみれば気の毒な子である。
あれは未来の王妃として商品価値があってこそ。
王太子のお気に入りになってから、それまで無関心だった父や兄達が異母妹への態度を一変させたことをヴィヴィアは忘れていない。
王太子からの愛情を受け入れ、それでロードが幸せになるというならば構わない。
お陰でヴィヴィアの方も彼と結婚せずに済んだ。
そうやって何年も前から見切りを付けていたので、実家に捨てられたところで別に絶望などしていない。
肩肘張っていた昔ならまだしも、トワとピアノのお陰で変わり心に余裕を持てるようになったヴィヴィアは楽に呼吸が出来ている。
強いて言うなら一度は決まった音楽学校の受験には未練があったが。
それが紆余曲折あり、こうして花街でピアノを弾く日々とは。
学校に行っていたら生涯耳にすることがなかったであろう曲の数々に出逢えたので、ここに来て良かったとも思える。
才能のある者は沢山居ようとも、蛇苺の世界は彼女にしか創れないのだ。
何やかんやあるが、月華園の生活は今のところ楽しくて居心地が良い。
「しっかし、ピアノならどこでも弾けると思うがねぇ……」
「いえ、月華園の音楽を愛しているので私が希望したのですわ」
「皆そう言うんだよな、ここに惚れ込んでるってよ。まぁ、後々になって真っ当な昼の仕事に戻りたくなったらライト公爵家で紹介するからその時は遠慮すんな」
「はい、お気遣いいただき感謝致します」
ありがたいと思いつつも「皆」とは誰のことやらと考える。
まず歌姫という仮の姿を持つノエと付き合いの長いトワは含むのだろうが、もっと複数人でなければそんな言葉は出てこない。
ピアノと向き合っている間は周りから切り離されるのでヴィヴィアはつい忘れがちだが、ここはSМショーパブ。
こんな特殊な趣味の知り合いがそんなに多いのだろうか。
もしやレピドも客として来ることがあるのかという考えが過ったが、想像する前に打ち払った。
やめよう、サディストでもマゾヒストでも絵面の凄まじさが洒落にならない。
こうしたことを勘繰るのは、口に出さなくても無礼。
そういえば「学園で女漁りしていた」というヴィヴィアの容疑に対しても、レピドは一度も触れなかった。
流石にその耳にも届いているだろうに。
興味がないだけの可能性も高いが、そもそもここは色地獄の花街。
痴情の縺れなんて物は日常茶飯事か。
そうしてヴィヴィアへの用は手短に済んだので、もう席を外して良いと解放された。
ここから先は若頭と経営者で仕事の話。
では失礼致します、と椅子を引こうとした時だった。
「それと予言させてもらうけどよ、今後ナイト公爵家はお嬢さんのこと取り戻そうとすると思うぜ?」
最後にそう付け足されて、ヴィヴィアの動きが止まる。
一体何を言い出すのだろうか。
「いいえ、それは有り得ませんわ……以前から家の利益にならなければ捨てると再三に渡って通告されておりましたし、実際に今の私は価値がありませんもの」
「いいや、俺の経験上から言っても撤回される可能性は高いな。脅しってのは相手に要求を呑ませる為の無茶であって、実際にそうされたら困るなんて場合も多いんだよ」
「そうなのでしょうか……」
「今はナイト公爵も怒りで頭に血が昇ってたからな……後になって誘拐されただの何だのと後で言えねぇように、こうやって面倒な手順踏んで公正な書類まで作った訳だ」
不敵に笑う顔は、紛うことなき魔獣。
本籍を移す提案はライト公爵家からだった。
先手を打ったということか、なるほど。
レピドの口振りから察するに父は巧いこと遣り込められたらしい。
その時が来ても「もう遅い」ということか、もしくはヴィヴィアに対して「逃さない」という告知なのか。
縁起が悪い予言の後味は紅茶でもドーナツでも消えない。
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