21:白狐

色素の薄い髪に、小柄で華奢な身体。

小顔に栗鼠を思わせる丸みのある大きな目。

四十代と聞いていたが、洒落っ気があり身綺麗にしている蛇苺は年齢よりも若々しい。

少女の頃の姿が容易に想像出来る上、さぞ可憐だったことだろう。


顔立ちが似ている訳ではないのだが、妹を思い出す。

社交界で「白薔薇」と評判の愛らしさ。


そして、どれもヴィヴィアが持っていない物。


真っ直ぐなダークグリーンの髪、背が高く細身。

色味の無いグレーの吊り目は眼差しも冷たくなりがち。

大人びて落ち着いた顔立ちから「黒薔薇」と呼ばれるだけあり美少女という自覚はヴィヴィアにもある。

とはいえ、気丈で刺々しい雰囲気もあるので可愛げがないことも分かっている。


もっと優しく可愛らしい容姿で生まれたかった。

せめて自分のことを好きになれるような。



「だから、本当はずっと羨ましかったんです」


ピアノの稽古の合間、一時の休憩。

広いステージにポットとカップを持ち込んでヴィヴィアと蛇苺、二人だけの時のことだった。


肌寒い日のティータイムはつい喋りすぎていけない。

紅茶の熱とミルクの甘さで心身共に綻び、ヴィヴィアが内に秘めていた物を流出させてしまう。

口に出すつもりなどなかったのに。


長いこと胸の中に抱えていた悩みは言語化してみると単純な話。

他人に伝える形にすると自分の中で整頓は出来たが、何となく情けなくて恥ずかしい。

コンプレックスとは実に厄介。

容姿なんて生まれ持った物はどうにもならないのに。


流石に公爵家の令嬢という点だけは伏せていたが。

相変わらず、ここの住人達は自分が何者であるかということに触れない。


それに、蛇苺が相手なら尚更の話。

国のクラシック音楽界に籍を置いているというのなら、彼女も貴族の可能性はある。

何しろ音楽というのは金が掛かるのだ。

この国では庶民から成り上がれる者は大変少ない。



少しばかり八つ当たりじみたことを言ってしまった後なので、何となく無言が気まずい。

黙って聞きながら紅茶を啜っていた蛇苺はというと。

サイドテーブルにカップを置いて、温まった息をゆったり吐く。


「でもさ、これ染めてるんだよね」

「あ、はい……」


ターバンから流れ落ちた髪を摘みながら一言。

ああ、そうだったか。

染めた髪は根本や内側から違う色が見えるものだが、蛇苺の場合は纏めているので気付きにくかった。


しかし、どういう意図なのかはいまいち計りかねていた。

蛇苺も生まれつき色素が薄いというのは勘違い。

そこの誤解は解けたが、こうして後に続く言葉はといえば。



「ある程度なら容姿は変えられるよ、ってこと」


結論は拍子抜けするほど短く。

まったく、この師匠は一言多いのか足りないのか分かりゃしない。

あんなにも沢山の言葉を見事に紡いで、素晴らしく耽美な歌の世界を作り上げるのに。


変えられるのは分かる。

一度も考えたことがなかった訳でもない、けれど。


ヴィヴィアが神妙な面持ちになったところで、蛇苺は残りの紅茶を飲み干した。

空になったティーカップは音も立てずテーブルへ。

これで話は終わりかと思いきや。


「キツネちゃんピアノ弾く時は男装してるけど、どうせ変装するなら楽しんでみない?」


急な提案で、流れは思わぬ方向へ進む。

そうして手を引かれて共に舞台袖からステージを退場。


でも、どこへ?



答えはすぐ近くの衣装部屋。

借りている寮の個室ほど広さがあり、壁から壁を繋ぐ長いポールにはドレスを着たハンガーが無数に。


接客をするS嬢М嬢のボンテージは私物が多いので各々で保管しており、意外とここにある衣装は良い意味でありふれたデザインばかり。

ショーの小道具なども収納されており、何となく魔法使いの部屋を思わせる。

初めて来た日に見たバスタブも布を被って片隅に。



さて、今更ながらおかしなことになった。

蛇苺に連れられるままに来てしまったが、変装を楽しむにしても具体的な理想像は無し。


それに男装にも理由があるのだ。

貞操の危機に遭った後なので、不特定多数の前で女性だと認識されるのが少し怖かった為。

直後にそれ以上の衝撃を経験したり、あまりにも濃い日々続きで忘れかけていたものの。

心の傷自体は残るだろうけれど、お陰様で今となってはだいぶ軽症。


加えてもう一つ、今まで無自覚だったがトワを意識していたのもある。

短い髪で飾り気を持たず、線の細い文学青年のようなスタイルを貫く姿には密かに憧れた。


実際に着てみて、確かにヴィヴィアも似合ってはいたしそれなりに物珍しさで面白みもあった。

けれど自分もトワのようになりたかったのかといえば、正確には違うかもしれない。

本当ならやはりドレスの方が良い、そう感じた。



「あぁ、キツネさんここに居たのね」


不意に、背後から肩を叩く声。

思いがけず衣装部屋にまた一人、来訪者はノエだった。


こうしてステージ裏へ足を踏み入れる立場にならなければヴィヴィアが知り得なかったこと。

初めて見た時のノエは掟に従って仮面をしていた。

歌声や攻撃的な色香から、さぞガラス片のような鋭く尖った美女かと思っていたのは勝手な想像。


どちらかといえば、化粧する前の素顔は意外と可愛らしい。

柔らかな頬の線に大きめの垂れ目、薄っすらそばかすが浮く色白の肌。

初冬ということもあり、あの肉感的な身体のラインは丈の長いジャケットで隠されている。

ミッドナイトブルーの髪も軽く結ばれているだけで、今は肩から緩く波打っていた。

特に女性は化粧や服装で別人になれる生き物。



開店準備で着替えるにはまだ早い時間。

何をしているのか、と訊ねられたら経緯は掻い摘んで。

ヴィヴィアのコンプレックスのことまでは喋りすぎだろうから省きつつ。


「そうね、カスタマイズなら私もやったわ……」


すると、そう言いながら懐かしむ顔で頷いた。

聞けば、ノエ自身も十年程前まで太っていてそばかすが今よりも目立っていたらしい。

その頃は髪も癖っ毛で淡い金色だったと。


ダイエットから始まり、薬用化粧品で肌を整え、洗髪料や香油で癖を抑えてから好きな色に染めてと長年に渡る戦い。

それでもまだ少し纏まりにくいので、店では髪をアップスタイルにしているという。

S嬢として振るう時は常に格好良くあらねばならないのだ。

経験者からの言葉は含蓄があり重い。



「という訳で、キツネちゃんお着替えどれにする?」

「好きにして良いならそうするけど」

「はい、それで宜しいですわ……」


ここは大人しく先輩方の着せ替え人形になるか。

無抵抗で受け入れることにした。


厳しい学園では全て自分で行うものだったが、本来なら貴族は着替えも一人で出来ない。

加えて、そもそもドレスは他人の手を借りて身に纏う物。

実家では侍女にされるがままだったので慣れている。


蛇苺もノエも別に暇な訳ではないのだろうが、娯楽には飢えているらしい。


衣装部屋の一角はウィッグ用のマネキンの生首が並んでいる棚。

作り物だと分かっていても、この数は壮観というか少し不気味さすらある。


その中から蛇苺が手を伸ばしたのは。


「色素薄くなりたいって言ってたし、いっそ"これ"どうかな」


選び取られる、最も明るい色。

透き通るように真っ白なホワイトブロンドだった。



ウィッグは帽子のように被って終わりではない。

地毛をしっかりと纏め上げ、ピンで固定してから生え際とラインを合わせて手櫛で調整。

髪の色を変えただけでも、驚くほど印象が違ってくる。

冷たく整った顔立ちは明度が高くなり、ミステリアスで儚げな佇まいになった。


このダークグリーンに不満はありつつも、染めたりするなど考えたこともなかった。

淡い色に憧れつつも、生まれ持った物は仕方ないという諦め。


けれど何となく、妙にしっくり来た。


ヴィヴィアナイトという名の鉱物は、刃物に似た鋭い結晶。

もともと地中で眠っている姿は無色透明である。

それが発掘されて紫外線を浴び続けていると黒ずんでいき、緑や藍色へ変色する。

太陽から隠れ、月の下で呼吸している今の彼女にはよく似合っていた。



「奇抜な格好は"似合っていれば良い"ってよく言われるけどさ、仮に似合わなくても好きな格好するのは自由だよ」


人目を気にせずアジアンエスニックのワンピースを愛用している蛇苺のこと。

彼女が言うと、強い説得力がある。


背が高くスレンダーな身体つきのヴィヴィアはいつも大人びて落ち着いたドレスばかりだった。

そういうデザインしか似合わないからと。

でも、本当はもっと華やかに着飾ってみたい気持ちも。


「すみません、やっぱり私……着てみたいドレス、あります」


今なら高揚した気分のまま、冒険してみても良いだろうか。


この部屋に来るたびヴィヴィアが前から気になっていた一着。

桃に近い紫の可愛らしい色で、デザイン自体はシンプルな方だろう。

しかし何よりも普通のドレスと違う点。

これは着物の生地で作られており、和柄の美しさを引き立てていた。


そこへ白地に金と赤で装飾された狐面を合わせてみると、異界の生き物として相応しい姿。

舞踏会ではあまりにも斬新すぎるが、ナイトクラブなら懐広く受け入れられる。


もう大丈夫かもしれない。

久しぶりにドレスを着てみようと思った。



ああ、話は変わるが、そういえば。



「ところでノエさん、私に何か御用でもありまして?」


衣装部屋に訪れた時、確かに「ここに居たのか」と言っていた。

何だかヴィヴィアのことを探し回っていたような口振り。

遊びに夢中ではあったが、ノエの方もすっかり忘れていた訳ではない。


何しろ、それは大事な話。


「そうそう、あなたのご実家とも話し合ってね……"狐薊"さんの身柄を正式にライト公爵領で預かるということになったわ」


蛇苺も居るので濁されたが、どうやらノエもヴィヴィアの正体を知っているようだ。

分かっていたがナイト家は自分を捨てたのだという実感。

これで完全に鎖が解かれて自由か。



ここ月華園が店を構えているのは国内一の花街、カルツローズ。

ナイト家と同じく国内三大公爵であるライト家の領地に当たる。


しかし花街や闇市とは欲望が渦巻き、犯罪や暴力も辞ないある意味で独立国家。

そうした厄介な場所なので本家から切り離されて分家に任されている訳なのだが、治安が良くないだけに領主も少し特殊。


公爵家の中でも、昔からライト家は歴史に名を残す偉人や功績の数が桁違いで多く現代でも傑物揃い。

だからこそ、彼らでなければ務まらないのだ。

長年に渡りディアマンテ王国の「女帝」と名高いリナ・ライト。

分家に当たるライト伯爵家の彼女が率いるは、汚れ仕事を請け負い裏社会にも通じているという恐るべき一族である。


というのも先代までの話。

現在はそのリナ・ライトも引退し、当主の座は娘に渡ったと聞いている。



「それでここの店を任されてるのはうちの若頭だから、明日とか近いうちキツネさんにも挨拶したいってことなんだけど」

「若頭……?」

「次期伯爵のレピド・ライト。ご存知かしら?」

「ええ、お噂はかねがね……」


ヴィヴィアも公爵家の元令嬢、勿論レピド・ライトの名は知っていた。

だからこそ耳にしただけで竦み上がってしまう。


女系が二代続いたが、この分家は性別問わず実力次第。

そんな中で見事に跡継ぎの座を勝ち取り、異界の花街を纏め上げるのは単に優秀なだけの人材ではない。


「魔獣」レピド・ジャバウォック・ライト。


噂によれば、身の丈2mの巨漢で眼光の鋭さからその物々しい二つ名で呼ばれている壮年男性という。

何よりも彼に纏わる数々の逸話は嘘か真か極悪非道。

普通の令嬢ならまともに目を合わせることも出来ず、男性でもたじろいでしまう程に恐ろしい者だと。


噂だけで判断するのはいけないこと。

とはいえ、反射的に警戒してしまうのも仕方あるまい。


待て、そういえばノエは先程「うちの」と言わなかったか?



「ああ、私ね、レピド様の側近だから」

「ノエさん、実質この店の用心棒として居るからさ。むしろ歌姫の方が副業だし」


そんなあっさりした声で、理解出来る情報量を軽々と超えてこないで欲しい。

思わずヴィヴィアの頭が揺れたのはウィッグの重さの所為だけでなかった。

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