16:弟子

トワが月華園の経営を始めて十年以上が経過した。

会社や飲食店などは十年続けば立派と言われているもので、乗り越えてきた苦労は小さくないがこうして毎晩沢山の客を迎えている。

既に初期メンバーのS嬢М嬢は引退する者や、独立して自分の店を持つ者まで。

そうして店内の顔触れは随分と違うものになっていった。

一度作り上げた流れから変化は止まらない。


故に、スタッフはいつでも募集中。

そんな時に彼は来た。



「イグニスさんね、今日からイケる?」

「はい、宜しくお願いします」


とある春、開店準備中の午後のこと。

慌ただしい片隅で行われていた面接は無事に終了した。

金手毬とトワに頭を下げたのは褐色の髪をした青年。

事前連絡まで入れており、訪問からして丁寧。


好意的に表現すれば「クール」だが、正直それを過ぎて妖しく冷たい印象。

整っているが故に作り上げたような無機質さがある。

頬の線はすっきりと鋭く、切れ長で細めの目、鼻筋が通っていて薄い唇。

俗に言えば蛇顔というタイプか。


面接に当たって聞いた経歴なども、思わず疑ってしまうほど出来すぎている。

事務などに必要な資格は一通りあり。

この春に卒業したのもトワの母校、国内五大名門の一つであるアレキサンド・ライト記念学館という。


これなら職など選び放題だろうに、わざわざ花街のショーパブに来なくても。


最悪、別に嘘でも構わないのだが。

緊縛師志望で、鳥兜に弟子入りしたいという旨を熱く説かれた時には呆気に取られてしまった。



以前から客として何度か来ている青年で、その時は仮面をしていたが髪の色などに見覚えがあった。

ショータイムが無い日は出演者も接客に回るのだ。

鳥兜として簡単な緊縛を教えることもあり、確かに彼は呑み込みが早かった。

縄を扱うには距離も近くなるので、顔を隠していても雰囲気などである程度は分かってしまう。

トワの方は鳥兜の時に空気感や声まで化けているので気付かれにくいものだが。


成人して以来SМのサロンに出入りして目覚めてしまったそうで、ここのショーパブで鳥兜の腕に惚れ込んだらしい。

月華園が十年以上ということは、この国のSM界隈に緊縛が広まってから同じ歳月が経ったとされる。

初期メンバーのS嬢を始めとしてあれから弟子は複数人取って育て上げ、今や緊縛師を名乗るのは自分一人だけではない。


まず最初は下働きと接客から。

師弟だからといって「技を見て盗め」なんて古いやり方は効率が悪く、緊縛は命にも関わるので責任を持って教えなければ。

ショーに出られるまでにどれだけ掛かるか、そこは技術職なので腕次第。



「それから、これを……」


採用が決まって今後の話し合いに変わる時、イグニスが恐る恐る懐から出したのは手紙。

何事かと開封してから一転、空気が変わった。

目を通した瞬間に笑って突っ伏してしまった金手毬に、思わず頭を抱えるトワ。


「お前、ライト家の人間か……」


差出人の名はリナ・ライト。

イグニスの本名と、孫を頼むという一筆。



なるほど、リナは複数の孫が居た筈。

そのうち比較的に年代の近い一人とは顔を合わせたこともあるが、イグニスに関してはトワと10歳も差がある。


面接の時、もしや貴族ではないかとは思っていた。

「サロンに出入り」という点で確かに引っ掛かってはいたのだ。

SMのサロンは選ばれし好色貴族でなければ参加不可、一応はお嬢様のトワですら行く術が無かった場所。


今となっては母校も納得。

名前の通り、昔の高名な学者であり教育者であるアレキサンド・ライト博士に因んで建てられたのだ。

以来、代々ライト家や血縁者はここに進学する流れ。

先述の面識があるリナの孫というのも、中等部と高等部なのでほぼ交流は無かったが校内で二度三度言葉を交わした。


「結果的に騙すような形になってしまって申し訳ありません、イグニスはミドルネームです。こちらの手紙は採用が決まったら渡すようにと言われてまして」


この国の貴族は鉱石を表す姓名と決まり事があるので、親族間で被ることも多々。

なので命名の際にはミドルネームも付けられ、書類で正式な署名をする時などには必要。

例えば祖父か祖母と孫が同名になる場合なども区別しやすくする為にそちらの方で呼んだりする。

ただし普段の名乗りでは略される方が一般的、人生の中でほぼ使われずに済む場合もまたよくあるが。



「最初に月華園のことを勧めてくれたのも祖母でして」

「それで良いのか、お前の婆様……」

「孫の性的嗜好に動じるくらいなら花街の頭なんかやっていませんよ」

「他所は良いけどうちは駄目、なんてよくあるだろ」


ライト公爵家の現当主はリナの兄。

イグニスは一族に違いないが、分家の人間ならそこは自由なのだろうか。


リナのことはやたらファンキーなご婦人だとは思っていたのだ、前から。

何だか厄介なことになってしまった気がする。

とはいえ、今更断ることも出来ず。

経営での支援を受けてしまっているだけに、トワは彼女に対してあまりにも大きな借りがあった。

それにしても、孫の件なら事前に伝えておいてくれても良いものを。



「ところでアンタさ、店での名前どうしようか?」


金手毬の方は雇うこと自体もう決定済み。

まだ密かに揺れ動いていたが、こうなるとトワも折れざるを得ない。


客達は勝手に好きな植物を名乗っているものなのだが、イグニスは月華園で働くことになったら付けて貰おうと決めていたらしい。

という訳で、ここは師匠にお任せ。



「そうだな、お前の本名は私の国の言葉だと"蛍"が付くから……」


蛍の名を持つ植物は蛍袋、蛍葛、花蛍辺り。

何となくどれもしっくり来なかった。


彼は手足が長くて腰が細い。

その辺りの特徴は虫で例えるなら蜂も同じだが、どちらかと言えば。


「蜘蛛蘭」


緊縛師志望なので、縄を糸に見立てた験担ぎも兼ねて蜘蛛。

その中で植物の名を一つ選ぶならこれか。


ちなみに、蜘蛛蘭という植物は少しややこしい。

樹木に根を張って蜘蛛が這う形をした野生植物の他、ブラッシアも「スパイダーオーキッド」の別名を持つ。

どちらを指すのかと訊かれたら少し困る。

名付けは大事なものだが、割と語感やインスピレーション頼り。



こうして月華園にまた一人、蜘蛛蘭という青年が加わった。

蜘蛛は家の守り神とも呼ばれているので縁起が良い。


ただ、彼の話はこれで終わらなかった。




蜘蛛蘭が月華園デビューの一晩が過ぎて、翌日。

面接での話も嘘ではないようで彼は大変有能だった。

初日から開店準備で動き回り、接客でも気配りや話が上手い。

面接でも熱意があっただけに、つい張り切っているのかもしれないが。


さて、何と声を掛けたら良いものか。


出勤してきた蜘蛛蘭の顔には派手な痣。

大きな鞄を引っ提げて、寮の空き部屋に収まった。

あらかたの事情はお察し。



「僕から出て行くつもりが、父から家を追い出されまして」

「待てお前、親には話してなかったのか?」

「貴族籍も抜けることになりましたけど、先に祖母からは許可をいただいていたので問題ないです」

「お前の家はそうだろうけどな……」


ライト公爵家の分家に当たるライト伯爵家ではリナが当主。

花街の頭というのは夫ありきやお飾りの物ではなく、長年培ってきた経歴と彼女自身の実力であるからこそ「女帝」の二つ名。


リナの子供達も花街に携わっているが、蜘蛛蘭の父親だけは堅い仕事。

せっかく家の呪縛から逃れたというのに名門校を出た息子がこれでは立場が無い、お気の毒。

トワのように昼夜で違う仕事も出来るので、両立という手もあるのだが。


どうも蜘蛛蘭の方はそういう気が無いらしい。

傷というなら、顔だけではないのだ。


赤く腫れた左腕、入れたばかりの刺青は蜘蛛の巣。


思わず名付けに責任を感じてしまう。

「蜘蛛」というモチーフを気に入ったのは分かるが、何もここまでしなくても。

昨日の今日であまりにも思い切りが良すぎる。

刺青自体は前から考えていたことなので、別にトワの所為ではないと彼は打ち消したものの。



「身体をカスタマイズするのが好きなんです。地毛は目立ちすぎる色なので、この髪も染めてますし」

「ああ、やはりか。そこは知っていた」


繰り返し言うが、縄を使う時には距離が近くなる。

褐色の根本に違う色が見えていたことを前からトワも気付いていた。

手軽に扱える染料は数年前から出回っているのだ。


それからもう一つ、髪以外に目の色もまた珍しかった。

仮面をしている時には分からなかったこと。


光の加減で変わる寒色系なのだが、キスする近さで凝視でもしないとよく見えない。

流石にそれはお断り、あまり気にしないようにする。

正直なところトワだって彼にそこまで興味なし。



こうして、弟子を迎えたというよりも蜘蛛が棲む感覚で青年は居着いた。


初日から見せた業務での有能さは衰えず、緊縛の修業も順調だった。

指先が器用で覚えも良く、出来るまで粘り強い。

他にもショーは歌やダンスでも構成されているので、試しにやらせてみれば何でも物にしてしまう。


ライト家の人間は様々な分野で歴史に名を残す傑物揃い。

芸事にしても表舞台なら大スターになれたろうに。



しかし自分で決断したこととはいえ、まだ18歳。

今後は飽くまでも裏で生きるというのは早すぎやしないだろうか。

同年代の頃に月華園を乗っ取ったトワからはあまり言える立場でないのが悔しい。


刺青とは癖になり、約半数の者は次から次へと彫りたくなる物である。

その後も蜘蛛蘭の身体には巣が張られていった。

まずは初心者向けで肩から腕。

続いて胸や背中、増える度に身体が蜘蛛男に変化していく痛みを楽しんでいる。


緊縛師は攻め側なのでサディストと思われがちだが、彼は筋金入りのマゾヒストだった。


彫った後の飲酒や汗は大敵なので控えるようにとその度に注意し、管理するサディストの方が大変である。

手の届きにくい部位には軟膏を塗ってやったことも。


「流石に下着の中にまで彫ったら塩塗るからな」

「凄まないで下さい、ときめいてしまうので」


頭部から喉は最も痛いというのに、左頬に巣と蝶々。

顔を腫らして彫師のところから帰ってきた時は本物の大馬鹿ではないかと目眩がした。


トワも前世から多種多様な変態を見てきたので、こんなことで引いたりはしないが。

サディストとはマゾヒストがどんな性的嗜好でも受け入れて相手する広い度量が要る。



ところで本体はどこかって?


答えはシャツを脱いで見える位置。

引き締まった腹部に、蛍を捕食している蜘蛛が居た。

何の因果か彼らは天敵同士。


これは貴族であることの決別の証。

蛍として大人しく生きるよりも、蜘蛛として何かを掴もうと。

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