19:悪女

「異世界に転生した」という認識で、状況を一人で呑み込んでトワは今日まで生きてきた。

それが引っ繰り返るかもしれない、となれば流石に足元が揺らぐ。


ああ、深呼吸のつもりが溜息になってしまった。


密かに床を踏み締めて、息をゆっくり吐きながら思う。

落ち着く為にも煙草の一本でも欲しいところだが、あいにく書庫は禁煙。



「丁度良い物があるから、これで例えましょうか」


部屋を見回してノエが手に取ったのは、着せ替え人形だった。

長いこと店を続けていたらスタッフも移り変わり、これは引退していった嬢の忘れ物。


昔はドレスのモデルとして作られ、宮廷での流行を伝える為に国中を旅するのが人形としての役割。

今の時代は子供の玩具という面もあるが、高価で壊れやすいので無闇矢鱈に触れられない。

そうして棚に飾られていたままだった代物である。


開けた窓の外へ埃を吹いて、ノエは語り始めた。



人形が身体、服が人格、持ち主であり操演者が魂。

この前提で説明をさせてもらうと以下の通り。


転生というのは次々に人形と服を替えるようなものである。

操演者は劇の間、人形になりきって自我は無し。

人生という劇が一つ幕を閉じれば、操演者もそのことを綺麗に忘れてしまい次へ。

終わったことなど覚えていないのが当たり前。


ところが時々、前の劇である一着目の服を持ったままで次へ行ってしまう者が居るのだ。

全て同じでなくパターンとしては様々ではあるが。



前と今の二着の服を切って縫って合わせた融合型。

場面に合わせて二着の服を着替えながら演じる多重人格型。

一着目のパーツを好きな時に付けることが出来る能力者型、など他にも様々。

異世界転移や召喚は人形がそのまま違う劇に登場してしまうこと。

流石にノエも経験や遭遇した以上のことは語れず、この現象のことを全て知っている訳ではない。

それなら、今起きていることは。


「私達の場合は、こうなるわ」


トワとノエの場合は乗っ取り型。

操演者を追い出し、奪った人形をカスタマイズして舞台に立つ。

自分の物でなかったのだから転生とは違う。


そして本来の操演者はどうなったかといえば。



「あなた、白い空間に居た人を殺したでしょう?」


今度こそ首を締め上げられた気がして、息が止まった。

またも揺らいだ錯覚で片足に力が入る。



どうしてそんなにもノエは静かでいられるのだろうか。

まるで何でも知っているかのような顔が恐ろしい。

だが、ふと瞼を緩め不気味さを引き込めた。

そこに残ったのは、子供のような目をした女が一人。


「分かるわよ、私もそうしてここに来たもの」


声は力が抜け落ちて、動揺に寄り添った響き。

これが演技だとすれば大したもの。

一定の警戒を解かないまま、ただトワは耳を傾ける。



命の危機となる場面で、ふと操演者は人形から手が離れかける。

その瞬間に吸い寄せられて来た"誰か"と繋がってしまい、持ち主が変わってしまうことがあると。

それは本人が望んだ訳でもなくどうにもならず、どんな劇のどの人形かは分からない。

人形を奪われた操演者は死に、そのまま輪廻の輪へ。


確かにそれならトワは落馬した時だと思い当たる。

頭を強かに打ち付けて、危ないところだったと両親からも聞かされた。



眠りは現実と非現実、此岸と彼岸の境目。


前世を取り戻した夢で殺してしまった相手の正体も明かされる。

あれは舞台となる時間軸での人形の姿。

そう聞いて思い出したのは、あの時の爪先から冷えた感覚。

やはりミセスオパールになった同僚はトワが拒絶した未来だったのだ。


ゆっくりと腑に落ちて、少しだけ取り戻した余裕で笑う。

大丈夫、もう十年も経ったのだから今は落ち着いて受け止められる。



人生は舞台の上、人は役者という操り人形。

次元の違う誰かが作った世界で生かされている。


しかし招かれざる客にとっては知ったことではない。

本来なら決まった役割を与えられていた人形が糸を断ち切り、全く違った衣装で勝手気儘に振る舞う。

見えているフラグを叩き折って、落ちる筈だった穴など軽々と飛び越えて。


そうなれば大混乱。

劇は乱れて、台詞は即興、舞台上で描かれる運命は先の見えない方向へと突き進んで行く。



「それって凄く面白いと思わない?」

「思う、凄く楽しそうだ」


考えるまでもなく迷わず頷いた。

見世物には段取りという物があると、アーティストのトワは重々に理解している。

けれど、アドリブのみで進める即興もまた面白い。


だって、その方が心躍るじゃないか。


「私が思うに、最初の日本での人生も誰かが作った舞台の上の物だったかもしれないもの。ファンに殺された女優なんて第三者からすればドラマチックだし」


いとも容易く「殺された」なんて言ってのける。

七回目も経験しているならば、もはや死生観が違うのかもしれない。

ここもノエの恐ろしい部分だろう。


そこばかりに意識が引っ張られてしまうが、最初の発言には納得出来る。

緊縛師として歩んできた前世だって、考えてみれば官能小説の登場人物のようである。

SM界では花火の派手さと激しさで名前を残した。



さて、それならばここは何の舞台か?

ここで先程の質問の最後に繋がり「乙女ゲーム」と。


よく知らない単語なので一から説明が要るものの、男性向けの方なら知識はあるので何とか噛み砕いた。

プレイヤーはヒロインになりきり、複数居る男性キャラから一人を選んで愛を育む。

作品にもよるが、ただ好感度を上げるだけでは駄目。

学生なら勉強や部活のパラメータもあるし、ファンタジーRPGなら魔法や戦闘力のレベルを上げねば。


この世界に数多く存在する女性の中に、鍵を握るヒロインが一人だけ居るのだ。

誰に恋をするかによって劇は変わってしまうと。


成人男性向けでは恋愛要素など全く無い作品も多く、ここは明確に違うところだろう。

前世で監修した作品はSМ系だけに、どれもこれもハードな内容だった。

性行為はあってもビジネスライクで冷めた関係や、オークションに売る為の奴隷と調教師の関係など。


仕事なので受けたが後味の悪い作品もあった。

出来ることなら個人的に鞭で叩いてやりたかったのは、むしろ主人公の方という。



「ねぇ鳥兜さん、私と一緒に悪役やりません?」


これは人を誘惑する悪魔と呼ばれたばかりの声。

なんて透き通った口調で手招きをするのか。



「この劇をしっちゃかめっちゃかにしてやるの、とっても面白いことになるわよ」


物騒なことを言いながら初めて微笑んだ。

真っ黒な目を少しだけ細めて、口許に牙が覗く。


真昼の初夏は開け放した窓から強い陽光。

反面、ノエの顔に差す影は濃い。

無表情を一寸緩める程度で、飽くまでも静かな笑み。

だというのに、こんなにも恐ろしく艶やか。



「自覚と美学と覚悟を持ち、馬鹿にする訳でなく堂々と人々を見下ろす。それが女王様、S嬢でしょう?」


例え窮地でも余裕を崩さずに。

無様な姿を晒して立ち竦むくらいなら、美しいままで退場することを選ぶ。

悪役を演じるとしても誇りを失ってはいけない。


「SМ初心者とは聞いたが心得はあるみたいだな、それで良い」


トワも同じく笑ってみせた。

どうせなら悠々と、冷たく重い声で。


今ここに対峙する我らは悪役令嬢。


またの名を侵略者。

舞台に紛れ、破壊する異分子なり。



「それはそうと、ヒロインは誰なんだ?どんな内容なのか分からなければ動きようがないだろう」


夢の中で殺した方の「ミセスオパール」は三十代から四十代だった。

今のトワは三十代前半、年齢で考えると後数年だろうか。

いや、引っ詰め髪に地味な服装では老けて見えるのでもう始まっているのかもしれない。


「そこなんだけど、実はアクシデントが起きちゃって……」


意外なことに、問いかけに対してノエは溜息。

歯切れが悪い返答には理由がある。



通常の場合、ノエは乗っ取る際の夢でその世界のデータを受け取っていた。

現在までの記憶を始めとしてタイトル、ジャンル、ストーリー、キャラクターに攻略法とエンディング、隠しシナリオなど表から裏まで。


ところが不測の事態。

読み込みが不完全な状態で目覚めてしまったのだ。


具体的に言えばリヴィアン・グラス男爵令嬢としての記憶、加えてキャラクターとしてのプロフィールが冒頭のみ。

端役の情報を断片的に知らされても、この世界の核心は何も見えてこない。

ヒロインは一体誰だ、攻略対象は誰なんだ。



狼狽えたところで何も変わらず、まずは少ない情報から状況把握。

幾つか判明している点を整頓させてもらう。


一つ、問題の乙女ゲームは「キミ色宝石に秘密のキスを」というタイトル、通称キミヒミであること。

いかにも薔薇でも散ってそうな甘ったるい響き。

笑いを堪えて記憶を探っても、まずノエもトワも聞き覚えすら全くあらず。

二次元への転生とは、好きで好きで堪らないような思い入れのある作品とも限らないらしい。

タイトルに該当しそうな物など何も知らず、推理してみたところで無意味。


「キミ色宝石って何なの、何色よ……」


この国の全員が鉱石の名を持ち、それと同じ色の髪や目をしているのだ。

あまりにも範囲が広すぎて逆に心当たりがない。


故にスギイシ家の面々は東洋人でも濃紫の目。

そういえば、リビアングラスは淡いレモン色の天然ガラスだった筈では。

紺藍色の髪と黒に近い目をしたノエに訊ねてみると、どうも地毛の金髪は落ち着かないので染めているらしい。



二つ、舞台は1900年代前後のヨーロッパ風異世界であること。

こういうジャンルはファンタジーが定番なのだが、この世界での魔法は「廃れてしまった昔の文明」として認識されている。

ここでも魔女狩りが行われた為、もし魔法使いが居たとしても力を隠していると。

それなら、ヒロインや攻略キャラクターはそうした存在である可能性も高い。


ヒロインが異世界転移や召喚される場合ならば分かりやすいのだが。

残念ながらそういったことは噂すらあらず。

もし当たりだとしても、匿われていたとしたらどうにもならない。



三つ、トワもノエも確実に登場キャラクターであること。

そうでなければ転生や乗っ取りは起きないのだ。

しかし決してヒロインではない、それはありえない。

共通点があるとしたら月華園だが、ここは本来の世界なら存在しない場所なので出逢いは偶然。


そういうものだ、登場キャラクターとは磁石のように無意識で引かれ合う。

ストーリーの外でも該当し、運命的な掟が存在する。



ノエがリヴィアン・グラス男爵令嬢の身体を乗っ取ってしまったのは14歳の頃。

僅かな情報を手掛かりに、もう後は経験上での勘頼りで行動してきた。

とりあえず正規と思われるルートからは確実に外れ、結ばれる筈の縁も切り、出逢う筈のなさそうなキャラクターと仲を深めて。


乙女ゲームの攻略対象となると、やはり並外れて目立つ者だろうか。

顔と声が良くて、キャラクターが立っていて、華がある男性に遭遇するとつい疑惑を持ってしまう。


ちなみに攻略対象としてほぼ確定と見ていた人物数名を定期的に監視していたが、今のところそのような動き無し。

そのうち一人は可能性が高そうな学園生活でも婚約者と仲睦まじく、他に良い雰囲気になった女生徒なども居ないまま卒業してしまった。

そうして現在は無事に結婚して平穏な家庭を築いているようで、本編が略奪愛などでもない限りは完全にルートから外れたかもしれない。


何より、ヒロインが誰なのか分からないことは痛く。

こうした場合は彼女もまた転生者の確率が高い。


トワとノエの二人が好き勝手に生きているだけでもストーリーには影響を及ぼす筈なのだが、どこまで波紋は広がるのだろうか。

こうして焦れながら、ただ来るかどうかも分からない時を待つしかなく。



「私はどのように生きたら良いのでしょう」

「……S嬢は俯かない」


先程までの首謀者めいた雰囲気は何だったのか。

やるだけのことはやりつつ、どうしようもなく途方に暮れてしまうノエが弱音を零す。

黒革に包まれたその尻に、トワが平手で切れの良い一撃。

背筋を伸ばせと喝を入れた。


実のところ腹立ち紛れも多少は混ざっている。

今生に関わる深く重い話だったのに、結末がこれとは思わず脱力してしまう。


何とも締まらない、否、こんなものだろうか。




「ちょっと、アンタらどこ行ってたのよ?」


戻ってみれば、寮のリビングでは昼食の席。

そういえば空腹を思い出した。


何の話をしていたか、なんて金手毬にも明かせない。

言い訳を考え込む一息の空白。

トワを遮って、先に無表情のままノエが口を開いた。


「鳥兜さんが、ベッドでの若頭がどんな感じなのか聞きたいと言うので」

「サラッと嘘を吐くな」

「やだ、そんな面白そうなの私も聞きたい」



下らないやり取り、これこそが本来ならありえないこと。

悪役になるなんて改めて言っても今更の話。

この舞台のシナリオライターにとって、既にトワは異分子だ。


月華園という場所を造ってしまったから。


ここで性的嗜好が目覚めてしまった者は数知れず。

欲は人を狂わせ、生き様も変えてしまう。

把握しているだけでも影響は確実に出ており、決して小さくない。

何も行動を起こさなければ今頃どうなっていたか。


金手毬を始めとした歌姫達は娼婦のまま。

蜘蛛蘭は緊縛師にならず、貴族としての生涯を歩んでいた。

オパール伯爵の令息はトワと結婚していたろう。


本来なら無かった筈の物を作り出して、誰かが与えられる筈だった物を奪い、選ばなかった物はまた別の誰かに渡ってしまった後。



「……面白いじゃないか」


私は緊縛師、結び変えるなどお手の物。

それが縁の糸であろうとも。


絡め取られた末に吊り上げられる物が何なのか、この目で見届けてやる。

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